今回は、初代様のお諭しより、「世渡りのコツ」について書かせていただきたいと思う。

 

世渡り上手の意味


「世渡り上手」の意味を辞書で調べると、

世間においてうまく立ち回り、有利な人間関係を築いたり、

裕福な暮らしを実現したりするさま

とある。

けして悪い意味ではない。

 

しかし、「あなたは世渡り上手ですね」と褒められても、あまりうれしくない。
「世渡り上手」という言葉には、

自分が得するように利口に立ち回る

というニュアンスが含まれているからである。

 

もちろん、「世渡りが下手ですね」も褒め言葉ではないが、

その「下手ですね」には、あなたは正直な方ですね、というニュアンスも含まれている。

 

「世渡りのコツ」それは割を食って生きること

それでは、初代様は「世渡り」についてどのように説かれているのだろうか。


ある人が初代様に、「世渡りのコツを教えてください」と申し上げたとき、初代様がお答えになられたお諭しが、ご訓話に記されている。

その一部を抜粋させていただくと、


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世渡りのコツというのは、商人なら悪い品でも上手に売り上げてしまうとか、また勤め人なら、一万円程度しか価値がない人間なのに、口先上手に立ち回って、一万五千円も取っているとか、またなかなか利口で人に割など喰ったことがない。むしろ人に割を喰わせることが実にうまい。こういう世渡り上手な人が世間にはいくらもおります。
しかし昔から「こすい子 身が持てず」という諺があります通り、こういう人は交際も続かず、世間からは嫌われて、だんだん相手にされなくなるものです。
また世間から嫌われたり、相手にされない人が成功した試しがありません。

(中略)
世の中の多くの人は、どうしたら出世できるか、どうしたら金が儲けられるか、寝ても覚めてもそればかり考えていますが、儲けたい儲けたいと考えている人に、世間の人は容易に儲けさせるものではなく、かえって警戒されるくらいが関の山で、それよりもむしろ余計な金は必要がないというような人のところに、かえって金は集まってくるものなのです。

金なんてものは、儲けよう儲けようと思っている人には、ちょうどくせの悪い馬のように、金をみな蹴とばしてしまうから、赤字にこそなれ黒字などになるわけがないのです。

商品でもそうです。売ろう売ろうと思っていると、自分の心が常にうろうろしてしまうから売れるものではない。だから結局棚ざらいにしてしまうのです。
金は儲けよう儲けようではなく、よく儲かる、自然に儲かるというようでなければならないのです。商品なども売ろう売ろうではなく、よく売れるようにならねばならないのです。

それにはお客さまという相手方に喜ばれるようにせねばなりません。
(中略)
裸一貫から財を成し、家を興した人を世間では成功者と言いますが、強欲非道の人、すなわち金にかけては義理も人情も無く、人を泣かせてぐんぐん金をつくる人もいます。
これは「悪栄えて天に勝つ」と言って、決して永続性のあるものではなく、その者の末路は実に哀れなものがあります。たとえ自分一代はそれで通ったとしても、子供の代には大抵地獄落ちとなるものです。また本人はどこまでいっても、満足や感謝など更になく、心の豊かさとか、心から安心するようなことは無く、この世を終わるものです。

よってこれらは嘘の成功であります。
(中略)
要は、世渡りのコツなど教えてもらう必要はなく、うまく立ち回るコツなど用いないで、誠心誠意すなわち神の御心に適った努力をする人を、世間では求めているのですから、そのような人は何処へ行っても、また誰にでも歓迎されるに決まっております。
つまり皆さんから歓迎されるような人でなければ、成功するものでないということです。私にコツを教えてくれと言えば、すなわち人に常に割を喰っているのが、世渡りのコツだと申し上げたい。

(初代様お諭し「世渡りについて」より)
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と初代様はお答えになられた。

「いつも私ばかり割を食っている。もっと世渡り上手になりたい」

そんなふうに思っている人もいるかも知れない。

しかし初代様は、世渡りのコツは「常に割を喰っていること」と説かれているのである。

一般的に言われる「世渡り上手」とは逆なのだ。

ただ、初代様が説かれる「割を喰って生きる」とは、「気が弱く、いつも割ばかり喰わされている」というのでもなければ、その逆に「いつも気が大きくなって、散財ばかりしている」というのでもない。

「何もかも承知で、割を食っている人」のことなのだ。

 

お金の値打ちを知りながら割を食って生きる

同じご訓話の中で、初代様は次のとおりお諭しくださっている。

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こう申し上げると、交際するたびにそんな損ばかりしていては、参ってしまうだろう。身上をつぶしてしまわねばならない、と思うかも知れませんが、それはごもっともで、そのために参ってしまったり、身上をつぶしてしまう人はどういう人かと申しますと、それは親譲りの資産を人におだてられて使うような、若旦那ならぬ馬鹿旦那であります。
昔から「おだて」と「もっこ」には乗るもんじゃない、という諺がありますが、もっこというものは、乗れば歩くより骨が折れるものです。それは網をくくったものですから、自分の重みで自分が網の中で締めつけられるから、乗るもんじゃないというのです。
自分の力で得た金の値打ちを知っている人は、いわば親分気取りで何も彼も承知で、常に割ばかり喰って損をしていて、そういう人は多くの人に尊敬され、また愛されもして、そこに徳望が集まり、自然に人が仕事や金儲けを持ち込んで来るものなのです。
お金というものは、よく儲けてよく使う人が本当の英雄であります。

そのよく使うところの金は、もちろん生きた金を使うのでなければなりません。

それには時期もあれば時と折もあり、自分の身のほどを知って、すべてを睨み合わせて行わねばならないことは、言うまでもないことです。
(初代様お諭し「世渡りについて」より)

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以上のとおり、初代様が説かれる「世渡りのコツ」とは、

自分だけが得するように利口に立ち回ることではなく、

また身のほどもわきまえずに散財することでもない。
自分の身のほどを知り、時期や折を考えた上で、人を喜ばせる働きを惜しまず、人のために生きたお金を使うことを惜しまず、むしろそれを喜びとする。

そのような生き方のことなのだ。

 

誰かが何かをしてくれたから、そのお返しに何かをする。

というのも大切だが、そればかりでなく、自分が率先して割を食い、人を喜ばせて自らも喜ぶ。

 

初代様が説かれる世渡りのコツを身につけて、物心両面に恵まれた人生を送れるように精進していきたいと思う。