津波の濁流は容赦なく海辺の病院も襲った。

「患者を置いては行けない」と、病院内に戻っていった職員たち。

だが、病院は屋上まで水に浸かり、多くの命が失われた。


(当時の事は、長崎大学の調査報告や、河北新報の収集した証言記事などに詳しく記録されている。現在は病院跡地に碑文もある。) 



自らは動けぬ病人や怪我人を、災害時にどうやって守ればいい?



病院は、どんな工夫を施して建てられるべき?


命を守る施設の在り方とは? 

残っていた病院跡から、そう投げかけられた気がした。



(2012年7月4日撮影:雄勝病院 今は解体されてもう無い。) 


現地を巡り、遺構や変化する町を見て考える、それが私の震災後。


(因みに、震災時は仙台の自宅にて激しい揺れに遭う。暖かかったのに被災後は雪がちらつき寒くなった。ガスや電気が止まり、ラジオの被害報告に気が滅入るも、合間にオルゴール音楽を流すラジオ局に癒やされた一晩だった。)



小さな声でも伝えたい。


あの日を風化させないで、


※安全な家具の配置をしよう
※安全な場所を確認しよう
※災害用備蓄をしておこう
※避難の仕方を確認しよう
※応急手当の仕方を知ろう

災害への備えは、命を守る行動になる。

(過去の記事再編集)