甘い香りが漂い、ふと見れば、風に揺れる満開の藤。

 

枝ぶりも、なびくがごとく伸び、優雅でもあり力強くもある、見事な藤の鉢植え。

実は、津波痕から拾ったのを植え替えたものだという。

 

仙台市地下鉄で東の荒井駅へ。

駅からさらに東へ、広々した農地の間を30分ほど歩くと、農業園芸センターにたどり着く。

 

(↑農地再生中の農道 若林区荒井)

 

 

端午の節句の日、催しで賑わう野菜苗の売り場の傍らに、その藤は飾られていた。

 

大変すばらしいので眺めていると、売り場にいた菅野農園の方が、声をかけてくれたのだった。

 

「これね、俺が植えだの。流されだやつ。津波のとこから拾ってきたんだ。植えで育てたっけ、咲いたんだよ。」と。

 

 

めんこそうに(さも可愛がるように)、菅野さんは枝を撫でた。

互いに、生かし生かされる人と植物。

何と素晴らしいのだろう。

 

 

ふと、思い浮かぶは万葉集の歌。

 

  恋しけば 形見にせむと我がやどに 

             植ゑし藤波 今咲きにけり

 

 

古の歌人、山部赤人は、ホトトギスの声がする緑輝く風景や、その心地よさを思い浮かべたのだろうか。

 

恋しくなったら、偲ぶよすがにしようと家に植えた藤が、今まさに咲いていると歌っている。

 

花も緑も輝く初夏、庭に植えた藤が咲いたのを見て、心浮き立つ様とも思える。

 

 

力強くも美しく咲く花に、人は慰められる。

私らもまた、そんな心持ちで藤を愛でた。

 

菅野さんにとっては、津波前の家々や畑を思いながら、拾って植え付けた枝だったろう。

それが今、こんなにも立派に花を咲かせている。

 

 

 

荒井も津波に襲われ、農業園芸センターも一度は荒れ果てた。

以前は大きな温室が目印だった。

(↑2014年3月 大温室のある農業園芸センター)

 

今では解体されて、もう無い。

とても残念だ。

 

かつて大温室は、水と熱帯植物に囲まれ、南国気分を味わえて、冬にもゆったりと楽しめる良い場所だった。

(↓1999年 震災前の大温室内)

 

 

 

 

だが、荒れた庭園は、再び花を草木を野菜をと、人々が丹精して育て、心地よい庭園へと甦った。

 

 

恋しけば 形見にせむと・・・

 

今、咲き誇る花々、葉を茂らせる木々、日に日に大きくなる苗を見て、私らは思う。

向かおう、再び、命の輝きに満ちた場所へ。