夫TAKADONの手術日前夜に

母の終末期宣言を聞き

動揺しまくってた私ですが


母の施設の長(泣いてた方)への

感謝の気持ちで心が満たされました


その翌日、父が電話で

施設側と自分との母の容態に対する

考え方が違うので話し合いをしたと

少し興奮していました


すぐその夜私は施設長宛に

手紙を書き父の真意と

私の感謝の気持ちをしたため


4年前に入所したとき

桜の開花期で桜施設の部屋の窓から

はらはら散る花びらを眺めながら

ここで母を看取るんたなと

覚悟していたことを伝えました


そういったことを忘れるほど

母は元気に過ごし

父との蜜月とも思える月日を

幸せに生活できたのは

父だけではなく施設の方々の

支えのお陰様です


仕事を1時間早退し

まずTAKADONの手術翌日のお見舞いに行き

(病室の廊下で5mほど離れて会えました)


もう歩いてたしウインク安心


その後母に会いに行き

施設長にお手紙を渡し手紙

部屋に行くとちょうど母の夕食を

父が介助中でした


母は日中入浴もさせてもらい

さっぱりした顔で私を見ました


2日前の

『しんどくなったらアカン』は

もう忘れているはずなので再び

TAKADONが入院してる

と言うと「何で?」と

母が聞いてくれましたおねがい


桜桜桜

母のパジャマを買うと言ってた父は

破れている箇所を繕ってほしいと

他にスラックス直しも私に託けました





明日の朝届けます


あと何日、母の命があるのか

分からないけれど、これを

身につけてくれたら嬉しいな