~1990~



                                                  写真は転載


89年から92年にかけてスイスに何度も足をのばしていた。


北に抜ける時は必ず通る地理的な要素があるにせよ、


景色のよさは年間通して楽しめる国だ。


デートでよく訪れていたのはミラノからも近いコモ湖。


ヨーロッパのセレブが別荘を建てたがる避暑地でもある。


かといって成金のような悪趣味な建造物は皆無。


観光客も少ない静かな落ち着いた土地だった。(当時は)


ジュネーブ、ローザンヌへは確か高速A5を使って世界最長の


トンネルを抜け、車で行ったはずだが詳細な記憶が欠如している。


この昔話を記憶の記録として残したいがすでに消失し始めている。


レマン湖は広大で景色は壮大だった。シンボリックな噴水も圧巻。


食事はオーソドックスで赤身の牛肉ステーキは噛み応え十分で


うまい。




オーストリアは列車でめぐる旅もいい。


今考えると時刻表もろくに読めないのに無謀な旅だったが


なんとかなったし、それ以上に楽しんでいたと思う。


沿線から眺める家々には窓枠いっぱいに花がかざられ


景色は立体的に変化し、


まさに絵本のような世界が広がっていた。


インスブルックに着いた時は祭りのような催しが行われていた。


宿泊したかわいいプチホテルの窓下の通りでも舞台が作られ、


民族衣装を着た男女が足と手をたたき合わせながらリズムとタップを


軽快に踊っていた。(シュープラッター)


旅先で美女と出会えるのもうれしいもの。


一人旅の日本女性とひょいと親しくなり、軽くお茶した。


別れ際、彼女は「ごきげんよう」とひとこと笑顔とともに。(聖心?学習院?)


この時、きれいな日本語の使い方だなぁと感心した覚えがある。


けっして女性の一人旅が安全とはいえない海外で自分磨きをしながらも


凛として行動する彼女は素敵でした。



ウィーンへは車で行った。


というより寄ったというべきか。


前回の紛争中のユーゴスラビアで時間を喰い、しかも国境線出国時に


今まで以上の車内検査(車を分解するのではと思うほど)と検品に時間を


とられた。幸運なことにビデオテープは没収されなかった。


なんやかんや旅程の一日は消滅したので急いでミラノに帰らなければならなくなった。


なのでウィーンは市内を車でグルグルしただけだった。




今回でミラノを起点に巡った土地の記憶は一旦終了。


イタリア国内の記憶巡りは他の国が終わってから再び記事にしようと思う。



                  to be contined......