夕食はチキンとブロッコリーのスパゲッティ・トマトソース。そして白菜の味噌汁。
おかしな取り合わせだと言うなかれ。和洋折衷が日本人の世界に誇る得意技なのだから。
金曜だけど、疲れはたまってるし、友人たちも疲れてるし(原因は様々だが)、1人で買い物してうちに帰ってきて、とりあえずビリーをやった後、かなりだるい身体で夕食を作った。
思えば、ぼくは中学生の頃から深夜まで塾にいたので、うちでごはんを食べることは極端に少なかったと思っていたのだが、うちではきちんとした料理を食べるものなのだと無意識に思い込んでいるみたいだ。そうすれば、それはもちろん母親の影響だろうし、おかげで今の食生活はしあわせな部類に属すると思うので、実家の環境にとても感謝したい。
高校生の頃は、けっこううちで食べてたのかな。片道一時間半の通学(大阪→京都)だったから、朝ごはんは当然のように食べてなかったし、両親の仕事もずっと忙しかったし、ぼくが家に帰ってきてもタイミングが合うとは限らなかったんだけど。
なんだか覚えているのは、親父は仕事が遅くて、おかんと2人でごはんを食べてたことが多かったのかな。この頃はまだお酒も覚えていなかったし。会話は少なかった気がするけど、だってそういう年頃なのだもの。
大学生になれば、もう遊び歩いていたというか、歌ったり飲んだり酔っ払ったりのグダグダだったので、(その割に今のぼくを見るに遊んでた感は薄い)うちでごはんを食べることはやっぱり少なかった。留年してからの5-6年生の頃はかなりうちに居座ってたので、この頃はうちによくいたけれど。
両親の仕事はぼくが小さい頃からずっと忙しいので、わが家はよく外食をした。弟は親父と仲が悪かったので、よく食事に出かけるとお腹が痛くなって、先に家に帰ったものだった。近所の店からとはいえ、歩いて帰れるくらいならトイレを借りるなりすれば済むだろうに、弟はよく家に帰った。けっこう複雑な思いで見送った。そしていつも何も言えなかった。
思えばあの弟の腹痛というのは本当だったんだろうなぁと、今になれば思う。きっとお腹が痛くなるほど、居心地の悪い場所だったのだろうと。なんだか、切ないなぁ。
確かにぼくにとっても当時、家族と言うのは心休まる場所じゃなかったのは事実。言って良いことと悪いこと、ほんとは思ってるけど言いたくないこと、そして一方的に聞かされる話と、いろいろ神経は磨り減った。今から思えば、どれだけ愛されて期待を掛けられて来たのか、少しくらいは分かるのにね。
なんでだろ。弟と家で顔を合わせてめしを食った記憶というのが、とても希薄だ。年を食ってから、やつが広島の大学へ行ってしまってからは、何度か酒も飲んだし、買い物にも一緒に行くようになったのに。
いつも、ぼくにはなんだか空白の期間があるような気がしてならない。
塾に入り浸っていて、ふつうの思春期前半に家族とぶつかることのできなかった中学生の頃なのか。歪んだロジックの支配する男子高校へ、往復3時間を掛けて通ったりサボったりした高校時代なのか。ダメ人間を自認していた大学生の頃なのか。あるいはその全てか。
家族との関係を無視していた期間というのは、後から思えばなんだかがらんどうになってしまう。もちろんたくさんの友達と出会い、いろんなことを思い、濃密な時間を過ごしたことは事実なんだろうけれど、やっぱり身近な人をきちんと見ないでいるってのは、現実から目を逸らしてることになるんだろうな。
今日のチキンとブロッコリーのパスタはとても美味しかった。少し塩が多かったけれど、むしろそのおかげで美味しかった。玉ねぎとチキン(ささみ)、ブロッコリーとトマト(生+缶詰め)で、他の味付けは何もしなかったから。きちんと調理した野菜は軽い塩味だけで美味しい。
予定のない退屈な金曜日だったけれど、美味しい食事と少しのお酒でゆっくりできているのがしあわせ。疲れは確かに溜まっている。ハワイ生活もあと1ヵ月半だから、精一杯に楽しもうと思う。自分を支えてくれてるものの全てに感謝しながら。
ちーん。