おはようございます!
f735です!
私は今、機能脳科学、認知脳科学者の苫米地英人博士が世に放たれている数々の数式定理(数式が苦手な読者用)を読みながら、どう生きればいいのかを模索中です!
どうやって生きれば世界が幸せになるのだろうか…⁇
そんな時、
YouTube『苫米地英人の銀河系アカデミア』
村上隆×苫米地英人/コーチング、超常現象、芸術は「あの世」のもの【未公開トーク追加・完全版Part1】
の放映がありました。
冒頭で大谷翔平さんの話が出てくるのですが、御二方の話を聴いていて私は、一人ひとりが大谷翔平さんのように好きなことを好きなだけ、自分の得意なことをどこまでも極めて、楽しく軽やかに生きた結果→世界を幸せにできるのならば、これほど生(命)が歓喜することはないのではないかと思いました。
世界中の人類の一人ひとりが、あなたが、そしてわたしが「やりたいことをやりたいだけ」やって生きることで→世界が幸せになるという「可能世界」ですd( ̄  ̄)ドクタートマベチガイツモイッテルヤツヤネン‼︎
Dr.苫米地が、
「やりたいことをやりたいだけ!」
「やりたいことしかやらない!」
「やりたくないことは一切しない!」
「やりたくないことをやってるヒマはない!」
(そんな生き方をすること‼︎)
と言えば
「そんなアホな」
「やりたくないことをやるのが大人」
「やりたくないことをやらないと食っていけない」
「そうは言ってやりたくないことを誰かがやらないと、世の中は回らない」
「夢を叶える人なんてほんの一握り」
「あなたにはできても、私には無理」
という反応が(内省言語を含め)返ってくると仰います。
『ドクター苫米地の新・福音書』苫米地英人コレクション05(株式会社開拓社/p.195より以下引用)
ゲーデルの不完全定理でわかったことは、我々はもともと自由であるということです。
ただ、その自由はランダム性としての自由です。
それが我々みずから選択した自由であるためには、系の抽象度の階段をひとつ上がる必要があります。
そうすると下の系からはランダムに見えることが、上の系では整合的な因果になるというわけです。
となると逆に、第三者にひとつ上の整合的な因果を仕掛けられている可能性も出てきます。
自由な選択をしているつもりが仕掛けられていた、というわけです。
だからこそ、誰よりも抽象度を上げられて、初めて本質的な自由になれるのです。
人類は動物的本能の抽象度から理性の抽象度へとこれまで進化してきました。
いまも我々は理性的な判断をそれなりに下して生きているつもりでいます。
ただ、実際の社会においては、この理性的判断の前提となる系の各命題の真偽値は、限りなくその系の支配者に与えられたものである可能性が高いのも事実です。
我々が理性的な判断をしていればいるほど、その選択は不自由な選択であり、第三者に支配された状態を維持している可能性もあるのです。
戦争はそういった理性的な選択の結果と言えます。
日々我々が経済活動に追われているのも、まさにそういった理性的な選択の結果でょう。
資本主義という理性的選択すらも疑ってかかるべき時代になっているのです。
ーー引用終わりーー
私たちは現状のワールドの中に閉じ込められ(スコトーマがかけられた)その中で「理性」的に生きているだけかもしれません。
その結果、やりたいことをやりたいだけやって生きる可能世界が見えないうえに、それは不可能だと思い込んでいるのだけなのではないでしょうか?
「こんなことがやってみたい」
「あんなふうに生きてみたい」
という素直な気持ち、夢や希望や未来の姿から建設的に社会を世界を創造していくことの方が、はるかに自然で容易なこと、だからこそ、頑張らなくていいとDr.苫米地は仰っているのではないでしょうか?
一人ひとりがやりたいことを大いに発揮できる世界の実現には、現在のホメオスタシスが働いている、この現状ワールドの常識を脱ぎ捨て、理性を超え、仕掛けられたスコトーマ(境界線)を見破っていく必要がありそうです‼︎
「理性を超越する」
「何事も、社会や他人、過去のしがらみ、つまり自分自身の記憶から自由になって判断する自分になる」
「内部表現から頭を突き出し、真の自由意思を獲得する」
(同書『ドクター苫米地の新・福音書』より抜粋)
いや、乗ってるか〜い(^o^)//〜‼︎
Dr.苫米地が自在に放つ情報を浴びながらゲシュタルトの生成を楽しみ、抽象度を爆上げし、現状ワールドの「理性」や「常識」がぶっ壊れたところの先にある、新しい縁起の世界にぜひともアクセスしていきたいと思います‼︎
終わらない歌を歌いまんねん‼︎
ブルースは加速していきまんねん‼︎
それでは皆さま
本日もとんがって参りましょう(^o^)/ホナオオキニサイナラ〜