今月から脱メタボを宣言し、腹筋運動を続けてきた。 今日の関東は、一日中、びっくりするぐらい暗い薄曇りで、近所を見ると、昼間から、照明を点けているところがあった。 いつも薄曇りで、太陽が顔をのぞかすことが貴重だった、イギリスの空。。。。 風吹きすさぶ、ヒースロー空港に到着した時、不安と期待に胸がいっぱいになったこと。 ・・・と語っていた、昔の友人を思い出した。
俺にとってのイギリスは、地理的距離と同じぐらい、関係を感じることは薄く、みんな、サッカー好きで、紅茶をやたらめったら、全土で1日に、1億6500万杯飲み干す国民がいるということしか、知らない。 ・・・鼻にピアスしたパンクな人というのは、まだいるのか?! ・・・・ボーイ・ジョージと美輪明宏って似てるよなっ! |
春の季節に思い出せっ!俺の幼年時代の光と痛みに関する記憶の続き No.6 END・・・。 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.1 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.2 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.3 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.4 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.5 ミノルが去って行った後、俺のその後の生活で、自然にミノルの代わりに、ケイちゃんがその位置を占めるようになった。 ケイちゃんには、とても悪いのだけど、ミノルと俺が分かち得ていたような、情緒と性格の上質さと上品さ、また二人で育てた、ある種の洗練さといっていいもの、そして築いてきた道徳観を、ケイちゃんは、完璧に欠いていたからな。。。。 幼い子供にとって、環境とは、記憶からぬぐえない、あの無慈悲な3.11の津波のごとく、どうしようもないもので、俺の友人環境は、次第に野卑めいたものに、染まっていった。 そうして、俺は時の流れと環境に身を任せ、あきらめにも似た気持ちで、毎日を受け入れ、少年へとなっていった。
小学校に上がって、新たに知り合った友達との関係は、新鮮さに忘れてしまうように思えていても、ミノルとの友達付き合いの日々からすれば、マガイモノのように感じていたが、それでも自分をだましだましして、その頃の友達づきあいの中で、自分を見出していた。 そして、相変らずケイちゃんが、いつも周りにいて、いつしか俺も、その関係に馴染んでしまっていた・・・。 小学2年生の時の国語の授業だっただろうか? 初夏に向かっている、暑くも寒くも無い一日だったように思うが、巡ってきた課題は、「手紙を書く」というものだった。 俺の相手は、やっぱりというか自然にケイちゃんであった。 学習したことに従って、郵便番号や住所、宛名を、封筒の決められた位置に、ぐねぐねと曲がりながらも大きく書き、文面の内容は、授業にふさわしい当たり障りも無いことを書き連ねて、みんなが一人づつあてがわれた相手に、実際にポスト投函して、郵送したわけだ。 ある日のこと、家のポストの中を見てみると、授業で習って、みんなで送ったような、手紙が、もう一通ポストに届けられていた。 俺だけ、サプライズが待っていた! そして、先生やみんなの前で、俺だけ、もう一通多く届いた手紙を見せた。 そうなのだっ! 全国の同じ学年の小学生が、石ノ森章太郎氏監修の国語の本で、同じ時期、同じ課題に取り組んでいたのだから・・・。 もう一通の手紙の送り主は、その時にあっても、手紙を出す相手に、俺を選んでくれたのだ。 淡い幼年時代の記憶を、日々の生活の中で、流してしまうことなく、俺という、幼く未熟すぎる存在が、その時も送り主の心の中で、静かに息づいていたことを知って、俺はもう何も言えなかった。 先生に笑顔でうながされて、みんなの目の前で、俺だけ、もう一通多く届いた手紙を、読んだ。 教室の窓から入ってくる風は、初夏へ向かう緑の薫りがした。 みんなの前で、読む手紙の文面は、文字が霞んで、ぼやけて、読みづらかった。 『 割男くん、
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春の季節に思い出せっ!俺の幼年時代の光と痛みに関する記憶の続き No.5・・・。 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.1 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.2 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.3 君は俺の園児時代の光を見たか?!- No.4 ケイちゃんに顔面粘土ぶっつけ事件を起こしてしまった、同じ週の土曜日だったかな。。。。 ミノルは来て早々に、まず俺だけのところに来て、笑顔とも泣き顔とも取れるような表情で、四国へ引っ越すことを俺に告げた。 その時、交わした言葉を覚えていないけど、無音の記憶の中で、ミノルの口の動きだけを印象として覚えている。 友達の園児に取り囲まれ、何かと、言葉をかけられているミノル。 その後、先生たちに、ミノルのお母さんが何かしらの挨拶をしている間、俺たちは、ちっちゃなミノルの弟を喜ばせたくて、ブランコに乗る弟の背をみんなで押していた。 今、思い出しても、おかしくもあり、悲しくもあるのだが、まだ小さな弟のブランコの鎖を握る力は弱く、そこに、園児の遠慮のいらない力で、背中を押されたものだから、少なくとも三度は、ブランコから、ありえない角度で落っこちて、下のぬかるみで、晴れ着を泥だらけにしていた。 落っこちるたびに、泣き声を聞きつけて、ミノルのお母さんは先生のもとを離れ、ブランコの側に来て、起こったことを聞かないまでも分かっていて、みんなを叱ることも無く、弟の服をひっくり返して着せたりして、場をつくろって、また先生のもとに戻るという行為を繰り返していた。 その間、俺はこの時になってさえ、まだ信じられず、またミノルだけは、四国へ行かず、また次の月曜、一緒に幼稚園で会えるのだという、ありえないことを思おうとして必死だった。 そういえば、この頃、国民的子供番組『ナンとか屋 ケンちゃん!』をよく観ていたが、必ず、仲の良いお友達が引っ越していき、別れの悲しみと感動・・・!という話が、ケンちゃんに限らず、当時のドラマ番組で、やたら盛り込まれていたように思うが、その時の俺は、テレビ番組のように、『涙の内にも最後は笑顔』という風にはならず、ひたすら心の中で、終わりの見えないデスマッチを繰り広げていたように思うな。。。。
お母さんのご挨拶が終われば、ミノルは行ってしまう。 砂時計の残りわずかな砂のように、時間は過ぎていく。 それなのに、俺は悲しい表情も気持ちもおくびにも出せず、引き裂かれようのないものが、引き裂かれていくという、強烈な心の状態のまま、少なくとも表面上は、いつもと変わらず、ミノルをみんなで囲んで話していたように思う・・・。 あの時の心の状態は、それから数年を経て、ようやくぴったりな表現を見つけることができた。 こうして、ストリングチーズのように、俺の気持ちがゆっくり裂ける中、ミノルにも、誰にも、胸の内を見せることなく、平気を装ったまま、ミノルと別れたのだった。 ・・・次の月曜から、幼稚園に向かう足取りの重かったことといったら・・・・。 その後の俺は、たまに他の園児や、近所の人から、さみしくなったねと声をかけられてはいたものの、表面上は、気にしていない風を装っていた。 時間の治癒力と幼児ならではの成長力に任せて、子供らしく、一時的にひいた心の風邪のように、忘れたように思うこともあった。 しかし、あきらかに俺の生活は、その後、ぽっかりと失ったものを抱えて、そこを埋め戻すことは、ついにできなかったんだよ・・。 痛ましくも、軽やかに、明日のラストに続いちゃうんだぜっ! |
