みほこです。 

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昨日、夕ご飯を作っているとき

 

ふと「置いてきぼり」って

言葉が浮かびました。

 

 

私は幼いとき、「置いてきぼりになる」

不安をいつも抱いていたのだな。

 

 

以前は、「孤独」が怖かったと

思っていたけれど、

 

「置いてきぼり」が

しっくりきます。

 

 

 

 

 

 

 

股関節脱臼して生まれて

ギブスがとれたと思ったら

 

喘息、アトピー症状がでてきて

母はそんな私の側で小学生くらいまで

 

ずっとヤキモキしてきたのだと

思います。

 

 

 

良くなるようにと


いろんな病院も行ったし

治療もしました。

 

 

 

いつしか

この症状がよくならないと

 

自分は一人前ではないのだ

と思い、

 

「もう嫌だ」と思いながらも

 

やめたら、

自分の症状もよくならないし、

 

何より、母に見放されたら

 

置いてきぼりになったら

 

そんな怖さを持っていました。

 

 

 

 

 

そしてその怖さと同時に

 

いろんな治療を試しても

症状がよくならない自分に

 

何かが欠けている感を長い間、

感じてきました。

 

 

 

今、思うのだけど、

治療していくにあたって

 

母に

 

「どうしたい?」

 

「どんな気持ち?」

 

って聞いてもらいたかったな

と思います。

 

 

当時、母の必死さが伝わってきて

 

母の気持ちに応えないとと

思って自分の感情を出さずに

 

どこかに置いてました。


 

そうだ!感情も「置いてきぼり」だった。

 

ここに一番、寄り添ってもらいたかった。

 

その時は自覚なかったけれど。

 

 

 

子供っていじらしいくらい親を見ている。

 

自分で振り返ってもそう思います。

 

 

 

 

 

 

 

幼ければ幼いほど、

 

親が全ての世界で

生きています。


 

 

親に見放されたくないから

 

無意識に親の意識を読んでいるって

ことがあります。

 

 

 

親の意識を読んで動いていると

 

いつしか親のためにになって

 

気持ちが満たされません。



小さい頃には自覚がなくても


感情が溜まっていき生きづらさに

繋がります。

 

 

 

子供が一歩一歩、


自分の足で

歩んでいけるように

 

子供の気持ちに寄り添って

 

感情が出しやすいような

声かけをしていきたいですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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