最初にあったのは夢と・・・ | 言葉は言霊 ~話す言葉によって未来が変わる~

言葉は言霊 ~話す言葉によって未来が変わる~

人の身体は、食べたもので作られる
人の心は、 聞いた言葉で作られる
人の未来は、話した言葉で作られる

いい言葉を聞いて、心を豊かにし
いい言葉を話して、明るい未来を作りましょう

最初にあったのは

夢と根拠のない自信だけ

 

これは、

ソフトバンク取締役会長である

孫正義氏の言葉

 

 

日本講演新聞でも

魂の編集長・水谷謹人さんが

孫さんのことを書いています。

 

 

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少年の家は、旧国鉄の線路脇の空き地にあった。

 

戦前から鉄道作業員として

集められた朝鮮の人たちが、

勝手にバラック小屋を建てて住み着いていたのだ。

 

だから、少年の家の住所は無番地だった。

幼少の頃、親は養豚業をやっていた。

 

豚のエサにする残飯を民家を回って集める

リヤカーに乗っていたのを、

50歳を過ぎた今でも鮮明に覚えているそうだ。

小学校に入ると、

成績の良さが群を抜いていた。

 

不思議そうに我が子を見つめながら、

「ひょっとするとお前は天才じゃないか」

と父親がよく言っていた。

また、「お前は大物になるぞ」とか

「お前は日本一になるぞ」

とよく言われて育った。

 

少年も

「ひょっとしたら俺は天才かもしれん」

と思い込むようになった。

運命の歯車が大きく動き始めたのは

高校1年の夏休みだった。

アメリカに1か月間、語学留学したのだ。

帰国後、

「高校を退学してアメリカに留学したい」

と言い出した。

 

両親や先生は

「高校を卒業してからにしろ!」

と猛反対したが、

「人生は短い。今行動しないと後悔する」

と押し切った。

内心、

「在日韓国人が日本社会で

 成功するのは難しい。

 アメリカで成功すれば

 日本で評価される」

と思っていた。

アメリカの四年制高校の2学年に編入できた。

 

新学期が始まって1週間後、

校長室を訪ねた。

 

「同学年のレベルが低い。

 3年生にしてください」と頼んだ。

校長判断で3年生になれた彼は、

食事中も、トイレでも、歩いている時も

教科書を離さず猛勉強した。

その様子を見ていた校長は

3年生に進級した5日後、

4年生になる特例を認めた。

彼はこのチャンスを見逃さなかった。

 

その3週間後に

大学入学のための検定試験に挑戦したのだ。

 

これに合格すれば、

たとえ17歳でも高校卒業の資格が得られ

大学を受験できる。

ハードルはとてつもなく高かった。

 

数学、物理など6科目

すべてで高得点を取らなければならない。

 

英語で書かれた試験問題すら

辞書がないと読めないのに

高得点など無理だと、誰もが思っていた。

合格を信じていた男が一人だけいた。

 

受験に臨む孫正義本人だ。

後のソフトバンク社長である。

試験当日、問題用紙が配られた。

 

彼は祈るような気持ちで

試験官に辞書の持ち込みと

時間の延長を願い出た。

 

しかし、却下。

すぐ職員室に向かった。

 

職員室にいる教師たちに、

自分には今語学のハンディがあるので

時間の延長が必要であること。

 

語学のハンディは

1年もすればなくなることを必死に訴えた。

 

同情した一人の教師が

教育委員会に電話をしてくれた。

 

なんと、教育委員会は彼の主張を認めてくれた。

試験は3日間。

 

他の受験生は午後3時で終了したが

彼が初日の試験を終えたのは深夜11時だった。

 

2日目もやはり11時を回った。

 

3日目は午前零時を過ぎた。

 

彼も疲労困憊だったが

試験官も同様だった。

2週間後、合格通知が届いた。

 

翌年、彼は大学生になった。

 

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夢と根拠のない自信

 

まさにここが

スタートなのかもしれない。