必見!! 『伝えるべき記憶と残すべき記録』
さて、いよいよ冬支度といった感じになってきましたね。
お待ちかね、みんな大好き福田さんです。
いや~ほんとに素敵なお話を聞かせてもらいましたよ。
日本人を救出したトルコ航空機
われわれにも記憶に残る、イラン・イラク戦争
そのさなかイランのテヘランにも爆撃がおこり
戦争は加熱していく。そのさなか、
「上空を通過するものは、民間機であっても撃墜の対象」とするサダム・フセイン宣言した。
実行まで残された時間は僅か2日後だった。
イラン在留外国人は、次々に空路で脱出を図る。
しかし、自国民以外は航空機に乗せてもらえない。。。
直接、乗り入れ機のない日本人は、何処の航空会社からも
「自国民優先」を理由に殆どが搭乗を拒否された。
日本の航空機も安全を理由に断られ、自衛隊なども制約などから乗り入れが出来ない
しかも治安が悪化し陸路での脱出は、数百を超える日本人にとって危険極まりない選択
まさに八方塞がりの状態だった。
脱出のすべを失った日本人に、一つの光が現れる
救いの手を
救いの翼が
差しのべられたのだ。
しかし、フセインの爆撃命令まで後3時間
その危険を冒してまで名乗り出たのが
トルコだった。
トルコ航空は2機のチャーター機を用意
当時イランには、約600人のトルコ人もいるなか
200名を超す日本人を優先し脱出するというのだ。
搭乗出来ないトルコ人には陸路を辿らせる。
そんな決断までしたには
『エルトゥールル号の遭難』
が大きく関わる
1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が
和歌山県串本町沖にある、樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。
トルコから日本に派遣されたこの船は、非常なる老朽化の為、幾度となく修繕を行いながら
シンガポールにて航海不可能とされる。
しかし任務遂行の為、なんとか日本に到着する。それは11ヵ月の航海に上った。
皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けたエルトゥールル号は
十分な休息もせず9月15日帰路に入る。
それは、出港以来蓄積し続けた艦の消耗。乗員の消耗、物資不足が限界に達していた。
また、当時流行していたコレラに見舞われたためでもある。
このような状況から遠洋航海に耐えないエルトゥールル号の消耗ぶりをみた日本側は
台風の時期をやり過ごすように勧告するも、トルコ側はそのまま帰路についた。
そして台風が直撃していた和歌山県串本町沖 樫野埼東方海上にて座礁
船体は砕け 燃え 爆発したという。
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者が数十メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせ
灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは総出で救助と生存者の介抱に当たった。
この時台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず
住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど
献身的に生存者たちの救護に努めた。
この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された
69名が救出することができたのだ。
そしてこの事態を、町から県へ、県から政府へ通達され
それを聞いた、明治天皇はこの遭難に政府として可能な限りの援助を行うよう指示し
各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、多くの義捐金・弔慰金が寄せられると共に
遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、69名の生存者は遭難事故の20日後の10月5日に
東京の品川湾から出航した日本海軍の「比叡」と「金剛」により翌年の1891年1月2日に
オスマン帝国の首都・イスタンブルに送り届けられた。
この事件は後の日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
そしてトルコの教科書にも載る誰もが知る、エルトゥールル号の遭難が
繋がりを、絆を育むのである。
イラン・イラク戦争 フセインによる爆撃命令まで後わずか
脱出に八方ふさがりだった200名以上の日本人
そのさなか、伊藤忠商事イスタンブル支店に勤務する森永堯氏に
東京本社からの緊急指令が入る。
トルコ国オザル首相に救援機を頼め。
確かにオザル氏と交友関係にあった森永堯氏とはいえ
要求することが事だったが
それでも無理を承知でも電話要請したのだ。
しかし、、、
オザル首相は『わかった、また連絡すれる』と言い残し電話を切ったのだった。
沈黙は暗黙にかわるのか
その時、森永氏に連絡が入る。
相手はオザル首相である。
『全ては整った。今度は我々が恩を返しをさせていただきましょう。わが友よ』
トルコ国民ならだれもが知るエルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義
友の危機に返さずしてどうする。トルコ航空からチャーター機を2機用意すると・・・
このオザル首相が決断を躊躇えば、脱出は叶わなかった。正に奇跡の救出劇だった。
救援機には自国民より日本人を優先搭乗させ日本人215人を含んだトルコ機が離陸。
しかしイラクの攻撃開始まで後3時間。
戦闘機ではないことを示すため、ジグザグ飛行を強いられたトルコ機内
手に汗にぎり祈り続ける乗客の姿
そして長い沈黙の末、
「ウェルカム・トゥ・ターキー」と機長のアナウンスが流れた
その瞬間、機内に上がる大歓声
空港に着き出迎えた家族の涙を見て
初めて命がけの脱出だったと胸をなでおろしたと聞きます。
『トルコ 世界一の親日国~危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空』 著者から
そしてこれをわかりやすく伝えていただいたのが
現和歌山県串本町長 田嶋 勝正 町長
われわれは言葉も人種も宗教も何もかも違う国の方とも深い絆ができる。
そう感じさせられる話でした。
自分に出来ることを、誰かの為に。
心意気には粋な計らいで答える
古いといわれても義理と人情だと
そう感じます。
ありがとう~
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