みなさん、初めまして。
私はブログ主pecoricoの妹です。


本日、朝方になりますが、姉は天国へと旅立ちました。
本人の希望により最後のご挨拶を私(妹)がさせていただきます。

 

姉は最後までずっと癌と戦う姿勢を崩さず、希望を捨てず、自分を見失うこともなく、

懸命に生きようとしていました。

 

今日までの経過を書こうと思います。

 

3月下旬

本人最後の書き込みにもありますが、腫瘍が広範囲に広がり喉にも腫瘍ができ

気道が狭くなり呼吸が苦しくなる。
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4月2日(火)
本人、医師、ソーシャルワーカー、家族での面談(話し合い)にて今後の治療が困難と言われる。

このとき、本人は抗がん剤治療を望み色々な組み合わせを提案しましたが、医師からは

「血液検査の数値が悪く、抗がん剤の副作用が強く出てしまい死ぬ危険性もあり治療はできない」

と言われる。
  ↓
治療ができなくなったため転院か自宅看護を求められる。
  ↓
緩和ケア病棟がある病院 or 緩和ケアチームがある病院 or 自宅看護

どれでにでも対応できるようにソーシャルワーカーさんと相談の元、準備を進める。
  ↓
緩和ケア病棟のある病院の空きがないため空き次第転院できる様に予約をとり、同時進行で緩和ケアチームがある病院へと転院手続きを始める。
  ↓
4月16日(火)
急遽、緩和ケア病棟のある病院への転院が決まりお引っ越し。
転院先の病院はとても綺麗な上、個室で本人も気に入る。
胡坐で前かがみにならないと呼吸がしにくくなる。
  ↓
4月25日(水)未明
口の腫瘍から出血、今まで腫瘍の外側からの出血は頻繁に起こしていたが、内側からの出血は初めて。
医師より「危険な状態」と家族へ伝えられる。
この頃には顔がむくみ、瞼も腫れほぼ目が開かない状態になり、スマホの画面も数秒しか見ることができなくなる。
免疫低下により帯状疱疹(水疱瘡)が体に出る。
  ↓
4月28日(日)
私(妹)のLINEに「夜中に3回窒息しそうになった」との本人からのメッセージが届く。
これが姉から来た最後のLINEとなりました。
両親が急遽病院へ、人工呼吸器がないと呼吸が苦しくなる。
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4月29日(月)
仲の良かった友達に連絡し、お見舞いに来てもらう。
友達に会えたのが嬉しかった様で声を掛けたときはとても機嫌がよく、夜も安定していて本人も少し眠れたようで一安心する。
  ↓
5月1日(水)
深夜、さらに呼吸困難になり頻繁にナースコールをする。
薬を投与され少し落ち着くが呼吸が弱くなり朝方、天国へ。

 

 

治療が困難だと医師に言われたときに私は姉の心が折れてしまうのでは・・・と、とても心配していました。
もう治療ができないという事実は受け止めるに受け止められる様なことではありませんし、

悲観してうつになる人もいるとネットで見ました。
私は医師にそのことを相談しましたが「彼女はいつも冷静でしっかり受け止められる人なので大丈夫と思いますよ」と言われましたが、今までとは状況が違うのに…と内心思いました。
そして次の日、私(妹)のLINEに転院先の相談をしたいから病院のことを教えてと姉からメッセージが届きました。
本当に彼女はとても心の強い人で常に前を向いて歩いていました。

私にはそんな強い心はなく、今は今日のことを受け止めるのに必死です(笑)

 

今までブログにたくさんのコメント、本当にありがとうございました。
本人にとってどんなに心強かったことか・・・
また、姉と交流のあった方々、大変お世話になりました。
こんな形でしかお礼を言えずごめんなさい。
そして、このブログを見てくださってる同じ病の方。
このブログに書かれていることはあくまで姉のケースです。
姉の舌癌は舌癌の中でも珍しいタイプの癌で東京のど真ん中の大学付属病院でも

一年に一例あるかないか…というくらいまれなものでした。
なので同じようにはならないと思います。
だから希望は捨てず、今できる治療を精一杯がんばって受けて、一日一日を大事にして、そして癌に打ち勝って欲しいと願っています。

 

ここのブログはしばらく残しておきます。
どなたかのお役に立てることを信じて・・・

 

長い文章でしたが、読んでくださりありがとうございました。

 

最後に姉から一言 「また会いましょう。」