最近、5日の「神の聖旨」の体験を通し「信用の大切さ」を学ばせて頂いたので、書かせていただきたいと思う。

5日の「神の聖旨」とは、
~~~~~~~~~~
神は数多の人に現われて我れの師となり教え給う
人の行いのうちにも神の教えが現る。
人の言葉のうちにも神の声を聞くものなり。
深山で座禅を組むより、複雑化した都会を道場として、多くの人と四ツに取組み、すべてのものを対象として自己を磨いて行けば、立派な人物が出来上るのである。

~~~~~~~~~~
という神様の御教えである。


親切な若い職人さん

我家のすぐ近くに建築現場があり、職人さんたちと親しくさせて頂いている。

ある日、職人さんたちが仕事を終えて帰る頃、初めて見る若い職人さんが我家を訪ねてきた。
そして、
「今、現場の足場からお宅の屋根を見たら劣化がひどく、雨が続いたら漏りそうなので、早く教えてあげた方がいいと皆が言うものですから、余計なことかも知れませんが一応お知らせします」
と教えてくれた。

他の職人さんたちはもう現場にはいなかったが、その若い職人さんはわざわざ足場に上って写真を撮ってきてくれた。
写真を見ると、確かに屋根は色あせている。
素人目には劣化の程度は分からないが、屋根の塗装は以前から考えていたので、
 

私「教えてくれてありがとう。どんなところに頼んだらいいですかね」

職人「知り合いの業者さんがいれば、その方にお願いした方がいいと思います」

私「ちょっと心当たりないなぁ」

職人「そうですか。私の知っている職人に、一応聞いてみましょうか」

 

と言うのでお願いすると、目の前で電話をしてくれた。
職人さんは業者さんとしばらく話してから、
「今、知り合いに聞いたところ、『足場を組むので普通は100万円くらいかかるけど、おたくとの付き合いもあるし、他の現場が近いので効率もいいから、直接請け負うなら70万円でやれる』と言っていました。もしよければ見積書を持ってくるように話しますが、どうされますか?」
と言うのである。

せっかくなのでお願いすると、職人さんは再び業者に電話し、スマートフォンの音声をスピーカーにして、直接話すように促してくれた。

そして1時間後に見積書を届けてくれることになった。

若い職人さんは、「これから娘とオモチャを買いに行くんです」と、スマホ画面から幼い娘さんの写真を嬉しそうに見せ、帰って行った。

今回のテーマは、神の聖旨「神は数多の人に現われて我れの師となり教え給う」だが、今申し上げた体験は「親切な職人さんを通して、屋根の劣化を教えて頂いた」という話ではない。
実は、「詐欺に引っかかるところを、神様に気付かせて頂いた」という体験である。

「親切な若い職人」と思っていた人は、建築現場とは無関係の人だった。
詐欺と気づいたのは、見積書を待つ間、念のためにインターネットで調べると、屋根塗装の相場は、施工方法や広さによっても違うが、足場代込みで30〜60万円と書かれてあった。

業者に電話してそのことを話すと「相場100万というのは最高品質で施工する相場です」と言うのだが、突っ込んで質問すると言葉に詰まり、詐欺と分かったので断って電話を切った。

後日、現場の職人さんに尋ねると、そんな職人は知らないと言う。
勝手に足場を上り、写真を撮っていたのである。

先入観

振り返ってみれば、おかしな事がいくつもある。
・職人の服装とは少し違っていた。
・広さも分からず、見積り出来るはずがない。
・個人的な紹介なので他の職人に言わないで下さい、と何度も念を押していた。

・初対面の人に娘さんの写真を突然見せる不自然さ。
など。

なぜそれに気づかなかったのか?
「親しくしている職人さん達が、親切に教えてくれた」と思い込み、先入観を持ってしまったからである。

はじめに「信頼できる人」という先入観を与え、緊急性があるような嘘をつき、冷静な判断をさせないようにする詐欺の手口である。

実際に施工するとは言っても、嘘をでっち上げ、実際よりはるかに高いお金を取るのだから詐欺である。

おそらく、人をだまして実際の倍額ほどで契約を取り、工事を請け負う仲間の工務店から「紹介料」などの名目で多額の報酬を受け取り、両者で儲けているのだろう。

当然、価格に見合った施工は期待できない。

 

こういう類の詐欺がある事は私も知っており、「詐欺などには引っ掛からない」とタカをくくっていたが、まさか建築現場の職人に化けるとは想定外である。


高齢になると、こういった詐欺に引っ掛かりやすくなるから気をつけなさい、という神様の御心と感じ、感謝申し上げた。

携帯ショップの店員さんの応対

話は変わって、翌日のこと。
妻と出かける用事があり、途中で携帯ショップに寄ることにした。

というのは、最近スマートフォンを買い替えた時、「60歳以上電話かけ放題」を勧められ私はそうしたが、妻は「最近、長電話しないから」と、その契約をしなかった。
ところがそれを忘れて長電話し、妻の通話料だけで万単位の請求が届いたため、妻の契約内容を変更することにしたのである。

携帯ショップでは若い男性店員が対応してくれた。
「60歳以上電話かけ放題に変更してください」とお願いすると、「スマホから簡単に変更できますよ」と、妻のスマホから変更してくれた。
そのスピーディーな操作は、見ても何しているか分からない。

最後にスマホ画面を見せ「合計はこの金額でよろしいですか?」と聞く。

よろしいですかと聞かれても「契約内容」と「費用明細」が分からなければ答えようがない。

 

「いいかげんな対応だなぁ」と思いつつも、何やら急いでいる様子だったので、「60歳以上のかけ放題にしてくれたんですね」と確認だけすると、「間違いなく変えました」と言うので、その言葉を信じて店を出た。

そして用事を済ませて帰る途中、妻が「さっきの金額、ちょっと高くない?」と言いだした。

私は「携帯ショップの人が、間違いなく変更したと言うんだから大丈夫だろう」と答えたが、答えると同時に前日のことを思い出した。

神様が、先入観に気をつけるように、と教えてくださったのだから確認しよう、と再び店に行くことにした。


店に行くと、さっきとは違う店員さんが対応してくれた。
「どういったことでしようか?」
「さきほど契約変更をしてもらった時、○○○○円になると言われたんですが、念のため明細を教えていただけますか」

と言うと、最初に対応した店員がそれを聞いて近づいてきて、店員同士で何か話を始めた。


その話が終わって手続きが始まると、
「お客様、先月はかなり電話をお使いになりましたね。何かございましたか?」と丁寧な口調で聞いてきた。
妻が、「うっかりしまして」と言うと、「それなら相談窓口に電話すれば免除してくれるかも知れません」と電話番号を教えてくれた上に、さらに利用状況を見てムダな契約の変更も勧めてくれたのだ。

最初の時と違い、親切な対応である。

そして最後に明細と合計金額を聞くと、なんとさっきの金額の半分だった。

 

ありがたいことである。

でも、いったいあの金額は何だったのか。

高齢者と思っていい加減に対応したのかは分からないが、依頼内容と違う高額な契約に変更されていたことは、変更履歴を見ても明らかなのに、店員はそのことには触れなかった。

 

しかし、店員のアドバイスのおかげで安価で希望どおりの契約ができたのだから、苦情を言う筋合いではない。

2人の店員は愛想よく、私たちを出口まで丁重に見送ってくれたので、「ありがとう」と言って店を出た。

ただ、再びこの店を利用する事はないだろう。

 

2つの体験を通して学んだこと

今回、2つの体験を通して学んだことは、

1.「契約内容」や「費用明細」など、肝心な事を曖昧にして契約を急ぐ相手には気をつける。

2.「先入観」を持ってはならない。

ということである。

 

「人を見たら泥棒と思え」ということではない。

それこそ先入観である。

 

ただ、中には悪い人もいるし、善人でも間違うこともあれば、魔がさすこともある。

また自分自身が勘違いすることもある。

だから、「○○のはずだ」という先入観を持たずに、「契約内容」や「費用明細」など、肝心な事はしっかり確認する必要があり、特に高額の場合は要注意である。

当たり前といえば当たり前だが、高齢になるとそういうことがおっくうになる。

内容に偽りが無いのなら、「契約内容」も「費用明細」も、分かりやすくハッキリ説明できるはずだし、何を聞かれても明確に答えられるはずである。
しかし隠し事がある場合、それをごまかすための話は長々とするが、核心に触れることになると曖昧にしてごまかす。

そのような人には気をつけた方がいい。

 

不景気になれば、詐欺が多くなるだけではなく、名の通った会社でも売上を上げるために、法律ギリギリの際どい売り方をする場合があるかも知れない。

しかし、そのような時代だからこそ、より一層、信用が大切なのだと思う。

 

法の網をくぐり、人をだまして一時的に偽りの利益を得られたとしても、全てを御存知でいらっしゃる神様をだますことはできない。

初代様は、不徳によって得たお金は悪因縁を残して逃げていく、という真理を説かれた。

したがって残るものは「お金」ではなく、「悪因縁」だけなのである。


すべてが修行の道場

 

さて、今回の体験を、「神は数多の人に現われて我れの師となり教え給う」という聖旨と照らし合わせれば、「我れの師」となって教えてくれたのは、「職人を装った詐欺師」であり、「いい加減な対応をした携帯ショップの店員」である。


天心聖教の「由来」の中で、神様は初代様に「修行」について、次のとおり御諭しになっておられる。
~~~~~~~~~~
座禅を組むばかりが修行ではない。

店で商業を営んで儲けたり、損をしたりするのも修行の道場。

多くの人と話をするのも修行の道場。

勉強する図書館も修行の道場。

見る物・聞く物・善い人の行い・悪い人の行いを見るにつけ、自分の手本にもなれば、師匠にもなり、また自己が反省する資料にもなる。
人はどのような所でも、心掛けひとつですべてが修行の道場であって、道場でないものはひとつもない。

(「由来」より)
~~~~~~~~~~

神様は、「善い人の行い・悪い人の行いを見るにつけ」と仰せになっておられる。

すべては「修行の道場」であり、悪い人の行いも「師」となり得るのである。
「悪い人にダマされないように」という学びともなれば、また「悪事に自分自身が染まらないように」という自戒の材料ともなる。

 

難あって有り難し


神様は、私たちがだまされるところを気づかせてくださり、若い詐欺師と携帯ショップの店員を通して、今後気をつけることを教えてくださった。

それだけなくスマートフォン契約も、希望通りに変更できた上に、今までより安くなった。

また店員から言われたとおり、スマートフォンの相談窓口に事情を話すと、こちらのミスによる万単位の通話料を、本当に全額免除してくれた。

 

さらに、今回の体験を知人に話すと、その知人もダマされて購入してしまった物があり、「もういいや」と思っていたが、私の体験を聞いて気が変わり、クーリングオフの期間内に返品したそうだ。

私の「2人の師」は、知人に対しても「師」となったのである。

 

この2日間はいろいろあり、詐欺師に引っ掛かりそうにもなったが、結果的に見れば得したことばかりである。

難あって有り難し。

神様から賜った貴重な体験だった。