前回は、イエス様が磔になってしまった理由について、天心聖教の初代様のお諭しをもとに書かせていただいた。
今回は、初代様が常に心にとめておられた、「宗教者の自戒」について、書かせていただきたいと思う。
イエス様が磔(はりつけ)になってしまった理由は、人類の罪を背負われたからではない。
人々から神様のように扱われているうちに、イエス自身も自分を神と思いこみ、そのために神様がイエスから離れてしまったからである。
という真実を、神様は初代様に御告げになられた。
しかし、初代様は決して、イエス様をわるく言われているのではない。
そのことを尊い教訓として心に留め、宗教家として常に自戒されていたのである。
初代様は、そのことを次の通り語っておられる。
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こう私が申し上げますと、クリスチャンにとっては、キリスト教を攻撃するような、実に卑しい言葉のように感ずるでありましょうが、しかし決して攻撃ではありません。
私にとりましては、キリストの犠牲が実に尊い体験となっておりまして、私は再びキリストの足跡を踏むような、失敗はしないという自信がついておるのであります。
それ故に、人間味をたっぷり出し、決して神気取りをしない理由がそこにあるのであります。
(初代様お諭し「奇蹟的救い」より)
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この初代様のお気持ちは、ご訓話をとおして我々信徒にもはっきりと伝わってきた。
「神様がお救いくださるのだ」ということを常に根本に置かれ、神様からお叱りを受けたお話も、ご自身の失敗なども、包み隠さずご訓話の中でお話しくださっていた。
宗教監督官からの寄稿
開教当時のことだが、東京都庁の宗教監督官の方が、機関誌に寄稿されたことがあった。
その監督官は、次のとおり初代様を評されている。
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昔から人間は人を騙すより、騙される人間になれ、とよく言われているが、島田氏こそは、まさしく騙される側の人間である。
氏はごく平凡な社会人であるが、少なくとも永く交際のできる人だと信じている。
島田氏ご自身が神を気取るようなことは微塵もないが、それでいてあらゆる奇蹟が現れているから全く驚いたものである。これは理屈ではない。
(初代様お諭し「幸福を築く秘訣」より)
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と評された。
宗教者の自戒
また昭和46年に、信徒の方々が、初代様への感謝の気持ちから、別荘を造って差し上げようと、お金を集めたことがあった。
しかし初代様はその申し出を辞退され、かわりにそのお金を使って、天心聖教の聖地である神様の予言によって初代様が生まれた旧い生家を、遺跡として残してほしいと、信徒に協力を求められたのである。
その遺跡保存計画にあたっての初代様の「声明書」に、次のお言葉が記されている。
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神様の御威力を教祖が笠に着て、生き神様になりすまして威張りちらかし、お高い所から弱い信者を見下す事は朝飯前であり、信者が別に別荘を造ると言わなくとも、教祖の方から、「お前等は俺に別荘位造ったとて罰は当らないぞ、造れ。」と言えば必ず造らせることが出来るでしょう。
(中略)
恐れ多くも活ける天心大霊神様が、そんな卑しいことを許す筈もなく、何故か有頂天になり増長したときには、神様はあきれかえって御昇天なされてしまい、喜ぶものは悪魔であり、待ってましたとばかりに悪魔が神様と入れ代って悪魔の支配を受け、牢獄などで悲惨な最後を遂げているのは、数々の宗教の前例を見ても、皆さんは御存知の筈であります。
(中略)
依って別荘などと贅沢など言わないで、これは教祖も教師たちも同じことで、殿様気取りなんかしないで、天心大霊神様の喜び給う崇高なる精神を教祖が磨きあげて、信者の悩みを我身に受け、信者と共に泣き共に喜ぶというザックバランのところがなければ、恐れ多くも活ける天心大霊神様に仕える資格はないのであります。
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と、宗教者としての、厳しい自戒の御言葉を残されていらっしゃるのである。
初代様は、神様から遣わされた使者として、威厳のあるお方でいらっしゃった。
と同時に、とても人間味にあふれ、信徒とざっくばらんに接しておられた。
もちろんそれは、初代様の人間性によるものだが、それだけでなく、神様から教えられた宗教者としての教訓を、自分ごととして捉えられ、常に心に留めておられたからなのである。
毎日感謝と懺悔して生きる
さて、「神と悪魔との対立」というテーマで話を進めてきたが、今までの内容は、「神様から遣わされたお方」、または「宗教家」という、特別なお方に対する悪魔の信仰妨害のお話である。
しかし、そのような特別なお方ほどでなくても、悪魔に惑わされる可能性があるのは我々も同じであり、気をつけなければならない。
では、どのように気をつけたら良いのだろうか?
ということだが、気をつけなければならないのは悪魔よりもむしろ、善にも悪にも傾いてしまう、「自分自身の心」にあるだろう。
28日の「神の聖旨」の中に、
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「毎日感謝と懺悔して新たに生きよ。
感謝の心は恩に報い、徳に謝するために積極的善を働く力となる。
懺悔は反省に役立ち、反省は悪に進む己が心を喰いとめる力となる。」
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という御教えがある。
感謝の心は「積極的善を働く力」となり、
懺悔は反省に役立ち、反省は、「悪に進む己が心を喰い止める力」となる。
「積極的善を働く力」と、「悪に進む己が心を喰い止める力」
この2つの力を身につけることができれば、たとえ悪魔が惑わそうとしても、惑わされることはまずないだろう。
この2つの力を身につけるには、その力を生み出す根源、すなわち「感謝」と「懺悔」の心を持って、毎日を新たに生きることなのである。
28日の神の聖旨に諭された、
「毎日感謝と懺悔して新たに生きよ」
この御教えを日々心がけ、神様の御支配のもとで、永遠の幸福を得られる自分でありたいと思う。