福岡に住んでたころがありました。

20代後半のころ。

 

当時の仕事の修行的な意味合いで、業績1番の人がいて。

その人の研修とか、話を近くで聞いてみたい、と思って。

会社がそうしろ、と言ったわけではなくて、自分で選んでそうしました。

 

代理店業務でした。

出来高制だったので給与の保証は自分でしないといけなかったんですね。

 

給与が別で必要で。

コールセンターアルバイトをしながら、研修とその仕事も同時進行してました。

当時仕事って、何個しててもいい、と思っていて。

収入は何個あっても困らない、と思っていました。

(今思えば、あほだな、って思っています。全部そこに自分がいる必要があるので難点は時間と体力がそこだけに消えていく、というところに気がつかなかったところだねえ。)

 

めっちゃお金がなかったんですよ。

その出来高性のお仕事は、まともな収入になるには時間がかかるんですよ。

 

奨学金もあったし。

散財するわけでもなくて。

時間的にそうしかならなくて。

あと沖縄にはなかった翻訳学校に通いたいとも思っていたから節約めっちゃしてたなあ。

 

平尾っていう、落ち着いている、可愛らしい町に住んでいました。

博多にアルバイト先もその会社の本社もあったので、そこから天神まで定期代浮かすために歩いていました。

ご飯は、1日1食200円で過ごしてました。

今よりは20キロくらい痩せてたなw

 

営業職なもんで、町の構造を知りたくて。往復2時間くらい歩いてました。

福岡は、ひたすら歩いていた記憶ばかり。

特にお店も知らないなあ。

可愛らしい同僚と行ってたカフェくらいだなー

 

時々成績が良くて寸志でもらったお金は、人として最低限の形を保つための美容院代に消えてたなあw

あと、楽しみが多肉植物を育てることか、花を飾ることでした。

花瓶買うのが勿体無くて。

調味料の空き瓶や缶にマステや麻縄まきつけたりして飾ってさしてたら、当時友達だと思っていた年上のオンニにすごくバカにされてネタにされましたね。(SDGSじゃねえーか!最先端すぎただけだろお!いい匂いのする綺麗なおねーさんでした。男の子だったら、彼氏にしたい、といつも言ってくれていました。女性に厳しい人だったから、彼女の視界から外れたくて、どんどんオス化してたな。彼女のお気に入りの男の子とマブダチだったので。縁が切りたくなって、逆のカードを切ろう、と決めて私はめちゃくちゃ女らしくして綺麗になろうと頑張ったっけ。そしたら、すごく悲しそうに変わったねえ、、、と言われたよ。私女なんだけど、本当に女の心がわからない。)

 

 

あとはねー調味料って高くて買えないな、実家であんなに贅沢に使えてたのはすごいことだったんだ、と思いました。

自分のご飯は、基本醤油と塩で味付けしてます。実はだしも使わないw

和洋どちらもやる食堂やってたから、それなりに知識はあるので扱えるけど。

人のためにつくるご飯はとても楽しくて、こって作るけど。お菓子とかもね。普段作らないのに、って思うでしょ?

めちゃくちゃ料理作ってたんだよ、家業だったから。ことあるごとに、仕事変わるたび、20歳からずっと。

忘れられないよ。

今一人暮らししてるんだけど、この前お母さんになんでこんなに寂しい冷蔵庫なの・・・店であんなに調味料使ってたのに、と言われてケチャップとマヨネーズとソース、ニンニクと生姜を買いました。コンソメも使わない。野菜のだしと塩とお醤油ときび砂糖があればいいです。時々、美味しいパスタが食べたくなって小分けのやつ買うけど。

お母さんになんで寂しい冷蔵庫になった理由は、今でも話せていないです。

 

話が逸れまくってる。

ごめん。

 

で、好きなことできてないじゃない、何も。

と気がついたので、不毛すぎる、と思って。

作戦を練り直さなきゃ、と思ってその生活をやめることになりました。

沖縄にいるオンニも、私のマブダチと私の関係を疑い、あたりが強くなってて。電話とるのが嫌だったなあ。

 

当時はね、とても辛くて何してた時期だったのかなあ、と思ったので記憶の奥深くに封印してたけど。

何年前かの記事って、でてきたりするじゃないですか、SNSって。

一昨日のよる、その記事を読んだんですよ。

オンニが笑った、カンカンで株分している多肉植物の写真と一緒に。

 

ここまでのへっぽこの人生振り返ってみて、一番丁寧にいきいきと生きていた時間だと思いました。

ご飯をどうにか美味しく食べようとしていたし、少ない服で工夫して服を着回したり、少ないお金で買うお花の楽しみだったり。

欲しかった教材を手に入れて1冊を何度も読み潰した英語の問題集だったり。

とっくの昔に覚えたおしたけど、ボロボロだけどその本は捨てれない。

教員の仕事をし始めて、1年経って捨てる、って先輩がいった出版社さんの持ってくる見本の問題集を、びっくりして嬉しくて貰ったなあ。欲しかった本や単語帳もあったりした。

 

町の風景にものすごく注意して丁寧に眺めて、ちゃんと感じようとしていたり。

だれかや、何かと比べる暇なんてなくて、自分のやろうとしていることに全集中していて、余計なことを撥ねつけられる力があった時期でした。

私は、あの頃の自分に本当に戻りたい、と今思っています。

体力の問題で、同じことができるかは怪しいけれどw

それから10年くらい放浪してたけど。

結局、あの時のあそこにいた自分が、納得できる自分でした。


もう一つオチがあって、一生懸命研修聞いてたその人より、うちのオンマの方がめちくちゃ成績よくて、かっこいい営業してたんです。

その話しはまた今度。

 

あとね、福岡が好きですね。

出会ったすごく綺麗で肝の座った元同僚が、SNSで探し出してくれて、繋がっていることが、すごく嬉しい。

彼女をみていると、自分が女の人でいることに不和が起きないんです。これって、30過ぎまで女らしくすることに本気で興味がなかった私には、すごい事件なんです。

 

 

 

福岡にいったメリットは、ヘタレな今の自分に喝を入れてくれる自分が昔にいてくれたことと、自分の性が今は嫌いじゃないことかなあ。

 

 

 

これでいい??

一番きつかった時期って、自分を一番応援してくれる時期だと思うよ。

じゃあね、月曜だ、また長いねえ。

適当にやろう、どうせすぎる同じ時間、楽しくしてね。(お前がな!一番な!