5章 武州丸やられる

 

いつ出港したのか朝起きると武州丸が大きな波に揺れながら前を走っていた。その後ろを本船が揺れながら走っていた。遠くに六点五ミリの機関銃を船橋に装備した漁船の海軍護衛艇が波をあびながら必死に走っていた。喫水が浅く魚雷が通りぬけるので潜水艦も魚雷も怖くない。
しかし、小さいのでシケが怖いらしい。
「護衛するのか、されるのかこれじゃ敵潜水艦に舐められるわ」などと賄い長が笑う。
東京港が開港したとき、建造された同じ会社の同じ型のぼろ船が二雙仲良く兄弟のように走っていた。疎開者はみんなシケのため酔っているようで誰も顔をださない。寝ているのだろう。朝鮮人の機関員が
「本船に乗れば、女の裸が飽きるほどのぞけるのに」と私に話しかけてきた。
「はい、そうですね」と心にもない同意の返事をしておく。先輩には、
「ハイ、ハイ」といつもへこへこしていないと、後で
「生意気だ」と殴られるからだ。
ジグザグ運転しながら厳重な見張りを繰り返し、二晩が経つ。明日の夕方には鹿児島に着く。
その晩は昼間の疲れから何も知らずに寝ていた。誰かが揺らすのに目を覚ます。悲壮な声と震える声で、
「武州丸がやられた。起きろ。起きろ」

 


私は寝ぼけマナコで飛び起きる。
「浮き袋を着けろ」と怒鳴るように言って、急いで出ていってしまった。
「ハッ!」と我に返る。
全身に緊張感が走る。部屋は真っ暗である。もちろん明かりは点けられない。服を着るのに焦ってボタンがしまらない。ズボンも思うように履くことができない。
靴を履こうにも靴が見当たらない。探そうとしても手探りなのでどこにあるのかちっとも分からない。
手も足もブルブル震えている。浮き袋を着けようとしたが今度は紐がどうなっているのかこんがらがってしまって被ったものの手が出ない。
どうして良いのかわからずそのまま焦って甲板にで出た。外は凄い雷のどしゃぶりである。
部屋の通路に逃げ込むと、機関員達がひそひそと話していた。
「浮き袋をちゃんとつけろ」と紐をたぐりよせ手を通させてもらった。ちゃんとかぶり胸と背中に絞め、着けなおしてもらった。
いきなり、稲光が「ピカッ!」と光る。同時に船全体が
「ピカッ」と照らし出される。一瞬船が丸見えになる。嫌な感じである。敵の目標になり、今にも魚雷がきそうである。
恐ろしいと言うか、嫌なというか、何とも言えない感じである。
「今やられるか、今やられるか」
手に汗をかき、ただ震えて背中を丸め敵に見つからないよう小さくうずくまるだけである。自分が隠れても何もならないのだが、ただ必死である。
次の瞬間は水の中かもしれないのだ。それより自分の存在が消えているかもしれない。頭の中をぐるぐるいろんな事が回っている。
「ドドン!」と大きな音がする度、
「それ、やられた」と外に飛び出す。
「あー大丈夫らしい」ほっとしてまた、隅に隠れる。
機関室の連中はどんな思いで石炭を炊いているのかと思うと可哀想になる。
諦めているのか?観念しているのか?
まだ、近くを泳いでいる仲間もいるから爆雷投射はできない。船はただ全速力でジグザグに逃げるだけである。稲妻が船体を照らす度、敵に見られたのではないかと思うと寒気がし嫌な感じである。今にも魚雷が飛んでくる感じ。
どれくらい走ったのであろうか?船橋から
「爆雷やるぞー」の大きい声。海軍の
「準備良し」の声。すぐ「投射」の声。飛ばされないように鉄柱に掴まる。待つこと三、四分。それさえも長く感じられた。
「ピカリ!」と光った瞬間、
「ドドーン」と大きな音がして船が揺れ、一瞬スクリューが止まる。誰かが「やられた、飛び込めー」と叫ぶ。見張り員が「爆雷だ安心しろ」と言う。

 



「凄い振動があったから、敵潜水艦を沈めたかも」
「敵も驚き、逃げるだろう」と今までの緊張が一変にほぐれただ、みんなの口元がゆるむ。
「武州は可哀相に。轟沈だもの。暗やみで何も見えずただ、キャーと言う叫び声と、ボイラーが爆発し蒸気が吹く音が聞こえるだけだった」と見張り員が話す。交替の見張り員が、
「敵潜水艦が一緒に走っていたようで、ちょこちょこ潜望鏡らしいのが見えた」と話す。
夜中の一時、種子島を過ぎたあたりらしい。暫くは緊張は続き、そのうち雷も遠くに去り、雨も止む。微かに地平線が明るくなり、船橋も静かになったようなので、浮き袋を着けたまま部屋に帰り寝る。暫くは興奮して眠れなかった。


朝起きて、周りを見ると本船以外何もない。船は何もなかったように煙突から煙をもくもく出しどんどん走って行く。昨夜の出来事は悪夢であったかのように、何もかも忘れて爽快に走っている。遠くに木帆船を見たとき、
「あー、もう安心」と胸をなで下ろす。

 

 

いつもと同じく部屋を掃除し、食事の支度をする。飯を運んでいると、先輩達が飯を食べながら夕べのことを話していた。
「あの野郎、鹿児島に着いたら腰が抜けるほど女郎を買うと言っていたのに死んだか。可哀相に」
「女、子供全滅だな。二百人ぐらい乗っていたべに」
「戦争だからしようがない」
食事が済むと、当直以外はみんな死んだように寝ていた。

 



昼頃、鹿児島港に着き錨を下ろした。陸を見ると何事もないように平和そうである。まるで、私達だけが戦争をしているようである。
すぐ荷役準備をする。たぶん持ち主の消えた荷物だろうと思いながら荷物を上げる。続いて材木、ぼろバスも上げる。
薄暗くなり、荷役も終わった頃、私達を護衛してくれていた小さな漁船が戻ってきて、その上から一生懸命手を振る姿が見えた。
船橋から舵取りが望遠鏡で覗くと武州の連中である。急いでこちらからも手を振ったが二、三人しか見当たらない。それでも助かった者もいたのかと驚く。
次の日、中野船長の話では、乗組員五、六人と疎開者の母子が助かったらしい。
武州丸が沈みかけた時、飛び込もうとした船長が甲板で泣いていた母親と子供を見つけ海に浮かんでいるハッチの板に乗せたらしい。
しかし母親は悪いところを打ったのか疲労が激しく、病院で息を引き取ったらしい。
「子供はどうなるのだろうか?」
心のうちではみんな思っているだろうが誰も口には出さない。戦争なのだからしょうがないと、どこかで諦めている。人に同情している余裕などないのである。自分の身を守る事で精一杯なのだから。

 



次の日、湾を出て船はまた佐世保に向けて走る。
もう沖に出ればいつでも危険である。浮流機雷などもあるからである。見張りは厳重にしなければならない。
沿岸は魯を漕ぎ魚を釣る船で一杯であった。一晩走り佐世保に入る。周りは巡洋艦や駆逐艦、そしてどこに行くのか甲板一杯に機雷を積んだ機雷敷設艦、駆潜艇や潜水艦も停泊していた。


待っていたように、山のように軍事物資を積んだ大きなだるま船が横付けされ忙しく荷役が始まる。食料、弾薬、衣類、酒、味噌など美味しそうな食べ物や飲み物がどんどん積みこまれる。正月用のご馳走である。あと二ヶ月で正月なのだ。
夕方、荷役も終わる頃サイレンが鳴る。
「警戒警報、警戒警報。敵機来襲、敵機来襲」誰かが
「見える。見える」と空を仰ぐ。上を見ると白雲を出し、二機、悠々と飛んでいた。各艦ラッパが鳴り「戦闘準備。配置に付け」鉄兜に脚絆姿の兵隊が見事にすばやく配置に付く。そして、一斉に敵機に対し大砲が向く。しかし、遠すぎるのか撃たない。
その時、一等駆逐艦が火を吹く。
「ドドーン!」とまるで軍港が割れるような凄い音が二発続く。気持ちがスカッとした。
しかし敵は悠々と去って行く。B29が偵察に来たらしい。ラジオも新聞もないから何も解らない。敵は、玉砕したサイパンから飛んでくるらしい。
荷役は三日で終わり出港した。
次の朝六時頃起きて部屋の掃除をしていると零戦が海すれすれに飛んでいく。
「あれ?朝早く変だなあ」と思っていると暫くして帰ってきた。ピカ、ピカ、モールス信号を打ってくる。
てっきり敵潜水艦と思い、寝ている者はすぐ戦闘準備のため起こされる。船橋では信号する電気を右に左に追って読もうとするが、飛行機が早くてなかなか読み取れない。焦るばかりで大騒ぎである。苦労してどうにか読み取る。
「シバラク、ワレキセンゴエイスル」である。
眠いのに早く起こされた連中は、
「人騒がせな。肝心なときに護衛せず、へでもないときに来やがって」とぶうぶう怒る。不機嫌になって、部屋に戻る。
しばらくして零戦は飛び去った。
また、鹿児島の港で船団待ちに入る。二、三日してから
「武官府山形屋で慰安会があるから見て来い」と言われ大勢で行く。
大きなホールは海軍や航空隊、軍属で一杯だった。兵隊さんの慰問なのでみんな張りきっており、見せるほうも見るほうも一生懸命である。子供の踊りから、漫才、楽団と割れるような拍手である。中でも、「誰か故郷を思わざる」の歌などは聞きながら涙を流す兵隊、声を出して泣く兵隊など凄い反響であった。
久しぶりに、ひととき地獄から開放されて楽しんだ感じである。次から次と軍隊を乗せた船が入ってきて、港は賑やかになる。しかし、優秀船は敵にやられるのか、少なくなる一方である。

 



次の日は映画を見にボートを漕いで大勢上陸した。時代劇の丹下左前の「百万両の壷」と言う題の映画をがやっていた。軍人軍属は割り引きになる。映画を見ていると、
何丸と何丸の人は全員すぐ帰ってください。と呼び出しがある。満員の映画館は次々に呼び出されてガラガラになる。
変だと思っていると、本船の相州丸が呼び出される。急いで外に出ると、各館皆呼び出した、最後らしいと解る。
急いで波止場のボートの所へ行くと、
「二、三人は女郎屋だ」と言うので迎えに行く。誰が上陸して、誰がどこに行くかは手に取るように解る。
飲み屋も店屋も無く、ただ映画館か女郎屋しか行くところがないからである。呼びに行くと
「一番良いところなのに」と残念そうに出てきた。これで全員集まった。
「さあー、行こう」と思ったらどうしたことか船が何処かに行ってしまったらしい。
「何かあったのか?」仕方がないので、今まで停泊していた方向にボートを漕ぎ出した。しかし、あれほどたくさんいた貨物船はすべて移動してしまったらしく何処にもいない。
真っ暗闇の上、燈火管制で何も見えない。ただ、当ても無く漕ぐだけである。風が出てきて、ボートは遭難したように右に左に進んで行く。漕ぐのにも疲れてしまった。
田辺二等航海士が懸命に懐中電灯で色々の方向にモールス信号を送り「ソウシュマル、ソウシュウマル」と呼んでいた。
随分経ってようやく、
「コチラソウシュウマル」と応答があった。
みんな大喜びである。もうすでに四時間もボートを漕いでいた。完全疲れ果てていたが、最後の力をふりしぼって、わずかな明かりに向かって一目散に漕ぐ。
船に着いたときはへとへとであった。
停泊地は桜島沿岸であった。
次の日の朝起きると、目の前に桜島がもうもうと黒い煙を吐き出していた。
話によると、敵機動部隊が沖縄に接近していたので敵機来襲の恐れがあり、
「艦船は即座に桜島方面に移動しろ」との指示だったらしい。
急いでみんな上陸したので混乱したらしい。
午後から伝馬船を漕ぎ上陸した。
目の前がみかん畑なので、農家の人に解らないように青いみかんをポケットに入れる者や農家にもぐりこみお茶ご馳走になる者など色々である。なんとなく田舎にでも帰ったような感じで心がなごむ。
二、三日過ぎた頃また鹿児島に戻る。船長が再び船団会議に行く。どうやらまた出港らしい。
次の日の朝早く、船団は次々と勇ましく黒い煙を吐きながら出港した。
最初の船団の時から比べると随分少ない感じである。
行く船、行く船、敵の攻撃を受けて沈められたであろう。無事に帰れば儲けものぐらいに思う。前の航海のようにいつ船が襲われるか、ビクビクの連続である。
相変わらず駆逐艦やキャッチボートの護衛艦は危険海面を隅まで無駄なく見張っていた。その中、船団は進む。
横の方を船団に必死に着いて来るおかしな船に気づく。尻が三角で変な船尾、前がずんどうでマストはアングル、機関は焼き玉エンジンである。何となく貧弱で可哀相に見える。先輩が、
「あー、あれが戦時標準形で改Eというのか。鉄板は三ミリで重さが八百トンと物凄く経済的に作られているらしい。全部溶接らしい。一度目的地に荷物を運べば儲け物らしい。ちょっと岸壁に衝突したらビリッと溶接が剥がれるか、穴があくかで終わりらしい。囚人や素人が作っているそうだ。危ない、危ない。あんな船に乗せられたらもう終わりだよ」と言う。
本当に先輩の言うとおりで、こんな船で魚雷を受けたらきっと真っ二つになりおそらく沈没間違いなしであろう。
もう10月。東北は秋だが、南の海の昼はまだまだ暑かった。駆逐艦が前と後ろ、そして横にと遅い船団を護って走ってくれた。
一晩、二晩と過ぎ、三晩、緊張の連続の中、途中からすこしずつ船団と離れ、何とか無事に海軍基地奄美大島に到着した。
みんな眠い目をこすり荷役の準備をする。

 



飯を食べる暇もない忙しさである、船内の荷役で大東島を始め各島に行く荷物が分けられる。
一日目は、木帆船が来ないためこの荷物が邪魔になり、甲板に下ろしたり、振り分けたりとなかなか思うよう作業がはかどらず、滅茶苦茶の荷揚げ作業になってしまった。設営部隊の年を取った髯の爺が怒鳴られたり、殴られたりしながら汗まみれになって働いていた。
一日の作業が終わると食事をし、風呂に入り、みんな疲れ切って死んだように眠った。私などは食事の後片付けをしたり、風呂の上がり湯をポンプで汲み、蒸気で沸かしたりして、風呂も入らないで寝る日が多かった。みんな疲れているせいか、怒鳴られたり、文句を言われたりすることが多かった。
二日目も少ない人数で懸命に荷揚げをした。
三日目の夕方六時頃、やっと荷役作業が終了し、兵隊も帰り静かになった。忙しい一日が終わりやれやれと言ったところである。
甲板は歩く場所もないほど荷物である。酒やカルピスなどの飲み物や美味しそうな食べ物で一杯であった。それらの食べ物は大東島行きの船便である。
美味しそうな食べ物が目の前にあれば、誰でも盗んで食べたいと思うのは当然である。機関部の連中や水夫たちが、何処にあるのか目を付けている。明日にはこの荷物は下ろされてしまうので、今晩あたり抜き取ろうと思っているらしく、下見をしている感じである。様子が変なのですぐ解る。今晩はみんながねずみ小僧になるらしく、何かひそひそ話しをして寝るのが遅い。
ちょうどその頃、全速力で飛ぶように周艇が近づいてきて、
「機動部隊接近!すぐ内地に帰れ!」と船長に命令する。
さあー大変。何から始めれば良いか?どうしたもんか?機関は釜をいけ火してしまっている。機関を始め甲板も今からでは準備に朝までかかってしまうだろう。
甲板部全員駆り出されて、大東島行きの荷物を船倉に入れる。いつ、敵飛行機が飛んでくるかも解らないので電気は点けられない。月明かりの中での荷役作業、
「あーでもない。こーでもない」
「あーしろ、こーしろ」
それはもう話にならないほど大変な忙しさで、パニック状態であった。夜中の一時頃、
「お前は、明日の仕事があるから先に寝ろ」と言われ、内心「助かった」と思いながら寝る。
朝起きると、船はしけの海を揺られて走っていた。水夫たちは重量物を積み下ろす機械のヘビデリックのワイヤーを止めたり、雨天準備をしたりしていた。
しばらくして何とか一段落ついたようである。もう疲れ切っていて、欲も得もなく朝食を食べて風呂に入り、崩れるように寝ていた。他にもまだ仕事はたくさんあるが、寝ないと体がもたないからしょうがない。敵の潜水艦の攻撃の恐ろしさなど何処かへ行ってしまったようにただ夢中に寝ていた。見張りは、水夫の代わりにと増員された兵隊が危険な海面を隅無く見張っていてくれていた。賄いから、お椀に入れた飯を食堂に運ぶ途中周りを見ると、前には貨物船のような船が見え、横には本船と同じくらい小さい八光丸が見えた。遠くには海防艇か駆逐艦か駆戦艇かと思われる艇と、護衛艇らしい船が走っていた。荷役で忙しかったので、周りにこんなにもたくさんいたとは少しも気づかなかった。
みんなが寝ている間に私は上役や先輩たちの物の洗濯とか部屋の掃除にと忙しく働いていた。
午後からみんな起こされ、昼食を食べていた。
食事の済む頃、士官が来て甲板長と話をしていた。午後から、船倉の積荷が揺れて崩れているので結んだり、ならしたりする作業をするとのことである。すぐに当直以外全員、ハッチカバーを開き、船倉に明かりを入れるため、ところどころ蓋を開き、仕事に取りかかる。
命令とは言うけれど、この危険な海面での作業は嫌な感じである。地獄に足を踏みいれたような感じである。ドカーンと一発食らったら、この場所では一巻の終わりである。考えると寒気がして背中がぞくぞくしてくる。 
しかし、やらねばならない。とにかく、一刻も早く甲板に上がりたいので、できるだけ早く仕事を終わらせようと懸命に汗まみれになってがんばる。
中の積荷は滅茶苦茶に入れられていた。もうやけくそである。どうにでもなれという気持ちでいっぱいである。今晩あたりやられたら死ぬ。死んだらおしまいである。憲兵隊もへちまもありもんか!
みんなで、必死にサイダーやカルピスをかぶ飲みし、押し込むように缶詰を食べた。
本当に美味しい。涙が出るほど美味しいのだから、ゆっくり食べたい。しかし、味わって食べてる暇はない。一心不乱に口に詰め込んだ。
「絶対にわからないように瓶など始末して海に捨てろ」と言う。
荷物が崩れたように見せて食べ物や毛布を盗み、
「もう、良いだろうと」と帰ると、ごみくずを捨てる振りをして部屋に運んだ。
私は口止め料としてお菓子を一杯貰った。
作業が終わると、風呂に入り、交替で見張りに立った。
見張りに立つときは、いつも攻撃を受けても良いように一番上等の外出着を着て、枕を背中に合わせたような浮き袋をかぶり、腰で紐を結ぶという万端の準備をして立った。
幸いにも何事も無く、船はジグザグ運転を続け一晩走りきった。

次の日の午後三時頃、突然八光丸が遅れ出した。
「キカンコショウ。マッテクレ」の手旗信号が送られてきた。
「馬鹿野郎、この危険海面で待ってくれとは何事だ」とみんなやきもきする。少しずつ焦りが募る。そのうち、本船の機関も停止する。停止しているところにドカンと撃ち込まれたら船はかわせない。一貫のおしまいである。みんな、いつやられるかとビクビクである。一晩こんな事をしていたら間違い無くやられるだろう。
「今か、今か」と冷や冷やしながらただ手を合わせて神に祈るだけである。
恐ろしさに待ちきれず、スローで八光丸の周りを回る。焦ってもどうにもならない。じっと待つしかないのだがじっともしていられない。
一時間半程すると、ようやく八光丸は推進器が作動し、白い波を切り走り出した。
「やれやれ」とみんな、安心感でホッと胸をなで下ろす。
「良かった。良かった。これで晩飯が安心して食べられる。危ないところだった」

 





再び船はジグザグ運転を続け内地に向かって進む。
船の中には何事もなかったように静かになる。船橋も静かになる。八光丸も平常に走っていた。
夕食も済み、後片付けをし、夜食の準備も終わり夜八時からの見張りに行く支度をした。
私にとって最高の服といったら、田舎から着てきた網の目のようなペロペロの服である。一度でも洗濯したら縮んで着ることができない服であるが、これ以外にないからしょうがない。これを着てお金をポケットに入れ、枕の浮き袋を背負う。
用意ができると船橋に行き敬礼しながら大きな声で、
「見張り交代に来ました」と言う。
「右舷異常なし」と言われて交替する。
双眼鏡を首にかけ、じっと海面を隅無く見る。怪しいと思うと望遠鏡で確認し、少しでも変に思ったら、すぐに報告する。
暗い海をジーッと見つめていた。船橋の上では兵隊が見張っていた。誰もしゃべらない。静かに舵を取る音と機関の石炭を炊いた後の殻を甲板に上げては海に捨てる音だけが聞こえてた。
暗くて時計が見えないが、
「もうそろそろ交替の頃かな。もう少しの辛抱だ」と思ったとき、左舷前方で、
「ドドーン」と言う音と、
「シュー。シュー」と蒸気が吹き出るもの凄い音がした。火花も見えた。
「八光、やられた。船長を呼べ。兵隊は総員起こし。戦闘準備」


すぐ夢中で全員に知らせに行く。みんな飛び起きた。
起こしてすぐまた元の場所に戻っていくと、すでに船長、士官とも配置に着いていた。みんな真剣に海面を見張る。
とその時、再び左舷前方で、
「ゴゴーン!」と音が聞こえた。
「アッ、またやられた」
どうやら護衛艦らしい。
二、三分した頃、火の玉か、花火のような火炎が目の前を飛んでいく。
「ああー、火が・・・火が・・・」口から声が出ない。
報告ができない。足ががたがた震えて立てられない。
そのうち船尾右の方から二本の魚雷が白い泡を吹いて飛んでくるのが見えた。
「あー!あー!」
「魚雷!、魚雷!」
声になっているのかいないのかわからない。目の玉が飛び出しそうになりながら魚雷の方を指差して、必死にカラカラの喉から声を絞りだそうとする。
腰が抜けたか!あーあー
士官が大きい声で
「何度やー」と言う。船長は、
「面舵一杯。取り舵一杯」と焦って言う。
舵取りも右に左にと必死である。
結局同じところを走っている感じである。
みんなが気が動転している時でもさすがは兵隊である。隊長は、
「右舷九十度、雷跡(一瞬にして魚雷が通過する道筋)」と落ち着いて報告する。
すぐにはどうすることもできず、大分遠ざかった頃になって、
「爆雷投射」と船長が言う。
隊長が大きな声で、
「爆雷戦用意」
「用意よし。信管何秒投射」
爆雷投射を知らせる。機関は全速力で逃げる。
「今か、今か」と待つ時間の長いこと長いこと。


一瞬、
「ゴゴーン」と音がして、船が大きく揺れる。
「やったあー。野郎泡を食ったろう」とやっと少し緊張がほぐれる。
しかし、まだ油断はできない。
船は黒い煙を黙々と出し逃げている。
機関部の連中も怖いのだろう。水夫がすすをかぶり土人のように真っ黒の肌に唇だけ赤く塗ったような顔をして出てきた。
「頼む。何かあったら知らせてくれ」と拝むように言ってまた機関室に帰っていく。
兵隊が
「チラリ、チラリと白い波間に潜望鏡が見える」と言う。
「俺も見えた」と言う。
どうやら一緒に付いて走っているらしい。
「よし。もう一発やろう。爆雷配置に付け。」
「用意良し。信管何秒投射」
機関に連声管で知らせる。全員にも知らされる。
賄いもサロンもみんな、
「今やられるか?」と心配で誰も眠らない。
長い戦いである。
また凄い音がして船が振動し、大きく揺れた。
さらにもう一度、物凄い音がして船が振動する。
ぐらりと揺れたその時、機関室から浸水の報告。一瞬全員どきんとする。
船長が航海士にすぐ処置を取るように命令する。古いぼろ船なので、錆びが落ち、親指ぐらいの穴が開き、その所から噴水のように水が吹き出るらしい。
木栓を打っても圧力で駄目らしい。フレームを利用し、鉄板で止め、ポンプをフル回転させることにする。機関の方でどうにか処置するとのことでみんな安心する。
地平線が微かに明るくなり、どうやら危険も脱したようなので当直と見張り以外部屋に帰り寝ることにする。
朝起こされ、眠い目をこすり食事の準備や部屋の掃除をしていると目の前に大きな島が見えた。島からは何か燃やしているのか煙が見えた。
「島には戦争なんかないんだろうなあ。羨ましいなあ。でも、もし今やられたら島の人に助けて貰えるなあ」と思うと、ちょっと気が緩む。
しかし、この当たりは前回の航路の時に武州丸がやられて沈んだ所なのでやはり緊張が走る。昼間なので安心ではあると思うが・・・・
小さい木帆船などが遠くに見える。
みんな夕べの気疲れか死人のように眠っているので食事が片付けられずに困った。
賄いに行くと、賄い長が、
「本船にはネズミの野郎が、朝からチュウチュウ一杯いるから大丈夫。きっとやられない。ネズミは良く知っていて、遭難した人の話では、やられる時はネズミが陸に上がって一匹も居なくなるとのことである。だから、安心して良い。」と言う。
どうせやられるなら八光も大島にいれば助かったのに。あれも轟沈、みんな死んでしまっただろう。
遠くに護衛艦らしい船が見えていたが、船団はばらばらに走っていた。
種子島、屋久島が過ぎ、臥蛇島が見え、今晩十二時頃鹿児島に着くだろう。すなわち十時頃には錦江湾に入っているから昨日のようなことはないだろう。
「生き延びた。良かったなあ。女も知らずに死ぬなんて可哀相だよなあ」
しかし油断出来ない。厳重な見張りを続ける。
船は夜中、無事鹿児島港に錨を下ろした。

 



次の朝、起きると、桜島は猛煙を出し、みかんは色が付き秋を感じさせる。どこで戦争などしているのかわからないように平和な感じがした。
朝食を食べたら、浸水個所を直しにかかる。ボルトにワッシャをはめ、船の外から穴に入れ、中からもワッシャを入れてからナットでしめるらしい。
「よし、俺は千葉の漁師だ」とかけ声ばかり元気に潜るが、だいぶ深いのかなかなか上手くいかないらしい。中が暗くて見えないらしく、何回も、潜っては出るの繰り返しで駄目である。結局、年の功か機関長が目標を定め成功する。
さらに、機関室側からコンクリートで固める。少しは漏れるが、これでいくらか浸水を止める応急処置はできた。
夕方佐世保に向かって出港した。沿岸の見張りは気分的には楽である。
釣り舟や小型船も走っているのでいつでも助けて貰える感じがして安心感で一杯なのだ。
次の日の夕方、佐世保軍港に入港した。
一言でもご苦労様という人は誰もいない。
命がけで輸送する我々の苦労を軍のお偉方にもわかってもらいたいもんだ。軍部のことは我々にはどうなっているのかさっぱりわからない。ただ言われるまま動くだけである。
入港すると何が一番嬉しいかと言えば、やはり懐かしい故郷からの便りである。
今回は小荷物が届いていた。何かと開いてみると中にはたくさんのイナゴであった。とても一人では食べれないし、捨てる訳にもいかないので食堂に持って行った。
「お前の田舎はバッタ、コオロギ、ゲンゴローを食べているか?」と案の定さんざんからかわれ、笑われ、馬鹿にされた。北国の東北の連中は、
「懐かしい」
「珍しい」と喜んで食べてくれた。
中には手紙が入っており、読んでみると、
「隠居の祖祖母が九十三才で死んだ」と書かれてあった。
一瞬にして心が暗くなり、胸がつまり、涙がとめどなく溢れてきた。
学校から腹を空かして帰って隠居に行くと、いつも飴玉をくれたり、さつまいもやとうもろこしなどを煮て食べさせてくれた事などいろいろな思いでが蘇ってくる。
故郷を離れているとよけいに田舎を思う気持ちが強く、夜一人寝台に寝ていると思い出してはまた悲しくなる。
悲しんでいる暇もなく、次の日はまた忙しい。艦隊は出動したのか停泊艦船は少なかった。
また荷物を一杯積んだ、だるま舟と人夫がきて、壊れた荷物を上げ、整理してまた新しく弾薬や兵器、食料を積み始めた。
最初の頃はプロの荷役作業員がいて、上手に隅のほうまで良く荷物を積んでくれたが、そういう人は兵隊に行ってしまうのかだんだん慣れない作業員ばかりになった。荷役は遅くなるし、怪我をするし、その上荷物の下敷きになって、死人まで出る始末であった。
ウインチに油をくれながら沖を見ると、
「あー、あれは何だ?」
白い波を切り、物凄い波を出しながら飛ぶように走る船がある。
「飛行機か船か?」とても船とは思えないほど早いの驚く。士官が側で、
「あれが人間魚雷だよ、ベニヤで作り軽くしてあり、前に火薬を一杯積み人間が運転して敵の航空母艦や戦艦に体当たりする、通称「青蛇」だよ」と説明してくれる。
エンジンは飛行機のエンジンらしい。
「へー、凄いな。それじゃ百発百中戦争に勝ったようなものだ。俺もああいう物を運転して戦果を上げ、お国のために死んで、英雄として靖国神社に祭ってもらいたいものだ」と思った。

 



沖では敵艦を想定して練習していた。艦船は暇さえあれば水平、対空と戦闘訓練をしていた。
酒が配給になるとみんなは、飲んでは、
「前の船でやられた時はどうだった」とかの自慢話しから
「間違いなく今度はやられる」とか、戦争の話ばかりであった。
入港する度に、優秀船の姿が見えなくなる感じであった。
荷役が終わる。積荷から、また大島かと思うと嫌になる。たまには変わった所に行けば良いのにと思う。
今度こそ佐世保に無事に帰れまい。さらばと思いながら船は静かに出港した。見張りを続け、船は鹿児島に向かって沿岸すれすれに走った。
「途中で敵の潜水艦の攻撃を受けた船がいるので、夜は近い湾岸に避難し、夜を避けて昼間だけ航海せよ」と無線が入ったので、ひとまず避難する。
暇になると娯楽もないので、嫁いびりのように私に嫌がらせする野郎がいた。
「この頃、布巾が汚い」とか
「掃除を手抜きしている」とかよく説教された。
嫌であろうが、危険であろうが、軍の命令に反対することが出来ない。怪我か病気で動くことが出来なくなった時以外は、勝手に下船や会社をやめられない。これが戦争である。勝つまでは何もかも我慢しなければならない。
後は運を天に任せるだけである。
避難しながら鹿児島に入港した。船団を待っているらしく、七、八隻の船が停泊していた。
軍の指導員が来て、火災の消化講習や浸水の時の手当ての仕方、そして魚雷攻撃を避けるため、進路をわからないように船の前に帆のようなカバーを張れなど、まるで子供が考えるようなくだらない講習をした。また逃げる時、敵の目標になるから機関部の煙突から煙を出すなという。
「何を言うか。軍の上役は何を考えているか解らん」とみんなで後から笑った。
もう十一月、田舎は紅葉し、秋の氏神様のお祭りの頃だろう。懐かしい。こちらは東北と違ってまだ暑い。
次々と船が集まり、湾が賑やかになる。偽物の大砲を並べて凄く武装しているように見せかけている船や木の枝でカモフラージュしている船などさまざまである。
朝六時になると、陸軍の天付き体操が大きな声で始まる。
暁部隊の陸軍の船、海軍の船と湾の中は日に日に賑やかになる。相変わらず、桜島通いの定期船に若い女の子乗っていると、
「ギャー、ギャー」甲板の兵隊に冷やかされていた。
また、船長が船団会議に行く。今度は本船は前の方で、七、八番目である。七ノットの遅い船団である。