今回は、旧約聖書に記されたイスラエルの歴史をもとに、邪教について書かせて頂きたいと思う。


宇宙絶対の神様の御降臨を仰ぐ宗教でも、正邪どちらの道を歩むかは、人間側によって決まる。

という事を、前回は初代様のお諭しをもとに書かせて頂いた。

神様の御意志は変わらない。変わるのは人間のほうである。

そのことを、旧約聖書は教えてくれている。

 

本題に入る前に、まず旧約聖書の時代について触れてみたい。

 

旧約聖書の時代の信仰


モーセの出エジプトは、紀元前1300年頃と言われている。
イスラエルの民の「信仰」は、創造主でいらっしゃる「主の神様」への信仰だった。
しかしモーセの時代は「信仰」という言葉はなく、「主に仕える」と言っていた。


その信仰を、旧約聖書の記述から想像するなら、
「天地を創造された主の神様が、エジプトで奴隷だった我々イスラエルの民を選ばれ、大いなる奇蹟をもって御救いくださり、恵みと教えを御与えくださった。

だから我々は、主の神だけに仕え、教えを守り、他の神々に仕えてはならない」
という信仰だったことが想像できる。

したがって、彼らが所属する「宗教団体」とは「イスラエル民族の共同体」であり、「信仰」とは「神に仕えること」だった。

「神に仕える」という事について

まず、この「神に仕える」という事について探ってみたい。
「仕える」とは、広辞苑によると、
「目上の人の身近にいてその用を足す。かしずく。奉仕する。」とある。

旧約聖書の「申命記」に、神様の御言葉が次のとおり記されている。
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もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。

あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。
(申命記11-13〜14)
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という御言葉である。


主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕える

それが、神様がイスラエルの民に求められた「信仰」である。

そのように仕えるなら、神様は大いなる恵みをお与えくださることを御約束された。

 

「主に仕える」という言葉は、旧約聖書によく出てくる言葉だが、かつて初代様に下された次の御神示にも「神に仕え奉る」という御言葉がある。

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信仰者は先ず宇宙絶対の神に仕え奉らねばならぬ
そして常に厚く神に仕え奉る時、神は大なる不可思議な力を与えるものである。
即ち、人間社会生活に最も必要な知恵は無量に与えられ、知恵のみならず財宝は恵まれ健康法は教えられ、弱きは強く励まされ、荒きは円く柔らげられ、人と交われば慕われ、社会より尊敬せられ、国家国政に参ずれば即ち百年の計を立て崇められるに至るものである。
ここに於て初めて人格は完成したるものと称すべきである

(第二世教主様「神の聖旨講座 第七回」より)
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第二世教主 島田晴行先生はこの御神示をもとに、信仰とは神様に仕え奉ることであるとお説きくださった。

 

この「仕え奉る」という言葉は、「仕える」の謙譲語で、特に、神様や天皇に対し、最大の礼を尽くしてお仕え申し上げる場合に用いられる。

よって「厚く神に仕え奉る」となれば、申命記に記された「主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして主に仕える」と、ほぼ同じ意味と拝察申し上げることができる。
さらに、常に厚く神に仕え奉る時の、大なる御祝福の御約束も、申命記の神様の御言葉と同じである。

そのように信仰とは本来、神様に仕え奉ることなのである。

 

体験を通して神様を知る

 

しかし、初めから皆がそのような信仰を持てるわけではなく、神様御降臨の宗教においては、はじめに救いを体験する。
それは、モーセの時代も、イエスの時代も、神様が初代様に御降臨された時も、初代様が開教された以降も同じである。

モーセの出エジプトの時、神様は、はじめに大いなる奇蹟をもってイスラエルの民を御救いになられ、その後シナイ山において十戒を御授けになられた。
イエスの時も、奇蹟によって病を癒やされ、奇蹟を目の当たりにした人々に、イエスを通して教えを御授けになられた。

神様が初代様に御降臨された時も、はじめに財宝を御授けになられ、貧乏のどん底から御救いになられてから、初代様を信仰へ導かれた。
そして初代様が開教された後も、最初に奇蹟による御救いをもって神様の御存在を知らしめられ、それから本当の信仰へと御導きくださっている。

宇宙絶対の神様が御降臨あそばされる宗教においては、まずはじめに神様による救いがあり、その救いによって神様の御存在と御威力を知り、それから本当の信仰が始まっていく。

かたくなな民

さて、「主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして主に仕える」という信仰が、神様がイスラエルの民に求められた信仰だったが、皆がそうだった訳ではない。

神様の御言葉に逆らい、戒めを守らない人たちも多くいた。


イスラエルの民は出エジプトの時、神様から大いなる奇蹟を賜り、長く続いた奴隷生活から開放された。

しかしその感謝も束の間、困難に遭うたびに、「エジプトにいた時の方がよかった」とか「皆でエジプトに帰ろう」と、モーセに不満をぶつけた。

神様は御怒りになられたが、モーセはその度ごとにお許しを乞い願った。

 

そのようなことが何度も続き、出エジプトから2年ほど経ったとき、いよいよカナンの地に入ろうとする場面で、またもやイスラエルの民は神様に背いた。

すると神様はモーセに、「この民は、いつまでわたしを侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか」と御怒りになられ、モーセの子孫以外の民を滅ぼそうとされたが、その時もモーセが必死でお許しを乞い願い、神様はモーセの願いをお聞き届けくださった。

 

しかし、神様は、カナンの地に入る予定を38年間延期され、その間に、出エジプトを経験した成人たちは皆死に絶えた。

エジプトを出てからカナンに入るまで、40年間かかったのはそのためである。

 

したがってカナンの地に入ることができたのは、若い第二世代だった。

そしていよいよカナンの地に入る直前に、モーセが若い世代に対して、

「これからどのように神に仕え、何に気をつけなければいけないか」を伝えた遺言。

それが「申命記」である。

 

その「申命記」の中で、モーセは約束の地カナンに入ろうとする民に次のように語っている。
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あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。あなたはかたくなな民である。
あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。
あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。

(申命記9-6~7)
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との厳しい言葉だった。

また申命記の中で、モーセは民に対し、「これからカナンに入るが、決して異国の神々に従ってはならない」と繰り返し諭している。

しかし、モーセには未来が見えていた。
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わたしはあなたがかたくなで背く者であることを知っている。
わたしが今日、まだ共に生きているときでさえ、あなたたちは主に背いている。
わたしが死んだ後は、なおさらであろう。

(申命記31-27)
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と語った。

すべてを語り終えたモーセは、神様に導かれ山頂からカナンの地を見せていただいた後、カナンに入ることなく召され、神様によってモアブの谷に葬られた。


その後、神様の御守護によりイスラエルの民はカナンの地に入ることができた。

しかしモーセの後継者ヨシュアの死後は、ダビデ王の時代を除き、「イスラエルに入り込んだ邪教との戦いの歴史」と言っても過言ではない。

その邪教とは、異国の偶像崇拝であり、アハブ王と王妃イゼベルの項などでも書かせて頂いたとおりである。

 

神様は、イスラエルの民を主に立ち帰らせようと、何人もの預言者を遣わされたが、王をはじめ民たちは神様の御言葉に聞き従わず、北イスラエル王国も、南ユダ王国も滅びてしまった。
 

異国の偶像に惑わされたイスラエルの民

前段が長くなってしまったが、本題に入ろう。

そのように、主の神に仕えるイスラエル民族の信仰を惑わす邪教「偶像崇拝」とは、どのようなものだったのだろうか?

十戒には次のとおり記されている
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あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。

(出エジプト記20-3~5)
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十戒は、それぞれの教えに番号が付いている訳ではなく、一まとまりの戒めであり、冒頭の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という戒めが大前提になっている。その大前提があっての「偶像崇拝禁止」である。

よって、「偶像を作らなければ、心の中で他の神々を思い浮かべ拝んでも良い」という事ではない。

ただ当時は、異国の神と言えば、人間が作った、目に見える偶像の事だった。

 

余談だが、神様はイスラエルの民に「像」を全く作らせなかった訳ではない。

たとえば、十戒の石版を収めた「掟の箱」(契約の箱とも言われる)。

大きさは、縦110cm×横66cm×高さ66cm。

アカシヤ材で作られ、表面が純金で覆われている。

箱の両側には、移動のときに担ぐ棒が2本、リングを通して取り付けられている。

そして純金の蓋(ふた)の上には、一対のケルビム(天使)が前傾姿勢で向かい合い、広げた翼は「掟の箱」の上を覆っている。

 

この「掟の箱」は、材料・寸法・形・デザインなど、細部に至るまですべて、神様の御命令によって造られたものである。

そして神様はモーセに対して、次のとおり仰せになられた。

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わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。
(出エジプト記25-22)
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「掟の箱」は、幕屋の一番奥にある最も神聖な「至聖所」に置かれ、神様がモーセと相対されるときの「神の御座」だったのである。

したがって、「掟の箱」の上に象られた二体のケルビム(天使)は、神様の御命令によって配された「神座」の一部であり、偶像の神ではない。

神様が禁じられた偶像崇拝とは、人が勝手に神の像を作り、崇拝することだった。

 

旧約聖書によく出てくる偶像は、カナン人が崇拝していた豊穣の神「バアル」で、遺跡から出土したものが現存している。

異国の偶像崇拝は、偶像を拝むだけでない。

その儀式は、まさに邪教と呼ぶにふさわしい、おぞましいものだった。
たとえば、「モレク」という牛頭の偶像があり、その儀式では、驚くことにモレク像の内部に新生児を入れ、生きたまま火を炊いて生贄としてささげていた。


生まれたばかりの自分の子供を焼き殺すなど、好んでするはずがない。

神様から大いなる奇蹟を賜り、神様の御守護と偉大さを知っているイスラエルの民が、なぜこのような邪教に惑わさてしまったのか?

と疑問に思う。


その詳しい記述はないが、蛇がイブを誘惑したように、相手の欲望を刺激するような言葉で誘惑したのだろう。

もちろん偶像に人を惑わす力はない。
惑わしたのは悪魔であり、悪魔に使われた人間である。
しかし邪教に落ちた一番の原因は、誘惑に乗ってしまった不信仰にあった。

 

惑わす側と惑わされる側

神様は、モーセの後継者ヨシュアの死後、異国の民をカナンの地から追い払うことをやめられた。その理由について「士師記」に次のとおり記されている。

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その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。
主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた。
「この民はわたしが先祖に命じたわたしの契約を破り、わたしの声に耳を傾けなかったので、ヨシュアが死んだときに残した諸国の民を、わたしはもうこれ以上一人も追い払わないことにする。
彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見るためである。」

(士師記2-19~22)
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神様が、異国の民を追い払うことを止められた理由は、主の道を歩み続けるかどうかを御覧になるためだった。

 

異国の邪教は、イスラエルの民を惑わす悪しき存在であった。

しかし同時に、イスラエルの民の信仰を試す存在でもあったのだ。

惑わした異国の邪教は確かに悪い。

何も知らずに惑わされたのなら、不運だったと言えるだろう。
しかし、神様の御存在を知りながら、また、神様に背くと知りながら、それでも誘惑されたのであれば、それは自分の意志による選択である。

創世記に登場する蛇は、イブに対して「禁断の実を食べなさい」とは言わなかった。
「食べると神のように善悪を知るものになれるんだよ」と言っただけである。

イブが自らの意志で食べたくなるように、言葉巧みに誘惑したのだ。
その誘惑に負け、イブは禁断の実を食べ、イブに勧められたアダムも食べた。

そのことで、神様は蛇を罰せられたが、同時に、イブとアダムも罰せられた。

神様に背く行為と知りながら、蛇に従ったからである。

 

この時の「蛇」こそ、人を惑わした最初の「邪教」だったかも知れない。