今回は、旧約聖書が編纂された目的について、考えてみたいと思う。

 

聖書編纂の目的

 

「旧約聖書亅は、イスラエル民族にとって最も大切な、聖なる書物であり、民族の歴史書である。
しかしその内容は、イスラエル民族を自画自讃する内容でもなければ、民族の英雄物語でもない。


民族にとって都合の悪い歴史が数多く記されている。

特にソロモン王以降の南北王朝時代に至っては、ほとんどがそうだと言っていい。
そういった歴史をたどり、北王国も南王国も、神様への不忠実を繰り返した末に滅んでしまう。

イスラエル民族が、自分たちにとって不都合が出来事を、なぜ最も大切な書物に残したかを考ると、それは、「神様の御業と御心を、正しく後世に残すこと」が聖書編纂の最大の目的だったからだと思う。

旧約聖書には、深く熱心な信仰を持つ人たちも数々登場するが、同じイスラエル民族でも、神様の御言葉に逆らい続ける人たちも数多く登場する。

イスラエル民族の最善の王とされるダビデ王も、戦場に行っている部下の妻を寝取って子供ができてしまい、それを隠そうと画策するがうまくいかず、とうとうその部下を戦場で孤立するように仕組み、死に追いやってしまう罪を犯した。

旧約聖書にはその事実が隠すことなく記されている。

 

そのように、神様の御言葉に従って大いなる御祝福を得た者だけでなく、従わずに神の裁きを受けた者の行いも、身分に関係なく、そのまま記されているのである。

もしも旧約聖書が、イスラエル民族の不都合な出来事を隠し、王様を祭り上げているだけの歴史書だとしたら、そこから学べることは何もなく、歴史に残ることもなかっただろう。


イスラエル民族が残そうとしたものは、王様や民族の栄光ではなく、神様の栄光であり、神様の御業と御教えだった。

我々が、旧約聖書を通して、「神様はどのような御方でいらっしゃるのか」を感じ、学ぶことができるのは、旧約聖書に真実の歴史が記されているからである。
 

モーセが残した「申命記」

旧約聖書の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の5書は、モーセが書き残したものとされ「モーセ五書」と呼ばれている。
モーセ五書の中の最後の書である「申命記」は、出エジプトから40年後、いよいよ約束の地カナンに入る前に、モーセが次の世代の人たちのために語った言葉を記した書である。

神様の御命令によって、モーセは、エジプトで奴隷として苦しむ何十万人というイスラエル民族を導き出し、神様から十戒を授かって、その教えをもとに人々を導き、約40年間の旅の中でさまざまな苦労を重ね、ようやく約束の地カナンの目前まできた。
その功績からしても、モーセはイスラエル民族の大いなる英雄である。

しかしモーセは、死を目前にして、自らの英雄物語を残そうとはしなかった。
出エジプト以来、40年間の出来事の一つ一つを思い返しながら、これから約束の地に入るイスラエル民族、特に出エジプトの奇蹟を体験していない若い人たちに対し、「これからどのように神様にお仕え申し上げたらよいのか」、「どのようなことに気をつけなければならないのか」ということを説き聞かせたのである。

したがって「申命記」は、後世の人達に対する、「モーセの遺言書」と言えるのである。

モーセは申命記の中で、民に対して教えを説く前に、次のように語っている。
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イスラエルよ。

今、わたしが教える掟(おきて)と法を忠実に行いなさい。

そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。

あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。

わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
(申命記4.1-2)

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モーセは、出エジプトから約40年間、イスラエル民族の頑(かたく)なさに苦労し続けた。

民が神様に逆らうたびに、神様の御怒りはモーセにも向けられた。
そのつど神様にお許しを乞い願い、命がけで取りなしてきたが、結局、モーセ自身と、出エジプトを体験した第一世代の人たちは、約束の地を踏むことを許されなかった。

そこでモーセは、約束の地を目前にして、申命記を書き記したのである。


当時のイスラエル民族は、モーセを通して神様の御言葉をお聞きすることが出来た。

それでも、神様に逆らうことが度々だった。

したがって、モーセが亡き後にどうなるかを思えば、誇らしい出来事や、楽しい思い出を語っている場合ではなかったのだと思う。

 

後世の者たちが、神様の御言葉に忠実に従って幸福の道を歩み、間違っても神様に逆らって民族が滅んでしまうことがないように、その思いでいっぱいだったと拝察申し上げるのである。

 

そのようなモーセの思いが込められた「申命記」だが、モーセ亡き後、書物だけでイスラエル民族を導いていける訳ではない。

神様の下僕として、イスラエル民族を導いていく人が必要となる。


神様は、モーセのような預言者を新たに立てられることをお約束された。

次回は、そのことについて書かせて頂きたいと思う。