●○ 駄文2.0 ○● -19ページ目

●○ 駄文2.0 ○●

大阪 → ホノルル → ロンドン → ボストン。日々の由無しごとや思いついた事だとかを。

過去と現在と未来。

今まで自分がしたことと、
今やってることと、
今から行きたい場所。

ここに一貫したストーリーをえがくという行為は、
ある意味、アイデンティティを構築する作業であるわけ。
・・・だと思う。

ところが、描きたいストーリーと、
現実との間にギャップがあったりすると、
これは、つらい。

自分でこうありたいと思う姿に、
沿えない現実の自分に苦しんだりして、
そのうち、けっこう慣れちゃったりして。

「あたしこんなはずじゃないんだけどなー」
なんて言っちゃう、自分のストーリーを書き損なった状態。


今ぼくは昨日作った肉じゃがを食べて、
明日受けるGMATの試験勉強を始めようとしている。
仕事探しは停滞中。エージェントからの連絡がない。

今までやってきたことはわかってる。
これからどこへ行きたくて、
そのために今なにをすべきなのか、
もう少し、クリアーにしたいところだ。

少し煮詰まった肉じゃがの汁がなんかどろどろしててうっとおしい。
日本に帰ったときに、ぽにょとおくりびとのDVDを買ってきた。

で、こっちへ戻ってからおくりびとを見たんだけど。
ええと、内容について書くからね、まだ見てない人はその辺考慮してね。

つっても、どこまでいってもぼくの文章なので、
いちいちストーリーを説明したりするほどやさしくないんだけど。

いちばんはじめに思ったのは、日本の文化っていうのには、
日常の一部を芸術に高める特徴があるのだよなと。

茶道にしてもそうなんだけど、ありふれた日常の中に美が存在する。
「亡くなった人を、おくる」
言葉にしちゃえばたったそれだけのところに、
動作の一つ一つを美に昇華してく。

さまざまな技法を凝らして行われるその一連の作業っていうのは、
考えようによっては、ただ形式的なことなのかもしれないんだけど、
それが癒すものがあったりするのかな。
それで逝く人への尊敬が伝わったりするのかな。

・・・なんだろうな。

それでさ、もうひとつアタマにこびりついてるのは、
「食べる」シーンたち。

白子でしょ。フライドチキンでしょ。
別に今はおなかすいてないんだけどさ。

テーマとして死を扱った映画の中の
モノを食うシーンって、生の象徴なのかなぁと思ったり。
で、その食べ方がけっこう汚いんだよなぁ。
いのちをむさぼる感じ。

なんだかね。
考えちゃう。

個人的には、親父と主人公の関係の部分には
あんまり入り込めなかったんだよね。
なんでだろうね。
恵まれてんのかね。

そんなこんなで。
ドラマくさい、押し付けがましいメッセージなんてなく、
ただいろいろ考える種を、ずしりと残していく映画だなと思った。

・・・しまった。
おくりびとを貸したままのモモコさんが
DVDを返さないままに帰国してしまった。

これは読むべきだと思う。


経済成長は悪なのか?「お気楽な国」、日本を嗤う欧米メディア
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090903/203966/

「日本経済が苦境に陥り、貧困層や格差が拡大したのは小泉純一郎元首相による改革のせいではない。格差の拡大傾向は、今年に入って深刻になったとはいえ、実は既に1990年代の『失われた10年』で始まっていた」と指摘し、格差問題のすべてを小泉改革に押しつけるかのような批判を展開する民主党や鳩山由紀夫代表の短絡的発想に疑問を呈している。

米ニューズウィーク誌も8月31日号の記事で、2009年1~3月期の日本のGDP(国内総生産)が年率換算でマイナス11.7%と、先進国の中で最大の落ち込みを見せたことに触れながら、福祉強化を目指す民主党の状況認識の甘さを痛烈に批判した。

「驚いたことに自民党に攻撃されるまで、民主党のマニフェスト(政権公約)には、『経済成長』の言葉さえなかった。これは、民主党が日本が直面する窮状を理解していないことを示している」

つづく。←リンクです。