前回は、旧約聖書に記された、ソロモンの「伝道の書」について書かせていただいた。

今回は、神事と人間事の違いについて書かせて頂きたいと思う。

 

ソロモンの知恵はどこからきたのか

ソロモン王は、人知だけで真理を探求しようとした結果、行き詰まってしまった訳だが、

そもそもなぜソロモンが、あれだけの知恵を持つことができたかと言えば、そのように神様に願ったからである。

 

ソロモンが神様に、

「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕(しもべ)に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」

と願った。

神様はその願いをお喜びになり、

「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、

訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。

見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。

あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。

わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。

生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。」

と仰せになり、ソロモンに大いなる知恵をお与えになられたのである。

 

ソロモンの知恵も、富も、栄光も、すべては神様からの賜物だった。

しかしソロモンは、そのことを忘れ、自分の知恵だけで、真理を解き明かそうとしたのだと思う。

そして見えてきたものが、

「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である」

という人生の空しさであり、神様の御心とは全く違うところに行き着いてしまったのである。

 

神事と人知の違い

初代様は、神事と人知の違いについて、次のようにお諭しくださっている。

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人間の判断と神様のお告げとでは、どれだけの差が生じるか、

人間の知恵や判断では、明日のことも判るものではありませんが、

御神示の方は何十年何万年先のことでも寸分違わず、

御神示通りに実現する点について、

到底比較になるものではありません。
(初代様お諭し「開運の秘訣」より)
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とお諭しくださっている。
 

神様の予言と、人間の予測の違い
 

神事と人間事の違いは、天心聖教の教書の中に、数多くの実例が記されている。
例えば、「由来」の、神様が初代様に御降臨される場面からも、そのことを知ることができる。

 

神様は、先物の満州大豆の相場を、初代様と商売仲間に御告げになられた。
雑穀商を営んでおられた初代様は、それまでは、満州大豆は値が下がると予測して、大豆を空売りしていた。
しかし神様は、佐藤安孝氏を神がかりにされ、
「汝は三月限りの満州大豆をなぜ空売りした。

このままにしておけば、汝はこの佐賀町の土地にはいられなくなるぞ。

我が相場を告げる故、買い越すべし」
と御告げになられたのである。


初代様と信仰仲間は半信半疑ながらも、菊地卯之助氏の強い勧めによって、

神様のお告げどおり、大豆を買えるだけ買った。
しかしその後の、満州大豆の値動きは、初代様の予測のほうが正しかった。
大豆の値は、だらだらと下がる一方だったのである。

 

当時の初代様は、雑穀相場のプロである。

初代様の見込み通り、次第に値が下がり、このままでは大損をして、

大借金を抱えてしまう状況になってしまった。
一緒に買った仲間とともに、佐藤安孝氏と、買うように勧めた菊地卯之助氏に食って掛かったが、佐藤氏は、そんなことを言った覚えはないと言う。

また菊地氏も、そうかなあ、ととぼけていて埒(らち)が明かない。


進退窮まっていると、数日して突然、大豆が過去に例を見ないほどの大暴騰をしたのである。
その後、どんどん値が上がり、神様の予言どおりの高値となったので、その値で売り抜き、

大儲けすることが出来たのである。


後から分かったことだが、この大豆の大暴騰の原因は、

ドイツが戦争(第二次世界大戦)の準備のために、大豆を大量に買ったためだった。
そのような事は、いくら経済学者でも、経験を積んだ専門家でも分かるはずがない。
これが神事と人知との大きな違いである。

 

そのような実例は、天心聖教の教書の中に数多くあり、また聖書の中にも記されている。

宇宙を創造され、過去・現在・未来のすべてを御存じでいらっしゃる宇宙絶対の神様と、

明日のことも分からない我々人間の知恵とでは、到底くらべものにならないのである。

神様に相対するときの初代様
 

初代様はご訓話で次のようにお諭しくださっておられる。
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「神様にすべてをお授け願うことは、神様に認められたり可愛がられる方法を、以心伝心のうちに会得するよりほかありません。
それには神様の御前に来たからには、自分の知恵をさらりとすてて、バカになることです。
バカになるという意味は、俺我という我をすて、畏敬崇拝と称して、神様を畏れ敬うことです。」

(初代様お諭し「開運の秘訣」より)
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と説かれていらっしゃる。
 

また、第二世教主 島田晴行先生は、初代様が神様に相対する時のお姿について、

次のように我々にお教えくださったことがあった。

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「初代様は、その人生において、神様から数々の体験を授かり、その中から様々なことを悟られて、多くの知識と、深い見識をお持ちでいらっしゃった。
そして、その悟られた知識と知恵をもって、信徒を力強く説かれ、導かれた。
しかし、その初代様が神様に相対する時は、そういった初代様ご自身の経験や知識をすべてかなぐり捨てて、ただひたすら神様にひれ伏し、教えを乞い願い、御神助を祈っておられた。
その変わりようは、本当に見事でいらっしゃった。」

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というお話を、伺ったことを記憶している。
初代様は、ご訓話でお諭しくださったとおりに、神様に相対されていらっしゃったのである。

 

ソロモンはイスラエル王国の王様であった。

しかし、神様の御前においては、一人の僕(しもべ)であった。

 

ソロモンが、神様の御前において、自己の知恵をすて、神様を畏れ敬い、神様の僕(しもべ)であることを貫いていたら、イスラエルの歴史は変わっていたかも知れない。

いや、世界の歴史は変わっていたかも知れない。

そう思うのである。