今回は、「自尊心」ということついて、天心聖教の教えをもとに、書かせていただきたいと思う。

「自尊心」とは、辞書を引くと、
1.自らを誇って、うぬぼれること。
2.自らの人格を尊び、誇りと品格を保つこと。

とあり、良い意味でも、悪い意味でも使われる言葉である。

 

そこで今回は、初代様のお諭しをもとに、「自尊心とは何か」について考えてみたいと思う。

 

自尊自修

初代様は「自尊自修」と題するご訓話の中で、次の通りお諭しくださっている。
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信仰上特に必要なことは自尊自修であります。
自修とは自ら修めるということで、私や先生たちにばかり寄りかかって救いを求めたり、幸福を求めるのみでなく、自らが直接神様に救われ、自らが直接幸福の道を切り開くよう心がけていただきたいと存じます。

(中略)
また信仰していても、自尊心を失っていては更に価値はありません。

よって是非とも自尊心を育て養うことが、これまた最も肝心なことであります。
自尊心とは読んで字の如く、自ら尊び、自ら敬い、自ら慎むことでありまして、すなわち人格的品性を高めることであります。
信仰していてもその品性において、万物の霊長の資格が備わらねば何にもなりません。
人格的品性を高めるには、何といたしましても自尊の観念の基礎をつくることが、最も必要となってまいります。

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と初代様は説かれていらっしゃる。

 

「自修」とは、自ら修めることであり、

困ったときだけ先生に寄りかかり、神様にお願いするだけの信仰ではなく、神様の教えを身につけて、自ら直接神様に救われ、自ら幸福の道を切り開いていく信仰を持ちなさい。

という教えである。

 

そして、今回のテーマの「自尊」について、

「自尊」とは、自ら尊び、自ら敬い、自ら慎みむこと。

すなわち人格的品性を高めること

と説かれ、信仰していても自尊心を失っていては価値はないと、その大切さをお諭しくださっている。

 

自尊心とは何か


そのように「自尊」とは、自ら尊び、自ら敬い、自ら慎むことであり、人格的品性を高めることであると教えられているが、なぜ「自ら慎む」ことも自尊心なのだろうか?

 

冒頭に書かせていただいた通り、自尊心とは辞書によれば、

「自らの人格を尊び、誇りと品格を保つこと」とある。

また、「実用日本語表現辞典」には、

自己の品格を貶(おとし)めるような振る舞いを嫌悪する気持ちのこと

とあった。

 

よって「自尊心」とは、才能や能力によって生まれるものではなく、自分の心の奥にある、「自己の品格を貶(おとし)めるような振る舞いをしたくない」という思い、それが自尊心なのだ。

 

「自ら慎む」のも、「自分の品格を貶めるようなことはしたくない」という思いがそうさせるのであり、「自尊心」と「傲慢」の違いは、この「自ら慎む心」があるかどうかの違いだろう。

 

そのように、「人間として誇り高い存在でありたい」という願望こそが「自尊心」であり、本来それは、万物の霊長である人間の誰もが、心の奥に持っているものなのだと思う。