イカサマを習得しようとする信夫の胸中は? 

第六章 ②


 店を出ると、室見川に向かって信夫はゆっくり

歩いた。

 いつもよりは遅い店じまいのせいで、すっかり

闇は去っている。


 秋の朝陽が通りを明るく照らしていた。


 堤防が見えてくると、夏の日の有紀の姿が思い

起こされてきた。不運な交通事故で歩けなくなった

にも関わらず、毎日、汗をかいて、一歩、一歩ふら

つきながら、昨日よりも、と前を向いて自力で歩け

るように頑張っていた有紀が、今はいない。


 白い陽射しの中で、普通の人たちの生活が始ま

っている。国道は、市中心部に向かう車で渋滞が

始まろうとしバスの姿も見え、堤防の細い路には、

通勤するサラリーマンの姿や通学の自転車が見え

る。しかめっ面の顔、笑った顔、車の走る音、人の

歩く音、いろんな音が信夫の耳に入ってくる。


 しかし、信夫の耳の奥には、十七歳の娘らしい、

尻上りに、「おじさ―ん」と明るく澄んだ声が、いま

だに残っていた。


 制服姿の女の子たちが、笑い声をあげながら、

自転車で信夫のそばを過ぎて行った。

 有紀も何事もなかったら、あの中に混じって、

屈託なく笑っていたのかもしれない。

 そう思うと、信夫は不意に、自分がこうして生き

ていることに、どんな意味があるのかと、そして、

自分の存在が有紀をあんな目に遭わせてしまった

のではなにのかとさえ思えてしかたなかった。


 〈明日を信じよう、未来を信じよう、世の中を信じよう、そのために今を一生懸命生きよう。辛いことも、苦しいことも、笑顔で、乗り切る努力をしていこう。明日は輝いている〉


―――アホか。みんな嘘っぱちじゃねえか。
    よくそんなこと言えんな。これが現実だ。
    何にも信用しちゃいけねえんだよ!


 不意に、信夫の胸の内に、いつか、どこかで聞

いたことのある、教師、政治家が言っていたような

フレーズ、歌の歌詞が浮かび、そして頭から否定

した。

 沸きあがってきたのは、誰に向ければいいのか

わからない、そこらあたりに撒き散らしたい憤怒

だった。


―――あの男、中村茂明は絶対に許せねえ。
    殺したいほど憎い。だが、殺しはしない。
    それに限りなく近い、いや殺された方が
    楽だと思うくらいのことはさせてもらう。
    それでしか、有紀の無念さは晴らせない。

 
 信夫は唇をかみ締めた。
 
 刑事が言った言葉がよみがえってくる。


―――どんなことをしても、あの子は生き返らない
    んだよ。もしも、死んだあとに霊となって、
    その辺にあの子が漂っているとするのなら、
    あんたが中村を殺して喜ぶんだろうかね。
    殺人で裁かれるあんたのことを悲しむだけ
    のように思えるんだが。俺が中村の事を
    あんたに話したのは、中村を許せないのは
    あんたと同じなんだが、罪を犯した人間は
    罰せられるべきであり、警察ができないので
    あれば、できる人間で罰を課すべきではない
    のか、そう思ったからさ

 信夫は内ポケットから、数枚の紙を取り出して

目を閉じた。そして不意に紙を破り、宙に放った。

 細かく、細かく破かれた紙は河口からの北風に

乗って舞い上がり、水の流れる川の上に飛散して

いく。流れに吸い込まれ、濡れた紙切れは、その

一片、一片が陽の光を照り返し、ほんの一瞬だけ

夏の陽のような眩しさを信夫にみせ、流れの中に

消えて行った。

 紙は有紀のために信夫が考えていたカクテルの

レシピであった。


 

 ホテルの部屋に入ると、日向はゆっくり起き上

がり、胡坐(あぐら)をかいて信夫をみた。日向は、

信夫が覚えるまでの間、オーナーの川浪が手配

したこのホテルに宿泊している。


 信夫がポケットから、まだ封を切っていないサラ

のトランプカードを取り出すと、日向は尖った口元

をゆるめてにこにこ笑った。


 「どうしたんですか。急にやる気を出して」


 「どうしてですかね。私にもわからないんですよ。ただ、すぐにでも実戦でやってみたい気持ちになっているのは確かです」


 信夫は努めて事務的な口調で答え、日向の前に

椅子を持ってきて座ると、カードの封を切ってシャッ

フルを始めた。

 そして、次第に両掌の間を広げていき、カードを

宙に立てたまま拡げていく。

 本のページの様にぴたりと重なっていたカードが

少しづつ互いに隙間を空け、列になり、生命を吹き

込まれたかのようにくねり始めた。

 龍をつくる術は身につけている。

 あとは、ナイフのように鋭く削った親指の爪で、

龍の鱗一枚、一枚に印をつけていけるかだった。


 「そうそう、一番上のカードは客とディーラーで見せ合って確認。そして龍をつくって、躍らせている最中に爪で引っかく。それの繰り返しですね」


 信夫は、掌のスピードを上げ龍を長く伸ばしたり

縮めたりを繰り返す中で、親指を何度か走らせた。

 そして、龍を閉じ、ひとつに戻したカードの山を

日向の前に置いた。


 「さっき確認し合ったカードは、ハートの九でしたね。それをひいてください」


 日向の言葉通り、背を向けたカードの山を扇に

広げて一枚を選び、信夫は手に取った。


 背の図柄に信夫のつけた印があった。手にした

カードを裏返す。ハートの九だった。


 賭博ポーカーは、真剣勝負になる度合いが強く

なるほど、いかさまの可能性を消さなければいけ

ない。ディーラーの仕事である。だから、その日

その日で、始まりは未開封のカードを使う。遊び

であれば、事前にカードに細工をしておけばいい

のだが、それでは大勝負に客は乗ってこない。

 客の目の前でカードの封を切ってやる。それだけ

で大負けした客も、いかさまに嵌められたとは思わ

なくなる。


 「だんだん面白くなってきますよ。特に本チャンでやっているとね」


 日向は優しい声でそう言うと、自分でさりげなく

やってみせた。

 カードが吸い付くように、日向の両掌の中で龍

になる。そして閉じられた。

 親指の爪がいつ動いたのかわからなかった。

 
「ほら。このカードがスペードの二ですよ」


 そう言って日向の裏返したカードは、その通りで

あった。信夫は日向からカードを受け取ると、黙々

と龍に向き合った。


 「あと少しスピードをあげましょう。だいぶよくなっています」


 日向が励ますように言った。


                                      ペタしてね

(続く)
次がエンディングになります。長いです。一気に掲載します。

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