前回は、1日の「神の聖旨」に諭されている
「過去は消えてなきものなり、今より神が支配する。

過ぎ去った事を苦にせず先を楽しめ。亅
の教えについて書かせていただいた。

その意味は、「都合の悪い過去を無かったことにする亅ということではなく、
神様の支配下に入ったなら、過去の浅知恵を捨て、神様のお言葉のとおりに生きよ。
これからはそのように信仰を持って生きていくのだから、過ぎ去ったことを苦にせず、先を楽しみ、希望に満ちて生きていきなさい。
という神様の御教えであることを、第二世教主 島田晴行先生の教えをもとに書かせていただいた。

今回は、信仰において「感謝」とともに大切な、「懺悔(ざんげ)と反省亅について書かせていただきたいと思う。

懺悔と反省

過去の過ちを無かったことにはできないが、過ちを神様にお許し願い、罪を解いていただいて、現在と未来の自分を変えることはできる。
そのときに必要なのが「懺悔と反省亅であり、「神の聖旨亅に次のとおり諭されている。

28日の「神の聖旨」
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今日一日人の悪しき事を言わず我が善き事を言わぬこと
人の良きことをほめ、わが悪しき所を改めよ。
毎日感謝と懺悔して新たに生きよ。
感謝の心は恩に報い、徳に謝するために積極的善を働く力となる。
懺悔は反省に役立ち、反省は悪に進む己が心を喰いとめる力となる。

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懺悔(ざんげ)とは、神様に自分の犯した罪をお詫び申し上げ、悔い改めること。
反省とは、自分のなした事を省みて可否を考えることなので、過去の善い行いも含まれるが、この場合は「懺悔による反省」なので、悪かったところを省みて改めること。

である。

悪に進む己が心を喰いとめる力

神の聖旨に、

「懺悔は反省に役立ち、反省は悪に進む己が心を喰いとめる力となる」
と諭されている。


会社や組織のお金の流れをわざと複雑化し、長年にわたって分からないように流用や着服を行って、逮捕されるニュースはあとをたたないが、それは良心が麻痺して「懺悔と反省」の心がなくなり、悪に進む自分の心を食い止める力を失ってしまった結果だろう。

「懺悔と反省」の心は、自分を悲観的にとらえる、消極的思考などでは決してない。
自己の過ちを改め、悪しき道に進もうとする自分を強く引き戻してくれる、神様から与えられた、万物の霊長だけが持つ大切な力なのである。


過去の過ちを、「都合の悪い不徳の過去」にするか、それとも「未来への教訓」とするか、それは今の自分が持っている「懺悔と反省」の心によって決まるのだと思う。