先人の努力で守られた野幌原始林  望田武司〔札幌市) ④

 

それだけに広大な北海道を治める長官の権限は絶大で、往きすがら長官を迎える地方は盛大な歓迎会を催したという。

 北海道には平成の大合併までは212の市町村があり、大合併後の今日でも179と、本州の各県の10倍以上の市町村がある。

琵琶湖疏水を作って遷都で寂れていく京都に息を吹き返し、京都の恩人と言われて銅像の建つ北垣国道京都府知事は、この後栄転して4代目の北海道長官になっている。北垣国道といえば、琵琶湖疏水を作った若手技術者の田邉朔郎に、自分の娘を嫁がせ、北海道長官になった時、娘婿を北海道庁にスカウトし、娘婿は狩勝峠を貫通させて北海道の東西を結ぶ根室本線の狩勝トンネルや、急流と断崖の難所と言われた石狩川の神居古潭沿いにトンネルを作って、札幌ー旭川間の鉄道を完成させるなど、北海道鉄道の最重要の難関トンネルを次々に作って本道発展に大きく貢献したことはあまり知られていない。

 

さて、野幌に入植した「北越植民社」の必死の運動で、野幌原始林は細分化されず、したがって伐採されず、今日まで残され、この結果日本一の平地の森林公園になった。

今日自然保護意識の高まりから自然を残そう、里山を残そうという運動が各地で起きているが、野幌原始林は自然保護のためではなく、生活・生業のために残された。当時は自然保護という概念はなく、今日捕まえて食するとお縄頂戴になるハクチョウの肉を食べていた時代である。残された理由がなんであれ、現代に生きる私たちは、開拓以前の原始の姿を、大都市札幌の近郊で楽しむことができるのはありがたいことだ。

 

〈原始林の面積、現在およそ2000ヘクタール〉

 

〔第四回、了)