も今日の朝食時、窓に朝陽の逆光ののなかひときわ目立っている樹があった。アズキナシの花だった。隣家のカツラの巨木、手前には我が家のブナの樹に挟まれ、真下にはコクワが繁り、さらに下ではサツキの花が風に揺れている。窓の近くには、つい半月前まで、風に吹かれ小気味よく笑いさざめいていたジュンベリーも今はすっかり若葉に覆われている。そんななか、今朝突然、いや二、三日前から準備されていたのかもしれないがアズキナシの花が開いていた。五月の風はみな一様に花々に笑いを促している。写真では笑い声まで伝えることはできないけれど、想像して欲しい。アズキナシの花には懐かしい思い出がある。三十年以前のこと、N先生とY先生との会話である。まだ森の喫茶店『樹』が開いていた頃、N先生が森の中、ユズリハコースの曲がり角あたりで写した一葉の写真が話題になっていた。N先生『これって、アズキナシでしょうか、それともシウリザクラでしょうか』、花には詳しいY先生は『どうでしょうかね、種がまったく違っていますが、言われてみれば花ぶりは似ていますね』.しばらくの間話は続いた。N先生六十代、Y先生八十代。二人とも元教員である。定年後、自然大好き老人として、この森を徘徊するのを生き甲斐にしていた。二人に共通しているのは職業的な雰囲気を持ちながら、控えめな物腰、豊富な知識を有しながら決して押し付けがましい態度を取らないことだった。それほど長い付き合いでもないのに二つの花をめぐってしばらくの時が過ぎた。図鑑に頼れば、二つの花の差異はかなりはっきりしている。花序も違う、葉の形もかなり異なっている。二人とも、それがアズキンッシかシウリザクラなのかすでに判っていたのだろうと思う。特にY先生は花には詳しい。でも、二人は結論を決して急がなかった。会話を包む五月の風と陽の光のなか花の名前を通して楽しんでいたのだろう。その頃のこの森はそうして喫茶『樹』はそんな二人の時間を温かく包んでくれていた。N先生は1995年、Y先生ももはや鬼籍の人。蒼氓の民である。書棚から、没後、自費出版されたN先生の写真集『野幌原始林』を取り出して久しぶりにページを繰った。アズキナシの花はなかったが、森が春夏秋冬に分けられて、優しい視点で紹介されていた。

 

写真は、森の夕方、ミドリニリンソウ、我が家のアズキナシ、N先生の写真集、など。