今回は、

「すべてのものを対象として自己を磨く」

という御教えについて、神の聖旨(みこころ)と、初代様のお諭しをもとに、書かせていただきたいと思う。

天心聖教の、5日の「神の聖旨」に、
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神は数多の人に現われて我れの師となり教え給う
人の行いのうちにも神の教えが現る。
人の言葉のうちにも神の声を聞くものなり。
深山で座禅を組むより、複雑化した都会を道場として、多くの人と四ツに取組み、すべてのものを対象として自己を磨いて行けば、立派な人物が出来上るのである。

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と諭されている。

「神の声を聞く」とはいっても、我々の場合は初代様と違い、直接神様の御声をお聞きできるわけではない。
「神様の御声をお聞きした」、という信徒体験談もまれにあるが、それは特別な場合である。

では、この聖旨に諭されている「神の声を聞く」とは、どういう意味か。

 

「神の声を聞く」とは


初代様は次のとおりお諭しくださっている。
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本教の柱暦に、
「神は数多の人に現われて我れの師となり教え給う。人の行いのうちにも神の教えが現る」
という教えがございます。
これは、人の行いのうちにと言いますけれども、単に人を対象とするばかりでなく、神様は、日常生活のうちに皆さんに全てのことでお諭しを現しますから、それを対象としてご自分たちを磨いていただきたい。

そうして磨いてゆけば、社会学の達人となって、一人残らず立派な人間ができ上がる。こういうことになるのでありますから、どうかそのつもりでこれから進んでいただきたい。
(「初代様八十三歳御生誕記念祝賀大祭における御訓話」より)
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と説かれている。

したがって、

神の聖旨にある、「神の声を聞く」とは、人の言葉や行いの中から、また日常生活に起こるさまざまな現象から、「神様の御心を悟る」という意味である。

神様は、信仰者に対して常に、
「汝、目醒めよ。汝、気がついて悟られよ」
と思し召され、人の言葉や行い、また様々な現象を通して、御心を御示し給うのである。

日常生活の中で問題に直面したとき、

「神様はどのように思し召されるだろうか」

と、神様の御心を仰ぐことが、信仰者として大切であることを教えられている。

ただし、そうは言っても、
「神様はどのように思し召されるだろうか」
と思うだけで、神様の御心を正しく悟れるわけではない。

入社したての新入社員が、
「社長なら、この問題をどうご判断されるだろうか?」
と考えても分かるはずがない。

社長がどのようなお方なのか、分からないからだ。


ではどうすれば良いのか。

正確な受け入れ態勢を養う

初代様は、同じご訓話で次のとおりお諭しくださっている。
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すべてのものを対象として自分を磨いていくといっても、悟り方が悪ければダメなんです。そっぽを悟るようではね。また受け入れ態勢がなければダメです。

何の役に立つものではないんです。
では、正確な受け入れ態勢は何によって養うか。

ということになりますと、何といっても、神の聖旨を身につけなければならない。

これは本当にたやすいことなんです。

毎日、その日の柱暦を読んで、それが馴れてしまえば、門前の小僧習わぬ経を読むのたとえで、いつの間にか頭の中に入ってしまうことになります。
だから、幸せになろうとしたならば、毎日柱暦を読むということは肝心なことなんです。

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初代様は、信徒が毎日、神様の御教えをめくって読んで覚え、身につけることができるように、「神の聖旨」として、31日の「柱暦」にまとめてくださった。
まず、それを読んで覚える。


「門前の小僧習わぬ経を読む」のたとえの通り、「神の聖旨」を毎日読んで頭の中に入れる。

そうすると、自分の中に「神の聖旨」というアンテナができ、人の言葉や行い、日常生活のさまざまな出来事から、

「あっ、神様が教えてくださった」

「なるほど、あの御教えは、こういう意味だったのかぁ」

と、感じたり悟ったりできるようになっていく。

神様がそのようにお導きくださるのである。

 

したがって、

「神の聖旨」を毎日読んで覚える。

これがまず肝心あると、初代様は説かれている。

空中に飛び交う電波も、アンテナが無ければ受信できないのと同じように、我々にそのような「受け入れ体制」がなければ、いくら神様が御心を御示しくださっても、悟ることができない。

 

自分の考えだけで、「神様はどのように思われるだろうか?」と考えても、それは神様の御心を仰いでいることにはならず、悟り違いの原因ともなる。


よって、さまざまな場面で、神様の御心を正しく悟るには、

「神の聖旨を毎日読んで覚える」

ということがまず肝心であり、さらに神様の御教えを探求していく精進が大切なのだ。


神様の御心を正しく悟り判断できるように、神様への礼拝とともに、

「神の聖旨を毎日読む」ということを、これからも心掛けていきたいと思っている。