さざえ堂は福島県会津若松市、飯盛山の中腹に建つ木造仏堂建築である。名前の由

来はさざえの殻に似た形状から通称「さざえ堂」の愛称で親しまれています。

 正式名称は「円通三匝堂」、文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」という。1796年(寛政8年)郁堂和尚が考案建立したもので、かつては巡礼観音堂であったと言われています。

 1995年(平成7年)に国の重要文化財に指定されている。

 

北側外観

 

 六角三層搭状、六角平面(直径約6.3m)に廻縁を付け、正面入口を張り出して唐破風の向拝を設けている。塔の大屋根は銅板葺き(古くはこけら葺き)で、上に石製の宝珠を載せていて、高さは16.45mとなっている。

 構造は中心部に六本の芯柱(円柱)を立て、外隅柱六本(六角柱:内転びあり)との間に繋ぎ梁を渡し両端とも枘差し、込み栓打ちで止め、二重らせんスロープを造り出している。中心部の繋ぎ梁の上に管柱を立て厨子を配置し、コア部分を強化している。構造は外観にも表れている。

 

 向拝柱二本の上で渦巻く龍と二重虹梁透かし彫りに絡み合う龍の彫刻はとても迫力があるが装飾過多にも見える。

 

       

  入口正面、郁堂の木像          らせんスロープの上り

 

 入口正面には堂を建立した郁堂和尚の像が鎮座する。その左側から時計回りに上りのスロープが始まる。スロープ内側に沿って厨子が設けられていて(建築当初は西国三十三観音像を安置)厨子の上の梁には雲形の彫刻が施され、腰壁には賽銭を入れる木樋が付き、全ての賽銭が箱樋を伝わって縁の下の大きな賽銭箱に集まり、効率よく回収できるようになっているという。スロープにはすべり止めの桟が打たれ、微妙に内側に傾いている。歩いているスロープの床面は下りの天井になっている。上りを一回転半すると頂上の太鼓橋(六本芯柱上)に到着する。天井は六角折り上げ鏡天井となっていて、千社札がびっしりと貼られているのを見ると、当時の庶民の人気を如実に表していて、いかに多くの人々が訪れたかが伺えます。

 

       

  頂上の太鼓橋、奥側は下り       六角形折り上げ天井

 

太鼓橋を越えると反時計回りの下りのスロープになり一回転半すると一階背面にある出口に通じている。堂内を合計三回転するところから三匝堂(さんそうどう)の名があるという。

 参拝者は上り、下りの一巡の間に西国三十三観音像を参拝出来るようになっており、かつ参拝者がすれ違うことなく、スムーズにお参りが出来ように、一方通行になっている。江戸時代にこれだけの木造建築を完成させた郁堂和尚と大工棟梁の技術力には脱帽です。

 

 さざえ堂の発想に次のような説がある。「当家に伝わる伝説では、郁堂和尚が建立の構想を練っていた時、二重紙縒り(こより)の夢を見てひらめいたとされています」(堂主飯盛さん)。

 

 また、かつて1965年(昭和40年)さざえ堂の学術調査をした日本大学工学部教授、故小林文次博士は次のように述べています。「これは遠くダビンチまで繋がっているものであり、これらとさざえ堂のつながりは定かではない。しかし西欧の例が単なる通路であったのに対し、中心部に観音像を配し、あたかもライトのグッケンハイム美術館を思わせるような会津さざえ堂は単なる模倣ではなく天才的な創造と見るべきである」(さざえ堂と飯盛家より)。

 

 さざえ堂は戊辰戦争の戦禍を免れ、そして1964年(昭和39年)新潟地震に耐え、2011年(平成11年)の東日本大地震にも耐え凌いできた。「日本の木造建築は幾多の修理をしながら幾百年の風雪に耐え、生きながらえる建築である」。

 文化遺産としての保存、修理に尽力してきた飯盛家に敬意を表します。

 

 さざえ堂がダビンチにつながり、現代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(グッケンハイム美術館=2019年世界遺産)、とル・コルビュジェ(国立西洋美術館=2016年世界遺産)のらせん状美術館に通じると言われている。なんてロマンのあることか。

 「らせん空間」が人々を魅了するのは、生命の遺伝子DNAの二重らせん構造と同じだからかもしれません。