前回は、初代様の教えより、「雄弁に語る」という意味について書かせていただいた。
「雄弁に語る」とは、話が流暢なことではなく、訥弁(とつべん)であっても、また短い時間でも、人がいちいち感銘を受けるような話ができることを「雄弁」という。
ということを、前回に書かせていただいた。
したがって、話術がうまいから、雄弁だとは限らない。
たとえば漫才師は話術のプロであり、我々を笑わせ、楽しませてくれる。
しかしいくら話が面白くても、「あの漫才師は雄弁だね」とは言わない。
漫才師の方は、あくまでも「お笑い芸」を観せてくれているのであって、我々を説得したり、教えたりするために演説しているのではないからだ。
よって、芸人さんの真似をしたからといって雄弁になれる訳ではない。
そこで今回は、「どうすれば雄弁を身につけることが出来るのか」ということについて、
初代教祖 島田晴一先生と、第二世教主 島田晴行先生のお諭しをもとに、書かせて頂きたいと思う。
「諭し」と「信念」が人の心を動かす
初代様は「雄弁」を身につける方法について、次の通り説かれている。
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自分が世の中に立って成功の道を開くために、自分を最も良く主張したり表現するその弁舌は、一体どこで求められるのか、それは本教のすばらしい宗教的信仰より始まるのである。
なぜであるかというと、信仰より会得したところの神の御心が、対談する相手に、知らず知らず話しているうちに、相手に対して諭しが混ざるようになって、その諭しこそ雄弁となって現れるからである。
もう一つは、常に神への真心をもって祈る、その真心が信念を植え付け、その信念が社会に向かって、ほとばしるからである。自分にそのようなしっかりしたものが無かったら、到底人を動かす術はないのである。
(初代様お諭し 「自己を主張し、自己を表現する処世術は弁舌にあり」より)
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このお諭しは、信徒に対する信仰的指導も含まれた教えだが、
初代様は、雄弁には「諭し」と「信念」が必要であると説かれている。
信仰によって、話に「諭し」が混ざるようになり、その「諭し」が「雄弁」となって現れる。
そしてもう一つは、神様への真心をもって祈る真心が「信念」を植え付ける。
つまり、「諭し」を「信念」をもって語る時、人の心を動かす、と説かれているのである。
また初代様は同じご訓話の中で、
「ヘタでも何でも数を重ねるうちに、誰でも上手になれるものである」
と、機会があればどんどん人前で話すように心がけることも、弁舌を磨く上で大切であると説かれている。
「雄弁」と「説得力」を磨くには
また、第二世教主 島田晴行先生は、「雄弁」と「説得力」について次のように説かれている。
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雄弁とは聞いている者に分かりやすいことが第一条件である。
そして説得力とは聞く者が志を同じくすることである。
知っておくべきは、人から聞いたことを人に話すのは、伝えるということであり、物事を伝えるのに雄弁も説得力もあるものではない。
次に、人から聞いたことを人に言う場合は、単に言っているだけであるから、伝えるのと同じである。
自分が自分の身に欲しい説得力とは、自分が確信していることを人に教えるとき生まれるので、正に物事を説くことである。
話す人が確信していることを説くから、聞く者にとってはなるほどと思う。
そこに説得力を感ずるのである。
だから、伝えるのか、言うのか、説くのかによって、聞く者の心に響くものが違ってくるのは当然である。
そして雄弁とは形式ではなく、聞く者に分かりやすいことであり、心が伝わることをいうのであるから、その修得への道は無限のものであり、言い換えれば、修行によって無限の成長がある道である。
雄弁と説得力、それはまず自分自身が物事を分かりやすく理解することと、確信するまでに修行精進することによって生まれるものである。
(島田晴行先生著「一言集」の、『「伝える、言う、説く」の三原理』より)
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このお諭しは、昨年の8月末にご退任された、副教主先生が、昭和62年に「信仰上の三つの鍵」という教えを説かれ、それを聞かれた島田晴行先生が、副教主先生の「雄弁」と「説得力」に感心されてご執筆されたお諭しである。
このお諭しの中で、島田晴行先生が説かれていることは、
①「雄弁」の第一条件は、聞いている人に分かりやすいこと。
②「説得力」とは、聞く人に対して「志を同じくさせる力」であり、その力は、自分が「確信」していることを人に教えるときに生まれる。
③その「雄弁」と「説得力」を身につけるには、
・自分自身が物事を分かりやすく理解すること。
・その理解したことを、自分が確信するまで(信念となるまで)修行精進すること。
そのことによって、「雄弁」と「説得力」は生まれる、ということである。
したがって、初代教祖様と第二世教主様が説かれた、雄弁を身につけるための教えについてまとめると、
1.「雄弁」と「説得力」は、自分が得た『諭し』を、『信念』をもって語るときに生まれる。
2.そのためには先ず、受けた「諭し」を分かりやすく理解すること。
3.そして、その教えが自分の確信となるまで(信念となるまで)修行精進すること。
4.人前で話す経験を、できるだけ多く積むこと。
ということになる。
初代様も第二世教主様も、雄弁を身につける方法について、技術的なことはほとんど説かれていない。
雄弁は、その人の心に染み込まれた「諭し」を、「信念」をもって語るときに生まれ、
人前で話す経験を積む修行によって益々高められていく、
ということを説かれているのである。