銀杏の実の臭い匂いが何処からか頭を挙げてきた。よく見たら、黄色くなりかけの
銀杏 の木が植えられていました。もう早や⁉️こんな季節か…
ボールが坂を転がって行くような年月の流れの早さに圧倒され『一秒一分、一分一時間、一日、二四時間…』が大切で、大事であり無駄なく使えるようにしたいとしきりにちゃんと思い、『あかん』と言ったり『まぁ〜仰向けになり足踏みを三千回は保々毎日
継続しているようだから、一個でも約束した日から遣らせてるから…よくしているよ…』
と言って誉めてあげようか…と今年もいちょうの黄色くなりかけた葉っぱが観い、誰かに踏まれたのであろう。銀杏の実皮から放つ少量の悪臭に元々歪んだ顔が歪んだ。これも自然の中の流か、ぼんやりと緊張感の複雑化に包まれ
ていたら、『!?(・_・;?…言うと様子に残り命を保とうしてか蚊の集団が左の腕を餌食にする。それからスーパーへ行く
ぶどう、なし、栗、早生の小ぶりのみかん等が『サア…秋だよね。僕ら、買って、食べて…?早生🍊わたし小ぶりだけど、美味しいよ…それにこの
栗も拾ったり木から取る時は
ハリネズミの様な皮で包まれていて痛いので大変…でも、塩茹で栗ご飯、栗金団など和菓子洋菓子などと食生活の中 
に入って大人子どもにも、美味しい食べ物のひとつとなって来ているような気がしたんです。『年齢を重ねると、食べる事に集中して行く…』と
言われそうなんで『否定も肯定も』しないがギリシャ神話に出て来る哲学者とか、彼らが崇拝したと憶われ制作した彫刻の像を観ながら、若い頃
『そんな本バッカリ読んでいたら了いに自殺せんとあかんとなるから…止めとき…』なんて事を  言われたが、なんで『本で読んだ位で自殺迄、心するに左右至るモノか
至ら無い…』など強い言葉で表現した遠い粗私を想い出していた。雨あがりの昼
10月第1の土曜日、多くの人達が来ていた。美術館に立つのも久し振り、観にきている人達の空気にも触れるのも久し振り、そんな中いちょうの木があった事を思い出して、いちょうの木の方をみた。お婆ちゃんがいちょうの実を拾っていた。。何処かで観た風景やった。そうや、モネが何枚か描いてある 『種子を蒔く農夫』か『落ち葉拾い』の
構図によく似ていた。少し距離
がっあったが、着ている物の
色合いにビックリした。びっくりしたと言うともうひとつ
みなさん桜の木の葉っぱは赤か柿色などに色づき始めると憶われていますね…ところが
美術館に行った帰りに、いつも桜の季節には、いっぱい花で楽しみにしている桜の木でですが、まだ、他の葉は濃い緑色緑色にしげって居るのですが〜所々に真黄色の葉っぱがありました。なんで…?桜は紅葉して葉っぱを落とし冬の間に栄養素をしっかりと貯めてあんな素晴らしい花咲かせてくれているのだ。それなのに…真黄色の葉っぱが、ポッリ、ポッリ…秋だから、秋が近づいているから…自然界にも色々と変化が起きるのであろう…でも不思議だった。あの緑色緑色した桜の葉っぱ 
に真黄色した異様な色づきとしか思われなかった。その時
眼にハマったモノが…折れた小枝の先葉共に枯れているの葉っぱの間見つけた。『あの異様な色づきはコレだったのか…この桜の木は大きい木だあれ位の傷には、負けないだろう』と思った。初秋を見て味わう事も出来た1日であった。