今回は、士師サムエルの時代の「イスラエル王制誕生」の経緯について書かせていただき、「イスラエルの王とは何か」を探ってみたいと思う。

大祭司エリが亡くなって20年が経ち、イスラエルの指導者となったサムエルは民に語った。
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あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュタロトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。
そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。

(サムエル記一 7:3)
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サムエルの言葉によって、人々は神に立ち帰り、ミツバの地に集まって断食をし、今までの不信仰を懺悔した。
この集会を知ったペリシテ人たちはミツバに攻めてきたが、サムエルが神様に祈ると、激しい雷鳴によってペリシテ軍は混乱に陥り、イスラエルは勝利した。
神様は、サムエルの言葉を証明されるかのように、ペリシテ軍を退けられたのである。

「イスラエルの王」を求めた長老たち

その後サムエルは、毎年イスラエル各地を回って裁きを行い、彼が住むラマに戻っても裁きを行なった。
年月が経ち、年老いたサムエルは、息子のヨエルとアビヤを裁き人に任命し、べエル・シェバの地で裁きを行わせた。

しかし息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、ワイロを受け取り裁きを曲げた。
するとイスラエルの長老たちが集まり、ラマにいるサムエルのもとに来て言った。
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あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。
今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。

(サムエル記一 8:5)
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長老たちのうったえは、
1.あなた(サムエル)はすでに年を取っている。
2.息子たちはあなたの道を歩んでいない。
3.ほかの国々のように裁きを行う王を立てて欲しい。

の3つである。

「1」は、「年老いたサムエルに裁きを続けるのは無理だ」と言いたいのだろう。

サムエルを使われているのは神様でいらっしゃるから、長老たちが心配することではないが、先のことを案じて相談しているのなら、特に問題というわけではない。

「2」の「息子たちの問題」、これは放置できない問題である。
ただ、前回書いたエリの息子の場合と違い、サムエルは決して放置したわけではない。
この件についての神様の御言葉は記されていないし、サムエルがどのように対応したかも書かれていない。エリの息子ほど大きな罪ではなかったのかも知れないが、サムエルのことだからきっと何か対応はしただろう。

もし王が立てば、どちらにしても息子たちの地位は奪われる。

それが長老たちの要望でもあった。

問題は「3」である。
ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください
この要求が問題だった。
士師は「指導者」だが、王は「支配者」である。
現在は国王と言っても、絶対君主制の支配者は少ないが、聖書の時代の国王と言えば、国の支配者を意味する。

この申し出は、サムエルの目には悪に映った。
では、神様はどのように仰せになられたのだろうか?

王制に対する神様の御心

長老たちの申し出を受けたサムエルが神様に祈ると、神様はそれを御許しになり、次の通り仰せになられた。
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民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。
彼らが退けたのはあなたではない。
彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。
彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。
あなたに対しても同じことをしているのだ。
今は彼らの声に従いなさい。
ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。

(サムエル記一 8:7-9)
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神様が御許しになられたのは、御心にかなっていたからではなかった。

 

神様がおっしゃられた、

「彼らが退けたのはあなたではない。
彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ」

との御言葉で、ハッと気がつく。
イスラエルの王は神様だったのだ。

アブラハム、イサク、ヤコブの時代からずっと、イスラエルの王は神様であったことに、イスラエルの誰もが気がついていなかった。

今まで神様は必要に応じて「預言者」や「士師」を遣わされ、イスラエルの民を救い、導いてこられた。
また、敵が攻めてきたときも、神様は神軍を遣わされて勝利へ導いてくださった。
しかしイスラエルの民は、そのように神様の御守護を賜わりながらも、他の神々に仕え、悪に染まったため、他国に支配されたり、数々の憂き目にあってきた。
その原因はすべて、イスラエルの民の不信仰によるものだった。

それなのに、憂き目にあった原因は、「イスラエルに王がいなかったからだ」と思い込んだ。

「王を立てて欲しい」という要求は、言葉をかえれば、「神様の王ではなく、人間の王が欲しい」という要求に他ならなかったのである。

神様はサムエルに、
「彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ」
と仰せになっておられる。
神様から御覧になれば、他の神々に仕えようとすることも、人間の王を立てようとすることも、「イスラエルの神様を退けようとしている」という意味で、同じだったのである。
 
「王の権能」と「民の義務」

しかし神様は、王を立てることを御許しになられ、
「今は彼らの声に従いなさい。

ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい」

と、サムエルに仰せになられている。
 
イスラエルの民は、王を求めながらも、「王の権能」と、それに伴う「民の義務」を知らなかった。
王は支配力を持つために、また権威を誇示するために、多くの家臣・兵士・物資を民に求める必要がある。
武器・財源・土地・馬・農作物など、様々なものを民から徴収し、労役を課さなければ「支配力」は維持できない。
したがって民は、神様への捧げ物とは別に、王に対する労役や物資を提供する義務を負うことになる。

サムエルは、神様が御示しになられた、様々な「王の権能」を皆に伝えた上で、こう言った。
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こうして、あなたたちは王の奴隷となる。
その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。
しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。

(サムエル記一 8:17-18)
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しかし、イスラエルの民は言い張った。
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いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。
我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。

(サムエル記一 8:19-20)
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神様中心ではなく、「王が中心になって戦えば国は強くなる」という主張。
これが王を求めた本当の理由だったのかも知れない。
今まで、他国の攻撃からイスラエルを守ってくださったのは神様だったのに、目に見えない「神様の御力」よりも「王の軍事力」に頼ろうとしたのである。


サムエルが民の返答を神様に申し上げると、神様は、
「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」
と仰せになられた。

イスラエル王朝の誕生

こうして、神様が選ばれた「サウル」が、サムエルに油を注がれ、一代目の王となった。
「油を注ぐ」とは、王や祭司が就位する時の儀式で、頭に本当に油を注いだらしい。

サムエルは民に語った。
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主は、モーセとアロンを用いて、あなたたちの先祖をエジプトから導き上った方だ。
さあ、しっかり立ちなさい。主があなたたちとその先祖とに行われた救いの御業のすべてを、主の御前で説き聞かせよう。

(サムエル記一 12:6-7)
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そう言うとサムエルは民に向かって、
エジプトを出て以来、イスラエルの民がいかに神様に不忠実であったか。
それでも、神様はいかに民を御守りくださったか。
それにも関わらず、

イスラエルの民は神様を退けて、「王が我々の上に君臨すべきだ」と主張した。
その非礼を、民に説き聞かせたのである。
そして続けて、
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今、見よ、あなたたちが求め、選んだ王がここにいる。

主はあなたたちに王をお与えになる。
だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい。

しかし、もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら、主の御手は、あなたたちの先祖に下ったように、あなたたちにも下る。

さあ、しっかり立って、主があなたたちの目の前で行われる偉大な御業を見なさい。

今は小麦の刈り入れの時期ではないか。

しかし、わたしが主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。

それを見てあなたたちは、自分たちのために王を求めて主の御前に犯した悪の大きかったことを知り、悟りなさい。
(サムエル記一 12:13-17)
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サムエルが神様に呼び求めると、神様は雷と雨を下された。
それを見て、民は皆、神様とサムエルを恐れた。
そしてサムエルに願った。
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僕(しもべ)たちのために、あなたの神、主に祈り、我々が死なないようにしてください。
確かに、我々はあらゆる重い罪の上に、更に王を求めるという悪を加えました。

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イスラエルの民ははじめて、自分たちが王を求めたことの非礼を悟り、懺悔した。
 
イスラエルの王は忠実な神の僕(しもべ)
 
するとサムエルは、それ以上、民の罪を追求しなかった。
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恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、今後は、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい。
むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。
それはむなしいのだから何の力もなく、救う力もない。
主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。
主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである。
わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。
あなたたちに正しく善い道を教えよう。
主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。
主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。
悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう。

(サムエル記一 12:20-25)

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こうして、王と民が神様への忠実を誓い、イスラエル王朝は誕生した。

したがってイスラエル王朝は、イスラエルの統治者である前に、すべてを支配しておられる神様の「忠実な僕(しもべ)」であることがその条件であり、神への忠実を誓った上で、王の権限を与えられるのである。
 
しかしサウル王は、神様への謙虚さを失い、忠実な僕ではなくなってしまう。
次回はその後のイスラエル王朝がどうなったかについて少しだけ触れ、歴史の意味について考えてみたいと思う。