先人の努力で守られた野幌原始林  望田武司〔札幌市) ❺

 

野幌森林公園を歩くと、急に明るくなって公園の中では最も大きい池に出る。開拓時代に作られた池で、これを水源として稲が実ったことを記念して今日『瑞穂の池』と名付けられている。私たちはここにたどり着くと、四阿のベンチで弁当を広げながら、バードウオッチングや夏の緑、秋の紅葉を楽しむ。また野幌原始林には手つかずの『トドマツ』の純林が残されていた。この貴重な純林を保護するため野幌原始林は戦後、植物としては珍しい国の特別天然記念物に指定された。動物でいう釧路のタンチョウ、佐渡のトキ、地質では昭和新山並みの貴重な自然の記念物として保護されたのだ。ところが昭和29年の洞爺丸台風で、原始林はバタバタ倒れたため、江別地域の特別天然記念物指定は解除され、現在わずかに北広島地域の野幌原始林が特別天然記念物として残っている。

 野幌森林公園を散策すると、突然『駐蹕の碑』という聞き慣れない碑に遭遇する。これは戦前秩父宮ご夫妻が、散策された時休憩をとったところで、馬〔の蹄)を休ませた場所として碑が建てられた。ハイカーは、一度は『これなーに?』と碑を見るが、ほとんど関心示す人はなく、ひっそりと建っており夏は草茫々で、誰も手入れをしていないようだ。この付近の湿地では、春はミズバショウの群落が見られ、葉が落ちるとフクロウが大木の洞にちょこんと座っているのを観察することができた。江別に入った関矢孫左衛門の邸宅跡は『千古園』として残されており、江別市の指定文化財第一号として保存されている。

その庭園はサクラの名所となっているが、庭園のいっかくには、枝を扇状に広げた大きなブナの木がある。ブナは江別には自生せず、孫左衛門が故郷から持ってきた樹、望郷樹・郷愁樹と言われる。郡長も銀行頭取もやめ、帝国議会の議員もやめて江別に没した孫左衛門は、亡くなるまでこの木を眺めては故郷に思いを寄せていたことだろう。

北越殖民社は入植団体としては数少ない成功例だと言われる。

殖民社が移住者を募集したこともあり、入植者は江別だけでなく、空知や十勝にも入植しており、、この結果北海道に入植した新潟県人は、青森・秋田についで3番目に多く、明治から昭和の初めにかけて6万1600戸に達している。

野幌原始林から端を発する開拓民の動きを見ても、れきしのうねりを感じる。

 

〔第五回、了)

 

【次回から、野幌森の『いま・みらい』をお話ししようと計画しています】