前回は、旧約聖書出エジプト記やヨシュア記に記されている、神様のご指揮によるイスラエル民族の戦いついて書かせていただいた。

 

今回は、日本人が戦った「太平洋戦争」は、どうして起こったのか?

ということについて考えてみたいと思う。

 

産業革命と世界に広がった経済のつながり

 

戦争は昔からあった。

しかし第二次世界大戦ほど大きな戦争は、それまでなかった。

なぜそのような世界中を巻き込んだ大きな戦争に発展したのだろう。


歴史とは因果関係の連鎖である。

特定の事柄をもって、「この事件がすべての原因だ」と言い切ることは出来ないが、全世界を巻き込む戦争に至らしめた要因の一つに、「大量生産」と「大量輸送」を可能にした「産業革命」があるだろう。

そうなると莫大な設備投資を回収し、さらに大きな利益を生まなければならない。

それには「大きな市場」と「豊富な資源」が必要になる。


覇権国はさらなる「市場」と「資源」を求め、広大な植民地の獲得に動き始めた。

また世界的な大恐慌が、それを後押しした。
覇権国は経済危機を乗り越えるため、支配地域をさらに拡大しようとしたのである。


すると当然、植民地支配をめぐって覇権国の利害は対立する。
一つの国の利害が様々な国の利害に直結し、利害の争いはあらゆる国を巻き込んだ。
第二次世界大戦も、そのような世界的な利権争いを背景に勃発した。

 

第二次世界大戦は、「欧州戦線」と「太平洋戦線」の2つに大別される。

日本が戦ったのは太平洋戦線の「太平洋戦争」であり、「大東亜戦争」とも、「アジア・太平洋戦争」とも呼ばれている。

「統帥権」という正義

そして戦争の恐ろしいところは、どの国も「正義」と信じて戦っていることだ。
太平洋戦争において、日本国民も「正義」と信じて戦った。
しかし何を正義とするかは、各国それぞれの立場によって違う。
戦争では国民を鼓舞するために、時として「歪んだ正義」が捏造される。

例えば、日本帝国憲法第11条に、

「天皇は陸海軍を統帥す」とあり、これを「統帥権(とうすいけん)」と言う。
この条文を軍部は利用した。
「天皇直属の軍部に、政治家が口を出すのは統帥権干犯(かんぱん)だ」

と脅して暴走した。

日清戦争のときも、日露戦争のときも、そんなことを言い出す人はいなかった。

そして満州事変の後、奢り高ぶった軍部はさらに暴走して日中戦争を引き起こした。

 

「大東亜共栄圏」という正義


日本の中国大陸進出は「覇権国による植民地化」という世界の流れと無関係ではない。日本も、大きな市場と豊富な資源を求めていた。

しかし、「市場や資源が欲しいから東アジアに進出する」などという理屈が世界に通用するはずがない。そこで「大東亜共栄圏」という思想をスローガンとした。


それは、東アジア広域にわたり、アジアの欧米列強植民地をその支配から独立させ、大日本帝国・満州国・中華民国を中心とする国家連合を実現させる、というものだった。しかし現実は、他の覇権国と同じ、植民地化と変わりはない。

「大東亜共栄圏」という正義は、日本の主導権を前提とした正義であって、他のアジア諸国にとって正義とは限らない。
そのようなスローガンのもと、関東軍は本国の意向を無視して「日中戦争」を引き起こし、泥沼の長期戦に突入していったのである。

 

犠牲に見合う正義が存在するか

この日中戦争は、東アジア市場を狙うアメリカとの間に、利害の対立を生んだ。
さらに日本は、ヨーロッパ戦線でアメリカやイギリスと交戦状態にあったドイツ、イタリアと三国同盟を結び、アメリカを完全に敵に回したのである。

そこでアメリカは、日本への石油輸出を止めた。
そして「ハル・ノート」という、宣戦布告状とも言える要求を突きつけてきたのである。


その中には「中国からの撤退」と「三国同盟の実質的廃棄」が盛り込まれていた。
これは、当時の日本の状況からして、とても受け入れがたい内容だった。

しかしすべて受け入れなければ、日本の石油は底を尽きる。
「ハル・ノートを受け入れるか、それとも石油が尽きる前に戦争をするか」
その決断に迫られた日本は後者を選択し、太平洋戦争は開戦となった。

そして日本は太平洋戦争に敗戦し、日本人の戦死者は、軍人と民間人を合わせて310万人にのぼり、国民の生活環境は破壊された。
そして第二次世界大戦における、世界中の戦死者は、なんと6000万人~8500万人と言われている。

これだけの犠牲を正当化できる「正義」を説明できる人は、おそらくいないだろう。
しかし歪曲された正義でも、正義と信じる人にとっては「正義」である。
したがって歪曲された正義感が強くなるほど、戦争はとどまるところを知らない

日本の敗戦が濃厚になると、日本の軍部は「一億総玉砕」という思想をスローガンとし、国民を鼓舞した。
「たとえ日本人全員が死んでも、たとえ日本国が消滅しても、正義の戦いを続けろ」

というスローガンである。
もう、何のための戦争なのかも分からなくなっていた。

 

戦争責任

しかし太平洋戦争の経緯から、誰の責任でそうなったのかは分からない。
すべてを支配している独裁者が日本にいたわけでもない。
もちろん軍部の暴走が大きな要因だったことは間違いない。
しかし「軍部を暴走させたのは国民だった」とも言えるのである。
 

その発端は日露戦争の勝利にあった。

「ロシアのバルチック艦隊撃破」という、日本海軍の大勝利に酔いしれた国民は、
「多くの犠牲者と膨大な戦費を使って勝ったのに、ロシアからの賠償金を得られない」
と政府を非難し、官邸や新聞社や交番などを焼き討ちした。

 

日露戦争はアメリカの仲裁によって辛うじて終えることが出来た、引き分けに近い奇蹟的勝利であつて、賠償金など取れるはずもなかったのである。

 

しかし、事情を知らない国民は、戦争に勝った軍人たちを英雄扱いし、逆に政治家への不満を募らせていった。


国民の不満と、軍人の奢り。

それが、日本を軍事独裁政権に導いたとも言える。

ドイツのヒトラーによる独裁政権も、第一次世界大戦の敗北によってドイツが背負わされた、莫大な賠償金に苦しむ国民の不満の産物と言えるのである。

戦争は、誰か一人だけを取り上げて、「この人の責任だ」と言えるものではない。
人間が持つ悪因縁につけ込んだ、悪魔の仕業としか言いようがないのである。

 

なぜ戦争は起こるのか

戦争についての考え方は人によってさまざまだが、
「平和な世界でありたい

という願いは万人に共通しているだろう。
しかし、それでも戦争は起こる。

なぜだろう?

戦争史を研究されている方々は数多くいらっしゃり、
その方々は、あらゆる史実に精通している。

しかし、
「どうして戦争は無くならないの?」
「どうしたらこの世から戦争は無くなるの?」
という素朴な問いに、明快に答えることはできないだろう。

また、現在の世界情勢は複雑であり、一触即発の状況があらゆるところに見られる。
専門家の方々なら、現在の複雑な世界情勢を詳しく説明することもできるだろう。

しかし、そのような専門家でも、
「どうしたら解決するの?」
という問いに対して、実現可能な答えを返すことは出来ない。

それは人間による知恵だけで解決できる問題ではないからだと思う。

戦争の原因は人間の目に見えないところにあり、また解決方法も人間の目に見えないところにあるように思えるのである。

次回は、そのことについて書かせていただきたいと思う。