前回まで2回にわたり、平吉師への御降臨について書かせていただいたので、今回は、初代様への御再臨について書かせていただきたいと思う。

 

初代様への御降臨

初代様への御再臨は、昭和10年1月18日の夕方のことだった。

当時、雑穀界に身を置かれていた初代様は、11年間の貧乏生活の末に、自殺を考えるまでに至っていた。
窮地に立たれた初代様が、神様に訴えられた場面が、天心聖教の「由来」に次のとおり記されている。


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自殺してしまおうと思った夜中の二時頃、布団の上に、むっくと座った私は、
『神様よ! 私は永代橋から身投げしようと思いましたが、妻や子供がふびんになり、とても死にきれませんでした。しかし、もう私にはこれ以上辛抱も、我慢もできません。

向こう一週間のうちに、私どもの生きて行かれる道をお授けください。そうでなければ、私はこれ以上とても辛抱できませんから死にます。私の亡き後は、あなたが妻や子供をお引き受けください。生かそうと、殺そうと、私は霊界へ行ってまでも苦情は申しませんから・・・・・・』
と申し上げたのでありましたが、これではお願いしているのか、怒っているのか、分からなくなってしまうでしょう。
これを聞いた妻は、びっくりして起き上がり、

「いまに、また良いこともあるでしょうから、早く休んでください」
と、ブルブルふるえながらなだめるので、私は気のやり場に困り、ブツブツ言いながら横になったのであります。

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それから2、3日経った、昭和10年1月18日の夕方、同業者の佐藤安孝氏が、初代様のお店で突然神がかりになった。

そこに外出中だった初代様が戻ってこられた。


その場面が、「由来」に次のとおり記されている。


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同業者で日頃至って温厚な主人公の佐藤安孝さんが、血相変えて私の店の上がり端に腰を掛け、私どもの年寄りや、妻や子供は、座敷の隅で驚いた顔をして、かたまっているので、
「やあ! 佐藤さん」
と言いますと、いきなり私に向かって、
『そこへ座れいっ!』
と、どなりつけたものですから、
「佐藤さん。どこで飲んで来たんだい」
と、いいかげんにあしらっていると、
『我は佐藤ではない。汝の守護神なるぞ。汝は三月限りの満州大豆をなぜ空売りした。このままにしておけば、汝はこの佐賀町の土地にはいられなくなるぞ。我が相場を告げる故、買い越すべし』
とどなりつけ、目をつるし上げたその気色があまりきびしいので、私も恐れをなし、一人では心細くなったので、
「亀田屋さんを呼んではいけませんか」
『許してつかわす』
とのことでありましたから、早速同業者の亀田屋を電話で呼び、三人で二階へ上がると、佐藤さんは、
『筆と紙を用意せよ』
と言うものですから、下へ行って、紙と鉛筆を持って来たところ、
『空売りは罷りならん。本月中は七円六十銭以下はないぞよ。二月は八円三十銭であるぞよ。汝らに財宝を授けつかわすが故、晴一の生まれた二月十一日には、必ず祭り事をせよ』
と申すのであります。やがて十時頃佐藤さんの奥さんが尋ねて来て、この有り様を見、てっきり夫は気が狂ったものと驚き、泣き顔で、
「早くお医者を呼んで、注射をしてもらいましょう」
と言って、電話をかけようとしたところ、本人は二階にいて、聞こえるわけがないのに、『医者など呼ぶこと、罷りならん』
と、頑として聞き入れない。そうこうしているうち十一時になりますと、自然と本心に立ち返ってしまいました。

(天心聖教「由来」より)
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これが、初代様への御再臨の場面である。

その後、この話を聞いた、得意先の菊地卯之助氏は、生き神様であると直感し、御神示どおりに大豆を買い越すようにすすめた。

初代様がそのとおりにすると、しばらくして突然、大豆の大暴騰が起こり、その後どんどん値は上がって、御神示どおり8円30銭となったので全て売り抜き、初代様は大金を手にして貧乏のどん底から救われた。

 

その後も、初代様は信仰仲間とともに、神様の御告げを賜り、店の取り扱い高が日本一になるまでに登りつめたのである。

 

平吉師への御降臨の場面との違い

さてそのように、初代様への御再臨の場面は、平吉師の場合とは違った。
平吉師に対して、神様がはじめに仰せになられた御言葉は、

「これからお前の家へ行って遊ぼう」

という御言葉だったが、初代様の場合は、大豆相場の予言をされた後、
「汝らに財宝を授けつかわすが故、晴一の生まれた二月十一日には、必ず祭り事をせよ」

という「御命令」であり、「契約」であった。

旧約聖書にも、いくつか「神様との契約」の場面が記されているが、神様との契約は、人間同士の契約と違い、双方の歩み寄りや合意によって決まるのではなく、神様からの一方的な御命令によって決まる。

初代様の場合も同じであった。

 

また、神様は、平吉師への御降臨のときは、平吉師を神がかりにされた。

しかし、初代様への御再臨の場面では、信仰にかつて関係のない佐藤安孝氏を神がかりにされた。


その理由について、開教後間もない、昭和27年11月11日に降された御神示の中で、神様は次のとおり仰せになられている。
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吾が今日救いの光線を放射するについて、人類如きは始末の悪いところがある。
もしその時(昭和十年一月十八日御再臨の時)島田家の者を使った場合は、今日『喜びの人生』に発表しても、皆コシラエごとだろうと、多くの人が、マユ毛へツバつける疑心がはげしく、吾救わんとしても、救いを受けぬ者が至って多い故、全然信仰に嘗て関係のない佐藤を引き出したるものぞ。

(天心聖教「由来」より)
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御再臨のとき、神様が島田家の人間を使われると、将来、多くの人は「こしらえ事だろう」と疑心を持ち、神様が救おうとされても、救いを受けぬ者が至って多い。
という理由からであった。

 

したがって、神様はこのときから、「将来の救い」のために、人々が疑心をいだかぬように御配慮なさっておられたことを、うかがい知ることができるのである。


そして、御再臨から16年経った昭和26年、初代様が55歳のときに、神様より救いの御使命を受けて、天心聖教は開教された。

そのように初代様の人生は、神様の御再臨によって一変した。

しかし、御再臨より前の初代様の人生も、神様から与えられたご修行期間であったことが、「由来」を読むと分かるのである。

そこで次回は、神様が御再臨されるまで、初代様が歩んでこられた足跡を、由来の記述をもとに書かせていただきたいと思う。