セ・リーグ初のクライマックスシリーズを、中日が逆転で制す!
2004年から6年連続でゴールデングラブ賞をダブル受賞した中日屈指の二遊間。
荒木雅博(左)と井端弘和(右)の「アライバ」コンビ
2002年以来日本シリーズから遠ざかっていた巨人は、前年オフにFAで門倉健、小笠原道大を補強。さらにトレードで谷佳知、大道典嘉、ドラフトでは坂本勇人、寺内崇幸らを指名して入団させている。FAで補強した門倉は不調だったが、小笠原は額面通りの活躍でチームを引っ張る。開幕戦で高橋由伸が先頭打者初球本塁打を達成するとチームはシーズンを通して好調を維持した。
その巨人とペナントを争った中日は、オリックスを自由契約となっていた中村紀洋が育成契約で入団、春季キャンプ中に支配下登録されている。中日はゴールデングラブ賞4人を輩出する鉄壁の守備力で巨人を追いかけ、JFKを擁する阪神と三つ巴の戦いを繰り広げていた。
レギュラーシーズンでは3チームが4.5ゲーム差で競りある大激戦の末、巨人が優勝を果たしている。
しかし、この年からセ・リーグにも導入されたクライマックスシリーズでは予期せぬ展開を迎える。
第1ステージでは中日が阪神を2連勝で破り、続く第2ステージで巨人と激突。2007年の時点ではセ・リーグクライマックスシリーズでは1位チームにアドバンテージがなかったのもあるが、中日は第1ステージの勢いさながらに巨人を3連勝でスイープ。危なげない戦いぶりで無敗のまま、中日がクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズ進出を決めた。
・パ・リーグ
投打に大きな軸を据えた北海道日本ハムが球団史上初のリーグ連覇
2007年のパ・リーグMVP。2013年シーズン終了時点で日米通算9年で122勝を積み上げた絶対的エース、ダルビッシュ有
北海道日本ハムは前年にSHINJOが引退、小笠原道大が巨人へFA移籍で退団。ドラフトでは2位指名の長野久義に指名拒否されているなど、前年より決して戦力が勝っていたわけではなかった。
それでも、投手陣ではダルビッシュをはじめとした投手陣が前年以上の活躍。打線でも稲葉篤紀が首位打者を獲得するなど、この年の北海道日本ハムは投打の軸がしっかりとしていた。
チームはセ・パ交流戦で初優勝を決めるなど常にペナントレースを優位に進め、首位にくらいつく千葉ロッテや福岡ソフトバンクを相手に後半戦からは隙を与えなかった。
首位通過で迎えたクライマックスシリーズでは、首位チームにアドバンテージが与えられず昨年よりは若干不利だったものの、勝ちあがってきた千葉ロッテを相手に苦戦しながらヌケヌケの3勝2敗で通過。北海道日本ハムが史上初めて、2年連続で日本シリーズに進出した。
・日本シリーズ
多方面に波紋を呼んだ「完全試合目前の継投」
2007年の日本シリーズであわや完全試合かと思われる好投を披露。
2010年の失敗を経て、2013年に念願のノーヒットノーランを達成した山井大介
前年に引き続き、中日と北海道日本ハムとの対戦となった2007年の日本シリーズ。この年からクライマックスシリーズの制度が変わったため、「リーグ優勝チーム=日本シリーズ出場チーム」とは限らなくなっている。
シリーズ史上初、北海道で開幕した初戦は北海道日本ハムの先発ダルビッシュが中日打線を1点に抑える好投で先勝。
しかし2戦目からは中日が主導権を握る。北海道日本ハムが貧打で苦しむ中、中日はまず2戦目で8点を奪う猛攻を見せすぐさま勝敗をタイに戻すと、ナゴヤドームに舞台を移した3戦目は北海道日本ハムの先発武田勝を初回に襲って大量7得点をマーク。最終的には9-1で圧倒、2連勝を飾る。
4戦目は、北海道日本ハムの吉川光夫が史上4人目となる高卒新人先発登板を果たすが、中日はしぶとく3点を奪って吉川を降板させる。7回には中村紀のタイムリーでダメ押しした中日が、そのまま3連勝で大手をかけた。
そして運命の第5戦、背水の陣の北海道日本ハムはダルビッシュを先発に立てる。中日は、かつて2004年の日本シリーズで相手の裏をかき好投を見せた山井を登板させた。
試合は2回に平田良介の犠牲フライで中日が先制した後は全くの膠着状態。そんな中で山井は、8回まで北海道日本ハム打線をランナーの一人も出さないまさに完璧なピッチングを見せていた。
完全試合達成なるかと思われた9回裏、中日・落合博満監督は山井に代えて守護神岩瀬仁紀を投入。岩瀬の投入については現在も賛否両論あるものの、岩瀬は重圧に耐えて3人をぴしゃりと抑え、日本プロ野球では史上初となる継投での完全試合を達成した。
中日はシリーズ史上初となるレギュラーシーズンで優勝していないチームとして日本一になり、1954年以来の栄冠に輝いた。
中日ベンチはこの時、山井が指にまめを作っていたこと、完全試合と言うめったにない機会を生かしたい投手心理、速く日本一を決めたいチームとしての心理でかなり揺れ動いていた。最終的には「継投で完全試合」と言う結果になったが、その功績とドラマは色褪せることはない。
・アラカルト
「野手転向」で一軍に定着したヒットマンたち
2001年パ・リーグ首位打者、2007年は一塁手ゴールデングラブ賞受賞。
千葉ロッテ一筋で2013年シーズン終了時点で1839本のヒットを放った「幕張の安打製造機」福浦和也
日本において、野球の花形と言われるポジションは投手だ。アマチュアでは特に「4番でエース」の選手が多いのはそういう事情によるだろう。
プロに入ると、高校ではエースとして鳴らしたものの、「野手として」指名される選手がいる。実例を挙げれば北海道日本ハムの中田翔、福岡ソフトバンクの今宮健太などである。
それとは別に、投手としてプロ入りした後に野手にコンバートされる選手もいる。ここでは最近の例を挙げて紹介していく。
投手からのコンバートが多いのは一塁手か外野手で、特に左投手はまずこのポジションしかこなせないのが多いため必然的に多くなる。現役では千葉ロッテ・福浦、東京ヤクルト・雄平、オリックス・糸井嘉男ら。特に糸井は野手へのコンバートで成功した典型例で、2009年にブレイクを果たすと以降はプロでも一線級の活躍をしている。また雄平も2014年に才能が完全に開花、左の和製大砲の地位を手にした。
右投げの投手はポジションの幅が広がり、メンツも多士済々となってくる。高校時代投手だった北海道日本ハム・中田や広島東洋・堂林翔太は三塁手としてプロ入り。横浜→北海道日本ハムの北篤も投手から三塁手に転向した例である。
さらに身体能力の高い選手はいきなり遊撃手にコンバートされる。現役では埼玉西武→アスレチックスの中島裕之、東北楽天・松井稼頭央、福岡ソフトバンク・今宮がその例である。松井は2002年にトリプルプレーを達成、中島も日本球界時代はリーグ屈指の強打者として君臨。今宮は身長171センチとプロでは小柄ながら、その体を目いっぱい使った魅力的な守備で2013年のゴールデングラブ賞を受賞している。
ちなみに、投手から野手に転向して名球会入りした選手は元巨人の柴田勲、元広島東洋の石井琢朗の2人。うち石井は1989年には投手として1勝を挙げている。