皆様お久しぶりです、ブログ主の妹です。
前回のブログにたくさんのコメントありがとうございました。
コメントを返さないと・・・と思いましたが、姉のアカウントで書くのも変かな?とか、
私自身でIDを作って返事をとも考えましたが、何よりもここに来ると姉の死と向き合わないといけないというのが
とても辛い気持ちになり中々書くことができませんでした。
すみません・・・でも、コメント本当に嬉しかったです。
皆様、姉のことを応援してくださり、また励まし、愛して下さりありがとうございました。

 

もう今年も残すところ一か月…なんだか一年あっという間ですね。

 

今回は最初で最後の私個人でのブログ更新です。
姉を亡くした家族のその後のことを書かせていただきたいと思います。

 

姉が亡くなった後、私たちは一冊のノートを開くこととなりました。
それは『終活ノート』です。
昨年の夏頃、姉は体調がすぐれない日も多く、なかなか抗がん剤が打てないことが増えて行きました。
その時に医師から治療が難しいこと、余命1~2か月だろうこと、これからのことを考えた方が良いこと、と言った内容を告げられました。
これがあの余命宣告なんだ・・・と思った矢先、なんと父が終活ノートを書店にて購入し、何かあったら困るから!と姉に無理やり持たせたのです。
当時は、なんてひどいことを!!と思い腹を立てました。
ですが、その父の決断と、姉がそれにしたがってキチンと書いて置いてくれたことでどんなに救われたか。
ブログで最後のお別れをして欲しい、お友達を呼んでお別れ会をして欲しい、散骨にして欲しいなど本人の気持ちを知ることができたことで前向きに行動できたように思います。
家族が『終活ノート』を渡し書いて欲しいと伝えるのはとても心苦しいことです。
家族としては本人に書いて置いて欲しい。
でも、前向きに治療している本人にとって死んだ後のことを考えることはきっとそれ以上に心苦しく辛いもの。
難しいことです・・・。
でも、死んだ後のことを終活ノートなんてものでなくてもメモでも手紙でも書いて置いてもらえるだけで亡くなった後でも家族が心のつながりを感じることができることを知ってもらえたらありがたいです。

 

皆様にはご報告がございます。
先月(11月上旬)のことですが本人の”きれいな海に散骨して欲しい”という希望で姉が大好きだった沖縄に散骨してきました。
沖縄の海は透き通ったライトブルー、深いところは濃いブルーでそのグラデーションがとてもきれいでした。

両親と私たち夫婦と娘の5人で行きましたが、両親も高齢なので家族旅行はこれで最後だと思います。

沖縄では姉が行ったことあるカフェに立ち寄り、美ら海水族館に行った話しを思い出しながら見て回りました。

旅行は本当に楽しく、姉がくれた最後の最高のプレゼントでした。

まだ元気だった頃、年を取ったら沖縄で暮らしたいと話しをしていたこと、海ブドウが好きでよくお土産で買って来ては美味しそうに頬張っていたこと、ゴーヤチャンプルーもよく作って食べていたこと色々思い出します。

いまだに姉が生きている様な気がして「姉は何してるかな?」と考えてしまうことがあります。

まだまだ向き合えていませんがこれで一区切りつけられるような気がします。

ちなみに下の写真は恩納村のホテルから撮った海の写真です。やっぱりきれいです!


最後に上に書きました余命のことですが、昨年の8月頃に主治医からは『1~2か月』と宣告されましたが、
その後、抗がん剤治療が上手くいき昨年12月の頃はすこぶる元気で会社の忘年会に参加し、三重の伊勢神宮にまで旅行に行ったりとかなりアクティブでした。
ただ、2月以降だんだんと抗がん剤の効果が薄れて4月には血液の状態が悪く抗がん剤が使用できないと言われてしまいましたが・・・。
でも奇跡ってあるんだなと思いました。

 

長々と書いてしまいましたが、皆様読んでいただきありがとうございました。

皆様が沖縄に行くことがございましたら、少しでも姉のことを思い出していただけたら本人も喜ぶと思います。

 

今までも、そしてこれからも姉をよろしくお願いいたします。

みなさん、初めまして。
私はブログ主pecoricoの妹です。


本日、朝方になりますが、姉は天国へと旅立ちました。
本人の希望により最後のご挨拶を私(妹)がさせていただきます。

 

姉は最後までずっと癌と戦う姿勢を崩さず、希望を捨てず、自分を見失うこともなく、

懸命に生きようとしていました。

 

今日までの経過を書こうと思います。

 

3月下旬

本人最後の書き込みにもありますが、腫瘍が広範囲に広がり喉にも腫瘍ができ

気道が狭くなり呼吸が苦しくなる。
  ↓
4月2日(火)
本人、医師、ソーシャルワーカー、家族での面談(話し合い)にて今後の治療が困難と言われる。

このとき、本人は抗がん剤治療を望み色々な組み合わせを提案しましたが、医師からは

「血液検査の数値が悪く、抗がん剤の副作用が強く出てしまい死ぬ危険性もあり治療はできない」

と言われる。
  ↓
治療ができなくなったため転院か自宅看護を求められる。
  ↓
緩和ケア病棟がある病院 or 緩和ケアチームがある病院 or 自宅看護

どれでにでも対応できるようにソーシャルワーカーさんと相談の元、準備を進める。
  ↓
緩和ケア病棟のある病院の空きがないため空き次第転院できる様に予約をとり、同時進行で緩和ケアチームがある病院へと転院手続きを始める。
  ↓
4月16日(火)
急遽、緩和ケア病棟のある病院への転院が決まりお引っ越し。
転院先の病院はとても綺麗な上、個室で本人も気に入る。
胡坐で前かがみにならないと呼吸がしにくくなる。
  ↓
4月25日(水)未明
口の腫瘍から出血、今まで腫瘍の外側からの出血は頻繁に起こしていたが、内側からの出血は初めて。
医師より「危険な状態」と家族へ伝えられる。
この頃には顔がむくみ、瞼も腫れほぼ目が開かない状態になり、スマホの画面も数秒しか見ることができなくなる。
免疫低下により帯状疱疹(水疱瘡)が体に出る。
  ↓
4月28日(日)
私(妹)のLINEに「夜中に3回窒息しそうになった」との本人からのメッセージが届く。
これが姉から来た最後のLINEとなりました。
両親が急遽病院へ、人工呼吸器がないと呼吸が苦しくなる。
  ↓
4月29日(月)
仲の良かった友達に連絡し、お見舞いに来てもらう。
友達に会えたのが嬉しかった様で声を掛けたときはとても機嫌がよく、夜も安定していて本人も少し眠れたようで一安心する。
  ↓
5月1日(水)
深夜、さらに呼吸困難になり頻繁にナースコールをする。
薬を投与され少し落ち着くが呼吸が弱くなり朝方、天国へ。

 

 

治療が困難だと医師に言われたときに私は姉の心が折れてしまうのでは・・・と、とても心配していました。
もう治療ができないという事実は受け止めるに受け止められる様なことではありませんし、

悲観してうつになる人もいるとネットで見ました。
私は医師にそのことを相談しましたが「彼女はいつも冷静でしっかり受け止められる人なので大丈夫と思いますよ」と言われましたが、今までとは状況が違うのに…と内心思いました。
そして次の日、私(妹)のLINEに転院先の相談をしたいから病院のことを教えてと姉からメッセージが届きました。
本当に彼女はとても心の強い人で常に前を向いて歩いていました。

私にはそんな強い心はなく、今は今日のことを受け止めるのに必死です(笑)

 

今までブログにたくさんのコメント、本当にありがとうございました。
本人にとってどんなに心強かったことか・・・
また、姉と交流のあった方々、大変お世話になりました。
こんな形でしかお礼を言えずごめんなさい。
そして、このブログを見てくださってる同じ病の方。
このブログに書かれていることはあくまで姉のケースです。
姉の舌癌は舌癌の中でも珍しいタイプの癌で東京のど真ん中の大学付属病院でも

一年に一例あるかないか…というくらいまれなものでした。
なので同じようにはならないと思います。
だから希望は捨てず、今できる治療を精一杯がんばって受けて、一日一日を大事にして、そして癌に打ち勝って欲しいと願っています。

 

ここのブログはしばらく残しておきます。
どなたかのお役に立てることを信じて・・・

 

長い文章でしたが、読んでくださりありがとうございました。

 

最後に姉から一言 「また会いましょう。」

3月29日(金)

まだ、治療ができていません。

血液中の栄養値(悪性の奴に阻まれてます)や
血小板などの数値などが軒並み上がらず
今の健康状態では抗がん剤治療は危険だから
無理ですと
先生達には渋られています。

喉の膨張感やガサガサ感があり、痰も出るので
気管の方にも広がっているんだろうな…と
思っていたら

気管が詰まるのも時間の問題なので
人工の呼吸器を喉に穴を開けて差し込む
気管切開の手術をするなら、今週中に決断して欲しいと言われました。

言われてから気づいたけれど
先生から喉下の左鎖骨の上に新たな腫瘍があって
気管切開するのであれば、その腫瘍の一部も切らなければ設置できないと

鎖骨と鎖骨の中心部なら放射線をあてることが
出来るかもしれないが、切開してからだと穴の回りの腫瘍のせいで皮膚がグズグズになるだろうと
(先に放射線を当てしまったら、それはそれで切開は難しくなるのかも)

普通に切開しても、荒れてひどくむせるのに
腫瘍をぶった切って設置するなんて
苦しくて呼吸どころでは無いのだろうかと
想像できるので、気が進まない。

しかも設置するカニューレ(呼吸器)は
バルーン付きの、会話も飲水もできないタイプ
それを死ぬまで着けたままになる。
夜中に自宅でむせたら…とか考えるだけでも恐ろしい。

とにかく、抗がん剤をしながら
放射線を当てたいのが私の希望だと
懇願しています。

ありがたいことに、在宅でも医療が
受けられるよう家族が訪問看護の
手続きをとってくれています。

気管切開は本人の希望でするそうなので
絶対にやりたくはないけど
日に日に息苦しくなってきているので
悩ましいです。

入院して、胃ろうからしっかり栄養がとれてきたせいなのか、日に日に悪化が進み、痛みもひどく、ベースの痛み止めをアップしてもらい、麻薬漬けです。
それでも、首から上が発狂するほど痛む時もあり、アイスノンを抱えて寝てやり過ごすしかない状態で何もできないのが、とても悔しいです。

毎日、何もする気が起きず
このまま家に返されるのかと怯えてます。

どうか、治療が受けられますように。。
それで元気になるかは別として…

もー、この痛いのもキツいのもリタイアさせてほしい。