今回は、天心聖教の教えより「子育て」について、

特に幼児(おさなご)に対するあり方について、書かせていただきたいと思う。

 

幼児(おさなご)は叱ってはいけない

 

神の聖旨14日に、次の通り諭されている。
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【神の聖旨14日】
悲観と引目を感ずる者は成功は覚束無い
悲観したり人に引目を感ずる者は勇気を妨げ、大事を望むとき大切な勇気を失う。
故に幼児(おさなご)は叱ってはいけない。叱ると恐怖観念の種を植つけてしまい、大人になってもその恐怖の種が悲観と引目に代るからである。
相手の欠点を責めず愛で教えて笑顔で諭せよ。
美点をほめれば欠点は自然に消ゆ。

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神様は、「幼児(おさなご)は叱ってはいけない」と御諭しになられている。

では、何歳までを幼児(おさなご)を言うのだろうか。

 

一般的には、0歳から満1歳までを「乳児(にゅうじ)」と呼び、満1歳から小学校に入学するまでを「幼児(ようじ)」と呼ぶ。

したがって、人によって多少の幅はあると思うが、「おさなご」とは、だいたい乳児から小学校低学年くらいまでの子供と言えるだろう。

 

なぜ幼児は叱ってはいけないのか

では、なぜ幼児(おさなご)は叱ってはいけないのかというと、神の聖旨に諭されているとおり、

幼児を叱ると、

①「恐怖観念の種」を植つけてしまう。

②大人になってもその恐怖の種が「悲観と引目」に代る。

③それによって大事を望むとき大切な「勇気」を失う。

からである。

 

第二世教主 島田晴行先生は、かつて、ある女性信徒に子育てについて、この聖旨をもとにご指導をされた。

島田晴行先生の「夫婦和合の極意」と題するご訓話に、そのときのご指導内容が記されている。

 

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ここで、「叱ってはいけない」というのは、幼児に限られているのです。
ところが信者の方の多くの間違いは、全部叱ってはいけないと思い込んでしまうということなのです。
それから“相手の欠点を責めず、愛で教えて笑顔で諭せよ”というところを、相手の欠点を責めず愛で終わってしまうのです。

“教えて笑顔で諭す”というところをカットしてしまうのです。

“愛で教えて笑顔で諭す”ということは、よく説明をしなさいということであります。

したがって幼児は叱ってはいけない。

それが良いことであるのか悪いことであるのか、愛をもって笑顔でよく説明をしろ、常識を説け、真理を説けということであります。
そういうふうに、幼児の時代に育て上げていくことが大切なのです。
中学生とか高校生というものはもう幼児ではありません。

幼少時代に常識を説き、真理を愛と笑顔で説くということで、そうした事柄をしっかりと覚えさせる。

でありますから、大きくなって親に叱られたときに、何で叱られるのかということが子どもにわかるわけです。

それを、全然土台なくして叱れば善悪がわからない人間になる。
はたの者が見てそれはいかんというので叱っても、何で叱られているのかわからなくなってしまうわけであります。

そういうわけで、このお諭しの本当の意味を深く悟っておくことが大切でございます。
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と、島田晴行先生は、14日の聖旨の意味について、詳しくお諭しくださった。


幼児(おさなご)は叱ってはいけないが、だからと言って、「何も言ってはいけない」ということではない。
愛で教えて笑顔で諭し、常識という土台を、子供の心にしっかりと植え付けて育てよ。

と諭されているのである。

幼児のときに、そのように愛で教えて笑顔で諭し、常識という土台を心に植え付けられて育った子供は、やがて中学生、高校生、大学生、社会人となり、叱られることがあった場合でも、叱られている理由を理解できる人間に育つ。

 

しかし、幼児期に、問答無用で叱られてばかりいた子供は、「常識」は植え付けられず、「恐怖観念の種」だけが植え付けられ、大きくなって叱られても、その意味がわからない。

そして「恐怖観念の種」が「悲観と引け目」にかわり、「勇気」が妨げられて、大事を望むとき大切な勇気を失ってしまう。

だから、

幼児は叱ってはいけない、愛で教えて笑顔で諭せよ。そして美点を褒めてあげなさい。

と説かれているのである。

真剣にほめ、真剣に叱る

では子供が成長してからは、どうしたら良いのだろうか?
島田晴行先生は、先程のお諭しで、

「叱ってはいけない、というのは、幼児(おさなご)に限られているのです」

と説かれている。

その意味はもちろん、

「幼児は叱ってはいけないが、成長したら叱れ」

という単純なことではない。


島田晴行先生は、さきほどの女性に対し、次のようにご指導されたことが、同じご訓話に記されている。
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子どもは、ほめるときは真剣にほめろ、また叱るときは真剣に叱ってよい。
ただし、これは妻としてご主人に対しても同じことですし、ご主人が妻や子どもに対しても同じことですが、相手をくさらせるようなことは絶対言ってはいかん。

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というご指導だった。
 

ここでいう「子ども」とは、もちろん「幼児(おさなご)の時期を過ぎた子ども」のことだが、
大切なことは、
ほめるときは真剣にほめる。
叱るときは真剣に叱ってよい。
ただし、相手をくさらせるようなことは絶対に言ってはいけない。


したがって、「叱る」ときは真剣に叱ってよいのだが、

たとえば、「お前のような無能な奴は、どうせ何をやってもだめだから、あきらめろ」

というような、相手をくさらせるような事は、相手が大人であっても、子供であっても、言ってはいけないと説かれているのである。

 

人見て法を説け

 

また、島田晴行先生は、「人見て法を説け」とも説かれていた。

注意しようとする相手が、十分に反省している時は、同じ叱る場合でも言い方は違うだろうし、相手の心が病んでいるのを知りながら、それを無視して叱責する人はいない。

相手が今、どういう状況なのかを判断して対応するのが大人だろう。

 

優れたリーダーや教育者は、自分に真剣であるように、他の人にも真剣になれる人である。

相手の状況を的確に判断しつつ、ほめるときは真剣にほめ、叱る時は真剣に叱る。

そして相手をくさらせるようなことは言わず、愛をもって教え導くことができる人である。

島田晴行先生は、まさにそのようなお方だった。

私も、島田晴行先生にほめられたこともあれば、叱られたこともあった。
しかし叱られたときでも、何が間違っていたのかを、しっかりとご指導くださった。
そして人をくさらせるようなことは、けっしておっしゃらなかった。

島田晴行先生は、我々の心をすべて見抜かれて、お導きくださっていたように思う。

今振り返れば、褒められたこと、叱られたこと、お諭し賜ったこと、その全てが感謝である。