第8章 対空決戦

 

お昼過ぎ、汽笛を鳴らしてついに船は静かに動き出す。
兵隊は二列に前後に並ぶ。隊長が、
「宮城に向かって、最敬礼」と号令を掛ける。その後、
「故国の見納めだ」と、大きな声で言う。
「良く見て置け」
兵隊にはこれが最後になるかも知れない。
私達みんなも複雑な気持ちでじっと見つめていた。
ある者は陸地を・・・ またある者は兵隊を・・・・
周りの艦や艇、貨物船などは、軍港から出る武装した輸送船は南方に行くものと察して、
「無事に帰って来いよー」と、手を振り見送ってくれた。
「本当にもう最後かもしれない」覚悟を決めると、恐ろしくなくなる。
何処を見ても火薬だらけである。
まるでダイナマイトを身体に巻きつけているようなものである。
「成るように成れ」といった気持ちである。
港を出ると甲板には、便乗兵隊が二メーター置きぐらいに見張りに付いた。
大勢いるので水不足が心配である。ポンプには鍵が掛けられ、飲み水以外は一日に洗面器一杯の配給である。風呂は海水である。
兵隊の食事は麦の一杯入った飯に、沢庵、魚のぶつ切りの味噌汁である。漬物が変わるぐらいで毎日同じである。
見張りを続け、また鹿児島港に入港する。


もう三月小春日和、桜島は相変わらず、黙々と黒い煙を吐き出していた。あちらこちらに桜が咲き始めていた。
船内は朝から、
「体操だ、飯だ、水の配給だ」と忙しい。
同じように慌ただしく毎日が過ぎる。

三日ほど船団待ちして、二、三艘の護衛艦と一緒に五、六艘で鹿児島港を後に出港した。目立たないように船団は五、六艘で出るらしい。
今度は台湾の手前で、沖縄の先あたりへ行くらしい。万が一無事に着いても、帰りは生きて帰れる保証は無い。
錦江湾を過ぎ、佐多岬が見える。いよいよ危険海域に入る。身体に緊張が走る、その時、
シリンダークランク故障。航海不能」と機関部より連絡が入る。
直ぐ、護衛艦に、
「キカンコショウ、ゾッコウフノウ、ヒキカエス」と手旗信号を出す。
「リョウカイシタ。ヤマカワノ、ミナトニ、ヒナン、シュウリセヨ」と返事が返る。
速力を落とし、指宿温泉のある山川港に錨を下ろす。
山川は木船を作る船台があり、船大工が木造船作りの作業をしていた。
小さい漁港である。修理期間中は機関部の連中は真っ黒油だらけになって大変らしいが、こちらは退屈でしょうがない。
賄いや兵隊達は金はあるが金の使い道が無かっただけに喜んで配給の酒を持って、伝馬船の櫓を漕いで上陸して行った。
お膳を前にして、女中相手にご機嫌であったようだ。
夕方迎えに行ったら、すっかり酔っていて、
「アー、良い所に来た」と言って女中に膳を運ばせ一緒に料理をご馳走になる。
「まあー、可愛い兵隊さん」と女中に冷やかされて顔を真っ赤にして帰る。
つかの間の命の洗濯である。
二日ぐらいでクランクをばらし、一つのシリンダーをフリーにして、無理をしないようにのろのろと鹿児島に引き返して行った。
直ぐ修理に部品が出されたが、大きい部品なので急いでも修理するのに十日以上掛かってしまうらしい。
そのまま修理を待ち待機していると、一週間した頃、武装した貨物船が、次々と入港して来た。
東洋汽船の戦時標準D型の「扇洋丸」が本船と一緒に行く予定らしい。
扇洋丸には、戦艦や空母に体当たりする、ベニヤ板で出来た人間魚雷艇、通称「青蛙」が甲板に山積みに積まれていた。

沖縄には敵の機動部隊が近づいているらしく、士官が武官府で聞えた話では、
「この前一緒に行こうとしていた船団は沖縄どころか途中で全滅した」との事だ。
「故障して命拾いした」と深刻にひそひそと話しているのを盗み聞きした。
敵はサイパンを撃滅させ硫黄島を占領し、そこに飛行場を作り本土を空襲している。軍事工場を爆撃し生産不能にしている。敵はじわじわと本土に接近している。沖縄を目指しているらしい。
我が軍は沖縄を取られたら終わりである。本土決戦になってしまう。何が何でも沖縄を守らねばならない。続々と、決戦のための沖縄行きの命がけの輸送船が終結した。

 



もう少しで出港できる体制の時、武官府の司令部より、
「敵機動部隊が航空母艦を引き連れて鹿児島方面に接近せり。敵機来襲の恐れあり。艦船は急いで桜島に避難し戦闘攻撃の体制に備えよ。
爆撃に対し消火準備せよ」と連絡入る。
不気味にサイレンがけたたましく鳴る。
艦船は皆桜島に避難の移動を始めた。
港には機関故障の本船だけが取り残された。爆弾でも落とされたら終わりである。兵隊は足にキャハンを巻き鉄兜を被り滞空戦闘の用意をする。「戦闘準備用意良し」の声。
敵機来襲を待ち、空を警戒していた。
便乗兵隊も、隙間がない位に三脚を立て機関銃を装備し、待機していた。
私達は消火器を全部だし、バケツで薬剤を研ぎ、詰め替える。木栓やホースなど消化準備で大忙しである。
担架も出し救護体制も整う。
「本当に来るのか?」
静かで、不気味である。足がガタガタ震いているような感じである。 
飯を食べたが胸がつかえて入らない。
鹿屋の航空隊から、飛行機が爆撃に行ってくれるのかと思って、
「今か、今か」と飛び立つのを待っていたが一機も飛ぶ気配がない。
「いったい何をしているのか」腹が立った。
どうやら司令部の考えは、
「桜島の裏側から敵機は来ない。万が一、市内の方角から来たとしても、敵が艦船を爆撃すればその反動で操縦を誤り櫻島に衝突するだろう。だから安心である」と言う甘い考えであった。
「来ないだろう」と思ったその瞬間、錦江湾の方から海面すれすれに編隊を組んで敵機が飛んでくるのが見えた。
まるで鷹が餌物を襲うように、艦船の上を目掛け、羽を平らに返したと思うと突っ込んで爆弾を落とす。
「撃てー」の大声。
「ダダダダダダー、ダンダン」機関砲や機銃の音。
もう何が何だか夢中で、ボオーと突っ立って眺めていた。
先輩が、
「馬鹿!体を小さくして隠れろ」と言ってくれたので、
「ハッ」と我に返り急いで,しゃがみ込む。
敵は容赦なく、次から次と艦船を狙い爆弾を落として行く。
すると、人間魚雷の信用艇青蛙を積んだ賢洋丸が火を吹き、凄い音と爆発を起こし沈んで行く。
そこの場所は浅いので前の方と船橋は海面から出たままの無残な姿で残る。
また、他の船も二、三隻火災を起こし犠牲になる。
本船は攻撃してくる敵機を撃ちまくる。
その中、敵機が火を吹いて櫻島の裾の方に落ちていった。
「やったあー」声を上げてみんなで喜ぶ。
喜んでいる暇も無く、
「水だ。雑巾だ」と叫ぶ声がする。
急いで持って行くと、機関銃が焼けて赤くなっている。
雑巾を当てると、
「ぢゅっ」と音がした。
どうやら敵の飛行機は去ったようである。
急いで弾倉に弾を詰め、次の来襲に備えた。
初めて経験する空との戦かえである。
敵は艦船に損害与え、満足して悠々と引き上げたようである。
敵は想像以上に勇敢で技術に優れていた。
それでも本船から撃った弾が当たり、一機撃墜二機大破したらしい。





空襲警報は不気味に鳴り続けていた。
各船からは怪我人や戦闘で死んだ人などが鹿児島の町に向かって必死に運ばれていた。
本船にも二、三機向かって来たが、機関銃に驚いたのか、桜島の艦船のほうに方向を変えたので助かった。
代わりに桜島の艦船に突っ込んだようだ。
冷やりとさせられる危ない場面もあったが、どうにか助かった。ホッと胸をなでおろす。
引き続き交替で昼食を取り警戒していた。
三時頃、桜島の裾伝いに影のほうから再び編隊で次から次と飛んできた。
どうやら航空隊鹿屋飛行場を狙っているらしく、次々と爆弾を落としては去って行く。
また夢中で、敵の飛行機を撃ちまくる。
あまり夢中になり過ぎて隣の機関銃隊の顎をかすめて撃ってしまい重症を負わせるという事故までもおきてしまった。
みんな、生きるか死ぬか無我夢中なのである。
直ぐ救助隊が船に乗せ病院へ運んだ。
航空隊の方は油に火がついたのか,黒い煙が黙々と吹き上げていた。
火災サイレンが鳴り響き大騒ぎである。
敵は航空隊に損害を与え、目的を遂行したのでさっさと帰っていった。
航空隊は夜になっても暫くは燃え続け、かなりの損害を被ったようだ。
飛び立てるようになるまでかなりの時間が掛かるらしい。
次の日、駆逐艦が来た。何かと思ったら、司令部からの命令で、この船が敵の攻撃を受け、もし爆発でもしたら鹿児島の町が吹き飛び危ないから遠くに曳いて行く」との事である。
直ぐ準備して駆逐艦に曳かれて桜島の島影遠くに錨をおろした。
四、五日いたけれども幸いにして空襲は無かった。
その間に修理に出していた部品が届けられ、機関の故障個所の修理が終了する。
いつでも出港できる体制になり司令を待った。
待機していると、司令部から、
「沖縄は黒山の艦船や機動部隊に取り巻かれ、艦砲射撃や爆弾の雨らしい。行っても無駄である。
それに、人間魚雷艇を積んだ賢洋丸が桜島で沈んでしまったために、いくら火薬があっても其れを乗せる物が無い。作戦が駄目になってしまった。従って一旦佐世保に帰れ」という命令が来た。


船は桜満開の鹿児島を後に敵機や潜水艦攻撃を警戒し、見張りを続け軍港佐世保に帰った。
軍の将校らしいのが来て、兵隊士官を集め、鹿児島の戦闘で敵機一機撃墜、二機大破させ敵に損害を与え、船を護った。と感謝状が渡された。
これを貰うと、外から良く見える船橋の所にペンキでトンボの絵を書き、その下に一を書きそのまた下にバツを書く。
この船は飛行機一機撃ち落としたという戦果マークである。
これがあると鼻が高く、威張れる。
潜水艦を沈めると、卵に箸を立てたように書き、その下にバツとか半丸とかを書くバツは相手を大破させたという意味である。それで敵に与えた損害や戦果が分かる。他の駆逐艦の艦橋を見ればその艦の戦果がわかった。 
宮古島行き便乗兵隊は直ぐ引き揚げ下船していく。
その後、作業員が静かにそして慎重に爆薬を下ろしに掛かる。
一つ減るごとに胸のつかえが取れて行くような感じでホッとする。
こうして宮古・石垣島行きの積まれていた食糧や弾薬は全部荷揚げされて、船は元のように空になった。
毎日ダイナマイトを体に巻いているような恐怖の日々と身の縮む思いの生活は、エンジン故障で命が救われた。
また艦載機の攻撃を逃れて、宮古・石垣島行きは中止になり人間魚雷の爆薬は陸揚げされて、ほんとうに幸運の一言である。
恐ろしい日々が終わった事は、どんなに嬉しい事か、あんな物があっては夜も安心して眠れない。
爆薬という肩の荷が下りて、何はともあれ乗組員は全員ホッと喜んだ。
その頃沖縄の決戦は死にもの狂いの壮烈な戦いであった。沖縄を取られたら日本は終りである。
日本が危ない!
今沖縄は本土の防波堤となり、日夜戦う兵士達が、
「食糧、弾薬の補給はまだ来ないか」と待ちつづけている。
何が何でも食べ物と弾薬を補給せねばならない。

本船が急に司令部の命令により特攻輸送船として行くことになる。
「食糧を積み、沖縄の海岸に船ごと乗り上げて日本軍守備隊に補給せよ」の命令が出た。
「一刻でも早く届けろ」との事。
それから直ぐに夜通し荷役が続けられ、食糧などが積まれた。
話によると、隣に停泊している海軍上陸用舟艇と一緒に行くらしい。
本船には俵詰めの米、鍋、釜、醤油味噌など戦用の食糧を積んでいた。
隣の上陸舟艇には、取り急ぎ地雷や弾薬砲弾を積み込んでいた。
明日出港する予定なので積み荷の作業を急がせる。
「早く、早く」と追い立てる。
あまりに焦らせたためか、作業員が肩に担いだ弾薬箱か何かをちょっと落としてしまったらしく、爆発してしまった。
直ぐ他のにも引火して、入れ口の前から花火のように次から次と炸裂。火の玉が飛び出る。
「ピーポー。第一消化隊配置に着け」
「第二消化隊配置用意良し」
さすが訓練が出来ている海軍である。ほんの何秒かで水が出て消化に当たる。
本船も周りの船も驚いて、どうしたものか迷っていると軍港消化艇がすぐ来て周囲から消してくれる。
本当にさすがである。来るのが早い。
黒い煙を出しながら、消化を続けた状態で曳き船が沖のほうに上陸用周艇を曳いて進んで行く。
かなり鉄板が焼けたが、前の方だけで損害はすんだらしい。
しかし、沖縄に行くどころの騒ぎではない。さあ、困った。代わりの上陸用周艇が無いらしい。
荷役は終わったが、本船だけでは駄目である。出港は無理である。

二、三日指令を待った。
しかし、一日、一日、と待つ間にも沖縄は戦況が不利になる。敵は艦砲射撃で日本軍を撃滅し、上陸したらしい。
途中で敵の艦載機の襲撃にあってしまうので日本の艦艇が近づけなくどうしょうも無いらしい。
司令部も諦めたらしく、積んだ食糧をまた陸揚げする。再び船は空っぽになった。
一方で、魚雷艇が佐世保を出て沖縄に出撃するのを見る。魚雷艇に左右一本づつ積み、船室も無いような小さい魚雷艇である。
「あんな小さい艇が無事沖縄にたどり着き、敵戦艦に発射できるのだろうか? その前にしけにでもあったら転覆するのではないだろうか?」と、特攻隊として出撃する兵隊がとても哀れに感じる。
駆戦艇など白鉢巻き姿で勇ましく特別攻撃艇として手を振りながら出撃していく。
もう二度と帰る事は無いのではないだろうか?これもお国のため。しかた無いのである。
すでに沖縄は玉砕らしく、いよいよ本土決戦である。最後の一兵まで駆りだして戦わねばならない状況である。



今度は、壱岐、対馬が無防備なので防備するとの命令。また、砲身砲台や軍の物資を積み始める。
二、三日で荷役も終わり、海軍設営隊三百人位を乗せて朝出港する。
近いので夕方頃までには楽に壱岐の郷の浦港に到着し、兵隊を降ろす。
島は麦畑が多く静かである。ここは平和そのものである。戦争などどこか遠い国ででも、している感じである。
海は青々としていて、白い小魚が海の色を変えてしまうほどたくさん泳いでおり、大きな魚に追いかけられて、
「ピシャピシャ」と元気よく跳ねていた。別世界のようである。
次の日から荷役が始まったが、設備が無いため漁師の舟を借り集めて少しずつ陸揚げする始末である。
櫓を漕ぎながらの作業で大変である。さらに重量物の砲台をどうやって下ろすか、こまる有様である。
兵隊が上陸して豆と、するめを手に入れて来て、一枚焼いてくれたので皆んなで分け合ってたべた。美味しかった。
苦労した荷下しも何とか終わり、半分残して船は対馬に向け出港した。
やはり近いので三時間位で厳原の港に到着した。 崖や山が大きい島だと感じた。
朝鮮に近いせいか、港には待機しているらしい近海航路専用の戦時標準型船が結構入っていた。
ここも設備が悪く、苦労して残りの荷物を下ろした。
隣に停泊している民間の無防備の戦標船が、何処かで敵の襲撃にあったらしく機銃掃射で穴だらけで蜂の巣のようになっていた。
多分敵はどこかの攻撃の帰りに、無防備をよいことに、少し遊んだのだろうか、犠牲者も出ただろう。怖かっただろう。
無抵抗なものに対してひどい事をしやがった。ムラムラと怒りが込み上げてくる。
先輩が、
「周艇用のアルコールを手に入れた」とニコニコしていた。
たぶん上陸して皆んなで飲むのであろう。瓶のふたを取り匂いを嗅がしてくれた。油くさく、よくこんな物が飲めるものだと驚く。
まるで毒を飲むような者だと思った。

次の日、対馬で戦士した飛行兵などの遺骨を士官食堂に安置して佐世保に戻る。
港に到着すると直ぐ、遺骨を取りにきて一体ずつ胸に抱かれ下船して行く、みんな仕事をやめ、敬礼して見送る。
こんなにもたくさんの遺骨。自分が生きている事が不思議である。

「直ぐ朝鮮の鎮海に行け」との命令で出港する。
私は初めて朝鮮という変わった所に行けるのが嬉しかった。
もう沖縄は敵の手に渡ってしまったらしい。敵は沖縄に飛行場を作り、本土を空襲し、徹底的に叩くらしい。
話でわは、日本が半年掛かって作る所を、敵は機械を使って一ヶ月位で作ってしまうらしい。
護衛する船も無いのか、こんなぼろ船に海防艦が護衛についてくれた。
「もったいない優秀な海防艦も今、戦争に行けばどうせ沈められるから行っても無駄なだけかも知れない。 それとも本土決戦に備えているのか」などと思いながら、護衛してもらった。
いつしか五月も過ぎ、近海の山々は青葉若葉に染まる季節になっていた。見張りをしていると、とても気持ちが良く眠くなっしまうような陽気である。
朝鮮に近ずくと、話に聞いた通り山々は剥げ山が多かった。
無事軍港鎮海に錨を下ろした。港には軍艦も貨物船もあまり入っていなかった。
朝鮮は日本の国だけれども、服装や言葉が違っていた。
消耗品や食糧を取りに港の倉庫に行くと子供を腰のあたりで、うぶっている女の人や頭に荷物を載せて平気で歩いている人がいた。
「日本と違うな」と思った。
荷物は何を積むのかと思ったら、木箱に詰めた牛の缶詰めであった。
食糧もかなり落ち、おかずも不味い毎日なので、牛の缶詰めを食べたかった。
荷役の終わった後箱の崩れた中から仲間と一緒に盗んで、一缶開けて食べた。
「美味しい。こんな美味しい物。生まれて初めて食べた。世の中には美味しい物があるんだなあ」と思った。
他にもハムやベーコンなど色々積んだ。
賄いから水夫に変わった先輩に、ハムってどんな物と聞いてみる。
「ハムもベーコンも田舎っぺには解らんだろう。べろが抜けるぐらい美味しい物だ」と馬鹿にされる。
いくら説明されても、見たことも、まして食べたこともないのだから考えても解らない。
廃油で作ったどろどろの石鹸などが空き缶に詰められてから、積まれていた。
こんな石鹸でも油だらけの作業服を洗うに大助かりである。内緒でちょっと頂いてしまう。
人夫には日本語が通じないのがいて、悪口でも言われているようで嫌な感じである。荷役も終り、海防艦の護衛で佐世保に帰る。
軍港には優秀な艦も船もいない。何か心細く感じる。
情報が少しも入らないので、誰もが、
「そのうち硫黄島や沖縄をいっぺんに取り返す時が来るだらう」と信じていた。

日に日に空襲も激しくなっていた。
朝鮮から積んできた牛缶や雑貨品も荷下ろしされ待機していた。
鹿児島当たりは毎日艦載機の襲撃が激しく物資運び込めない。
佐世保管轄ではもう、船も行く所が無いらしい。

今度は舞鶴管轄になるらしく出港する。
北九州若松で石炭を補給するらしい。関門海峡に近づくと、敵B29が落とした機雷で海上は封鎖され動けない状態である。陸軍暁部隊が、漁船から丸い鉄の大きな缶やドラム缶の筏を長いワイヤーロープで曳き、機雷を爆発させて掃海し、航路を必死に開いていた。
ドトーン。と凄い泥波の山しぶきを立てて爆発している。
何時爆発するか分からない、沈んで見えない機雷は恐ろしいやら驚きやらである。
あちらこちらに、無残に頭を残して沈んでいる船が見える。
機雷には、磁気を帯びた機雷と振動や圧力それに音響、つまりスクリュウの音を察知して爆発する物とがある。
この中でも音響機雷が掃海しても取り除く事が出来ないらしく大変困る。海軍も懸命に航路を開いて行く。ブイに赤旗を立てて、ここは危険区域とか、ここは掃海済み区域とかに分けていた。
瀬戸内海も封鎖され船は通れないらしい。なすすべも無く掃海した後を恐る恐る静かに通り、何とか若松港に錨を下ろした。
その晩、夜中にB29の空襲をうけ、港に機雷をバラバラと落とされた。
「ズブッ、ズブッ」と機雷の沈む嫌な音が聞こえる。



何処に落ちるのか解らないので恐ろしい。
震えが全身に来る。敵は攻撃されないので悠々と正確に機雷を落として立ち去る。
暫くすると、磁気機雷の磁気が作動して、あちらこちらで爆発する。危なくて夜も、うかうか寝ていられない。
「一体どうなっているのか?これで戦争に勝てるのか?」全く命がいくらあっても足りない。
空襲は益々激しくなり、一日に三回や四回は、ざらになる。気にしていると仕事もろくろく出来ない。
夜はゆっくり眠る暇もない。港の中であっちで「ボーン」こっちで「ボーン」と爆発するので、おちおちしていられない。
我々は死ねば軍属として靖国神社に祭られるが、石炭人夫たちは何の補償も無いので全くの犬死にである。
石炭を積みながら、びくびく恐ろしがっていて可哀想であった。
恐ろしいのはみんな同じで、連合国の捕虜達も、せっかくここまで辛抱してきて味方の機雷で死にたくは無いらしく、怖がり怖がり荷役をしていた。大きな体を石炭の粉で真っ黒にしながら働いていた。
辰馬汽船の船が完璧に移動しようと動きだしたら、
「ボボーン」と煙突位まで水しぶききと波を立て、凄い爆発をした。
見る見る沈んで行く。
掃海艇が懸命掃海しているが、音響機雷は船の水進機の音を察知するので取り除くのが難しいらしい。

燃料の石炭を補給し恐る恐る若松港を出た。沖の方には海軍の警備艇などが鉄の筏のような物を曳き、時々爆発をさせながら必死に掃海していた。
陸軍も浮き袋を着けた兵隊達が漁船に乗り掃海をしていた。
本船は掃海した赤旗の内側を走り、関門海峡門司港にどうにか到着し、岸壁に係留した。
岸壁には掃海艇や駆逐艦、それに小さい艦艇が横付けされ待機していた。
関門海峡も瀬戸内海も封鎖され、船は動けない状態であった。
その晩も敵のB29の爆撃機の空襲があり、機雷をばらまかれた。
若松の方から来た敵機を海峡入口の山の上から、下関の方に探照燈機で敵機を捕らえ照らし続け、今度下関の方に照らし続けて行く。
次に連係良く門司の山の上で照らしながら敵機を送って行く。タイミングが合って凄く気持ちが良い。
そのうち下関の山上から、
「ポン、ポン」と撃つ音がする。
火の玉がスウーと飛ぶのが見える。
「何だ、鉄砲の弾ってこんなに遅いのか」とつくづく思う。
すると今度は駆逐艦が、次々に来る敵機に対して艦砲を物凄い音を立て撃ち始めた。
しかし、驚かしに撃つぐらいである。
敵は悠々と機雷を落として飛びさって行く。
悔しいやら、腹がたつやらであるがどうしょうもない。
本土決戦に備えているのか、ほとんど撃ち返さない。
「いったい軍は何を考えているのだろうか」あきれて物も言えない。
「一体戦争はこの先どうなるのか。今、戦争はどうなっているのか?」
情報がまったく入って来ないので、私達は、
「そのうちきっと軍が反撃に出て一度に敵を叩くと物」と信じて疑わなかった。
次の日、支那の天津から連れられて来たと言う人夫が大勢きてセメントの荷役が始まった。
彼らは捕虜と違い、一、二年すると帰れるらしく若い連中で、監視もないのに良く働いた。
岸壁で荷役作業を見たり、油をくれたりしていると、五、六人の人が本船を懐かしそうに眺めながら何か話をしていた。
そのうち近寄ってきて、
「同じ会社の者です」と言う。
「いったいどうしたんですか」と聞いてみると、
「鹿島丸に乗っていたのですが、門司の入口当たりで機雷に当り轟沈してしまったのです。皆んな死んでしまい五人だけどうにか生き残ったのです。助かった私達は今、この近くの寮にいるのです」と言う。
余りにも毎日人が死ぬので、気の毒とか悲しいとか感じなくなってしまっている。第一明日は我が身に降りかかるのだから、人のことに同情していられないのだ。
毎日、毎晩、空襲は益々激しさを増していった。
最初は恐ろしかった空襲も回が重なるにつれて次第に慣れっこになり、
「またか」ぐらいにしか思わなくなってしまった。
昼間は支那人の人夫がセメントの粉を頭から被りながら積み荷役をしていた。

 

下関のドックには同じ会社の「稲荷丸」がおり、乗組員が本船に遊びに来ていた。
話では、ドックに入りドックの水を引いたら不発の機雷が出てきて吃驚、大騒ぎになったとの事である。
「不発でなかったら今ごろ、お陀仏だったと」肩を震わせながら言っていた。
直ぐ泊地(はくち)応救隊が来て、頭に白の鉢巻を結び、水杯を上官と交わして敬礼し、信管を抜きにかかったそうだ。
一歩間違いたら一巻の終わりという命がけの隊である。
命を陛下に預けた「泊地応救隊」という新しく編成された隊だそうだ。
爆薬の信管を抜いたり、沈む船に乗り込み大切な物を取り出したりすると言う命がけの仕事をする隊だそうだ。
この隊に入ったら命は無いと思ったほうが良いだろう。
毎日が不安で、先の見えない闇の中にいるような嫌な感じの日々である。 そんな毎日でも、いや、そんな毎日だからこそ空襲の合間に映画を見に行ったりもした。
「牧場の朝」という題名のような映画を見た。場所は浅間高原で自然が一杯である。平和で明るく、皆んな伸び伸びと草刈をしたり、羊の世話をしたりしていた。
ある日、一匹の子羊が牧場から逃げ出し迷子になる。
その子羊がなんと筏に乗り川にどんどん流されてしまう。
急を知った子供たちや村人達が「メぇーメぇー」と泣いている子羊を、危機一発で助け出すと言う感動的なものである。
とても良かった。
「平和っていいなあー」とつくづく思う。
戦争が終わり平和が来るのは、いったい何時の日なのだろうか?
今日は今日、明日は、明日。いつ死ぬか解らない毎日である。そんなことも気にせず仕事をしていた。

敵は二、三日置きぐらいに飛行機で来て機雷をばらまき、完全に海上を封鎖していた。
やっと、荷役も終了し後片付けをする。何時機雷を受けても飛ばされないようにワイヤーロープで甲板のものを締め付ける。
動けば、いつ機雷に触れ爆発するかわからないので。落下物で怪我などしないように厳重留める。
二時頃、錨を巻き上げ恐る恐る港を出る。機関部の連中など機雷に当たれば一巻の終わりである。ビクビク恐れながら当直に入る。言葉に言い尽くせない程哀れ可哀想であり、気の毒であった。
全員非常警戒態勢を取りながら、海軍や陸軍の船舶兵の掃海した、白、赤の目印に船は走る。
海峡をぬけ、町も遠ざかり日本海に進路を取ろうとした時、朝鮮方面で大豆を甲板に山積みに積んで戻って来た戦標船改E型が、前の方から本船の目の前に迫ってきた。
「危ない!」本船は右に舵を取り、相手を左にと船をかわした。と、その途端、
「ドドーン」と凄い音と共に、船橋まで真っ黒い物凄い波を被る。
相手の船が機雷に触れたのだ。
本船もかなりの振動を受けた。機関の連中は、
「やられたー」と思い、煤だらけの顔で機関室から飛び出してきた。
見る見る相手の船はグラリと傾き、大豆が入っている、かますや、米の入っている俵が崩れ海に落ちる。
飛ばされて怪我をして動けない者がいる。浮きを持ってても海に飛び込めないでうろうろしている者もいる。
「飛び込めー!」と大きな声で呼びかけても、ただ焦って右に左にうろつくばかりである。
海に飛び込むことが出来ないために、沈む船にただ必死でしがみついて、ついに船もろとも巻き込まれてしまう。
何が何だかパニック状態でどうしようもない。
「助けてー!」と、四、五人が本船に向かって泳いで来る。必死に泳いで来るその後ろから、そのうちの一人を目がけてマストが倒れてくる。
「危ない。危ないぞー」と、大きな声を掛けるが間に合わない。
マストと一緒に沈んでしまった。
船は横に傾き、あっという間に後ろから沈んで行く。見る見る間に船は前を残し、何もなくなってしまった。
蟻地獄を見るようである。後から木箱や板や縄や軽いゴミ屑などが浮かんできた。
目の前で地獄を見ているようだった。何もかも一瞬の出来事である。何人助かったのだろうか?
多分機関の連中は絶望的であろう。
誰一人助からないであろう。気の毒である。
このような生き地獄を目の前にして、無情にも本船は走リ続ける。
救助しようととして、うっかり航路でもはずれようものなら大変な事になるからである。
機雷にでも触れたら、今度は自分の船が二の舞いになる恐れがある。
幸いにして、木帆船も走っているし、遠くで釣りをしていた伝馬船が目撃して必死に櫓を漕ぎ救助に向かってくれていた。
「早く頼む。一刻も早く」と祈る気持ちで一杯であった。
本船はどんどんと遠ざかって行く。
掃海艇は相変わらず、
「ボーン、ボーン」と機雷を爆発させていた。
あちらこちらにマストだけを出した船が沈んでいた。なんと無残な姿であろう。
こんな状況でも、神風が吹くとか、特攻隊が反撃に出るとか信じ続けていたのである。
何とか無事に脱し、沖に出て一安心する。
しかし日本海にも、うようよ潜水艦が入り込み獲物を狙っているとの事である。
空も海も敵の思うままである。情けない。
軍部は何をしているのだろうか?、これからどうなるのか?
全く解らない。もっと情報がほしい。
「駆逐艦の護衛も着けられないから、夜は危険だから走るな」との命令である。

その晩は島根県の漁港、境港に避難し一泊した。
山は青葉である。梅雨に入ったのか、雨はシトシトと降り続いていた。
空襲も無く静かで、戦争など夢だったのではないだろうかと思わせる感じである。

 

第9章 「機雷爆発」に続く