今回は、初代様のお諭しと、旧約聖書の記述にみるダビデ王とソロモン王の違いから、「神様と悪魔の対立」ということについて書かせていただきたいと思う。
悪魔についての話題は避けられがちだが、悪魔について知ることも、信仰においては大切である。

 

この宇宙間は神と悪魔との対立

初代様は、ご訓話「この宇宙間は神と悪魔との対立」の中で次の通りお諭しくださっている。
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この宇宙間には神と悪魔とが常に対立しておって、人間を幸福に導くのが神であり、その反対に不幸に導くのが悪魔なのであります。
したがって、神の支配を受ける者は幸福の世界に住み、悪魔の支配を受ける者は不幸の世界に住む、ということになるのです。

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悪魔というものは、人間を不幸にして苦しませ、それを見て何よりの満足とするのでありますが、神様はその正反対に、人を幸福にして喜ばせ、その喜ぶのをご覧になられて、何よりの喜びとするところに、幸福にする神と、不幸にする悪魔とが、常に人間を奪い合うという対立があり、宗教者に迫害や災厄が現れるのは、申すまでもなく悪魔のなす信仰妨害なのであります。
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と初代様は説かれている。

1.神様と悪魔との間には、常に人間を奪い合うという対立がある。

2.神様は人を幸福にして何よりの喜びとされるが、悪魔は人を不幸にして何よりの喜びとする。
3.悪魔のなす信仰妨害というものがある。


初代様の説かれるこの教えは、聖書の中に具体的事例として数多く記されている。
聖書は神様が人間を導かれた聖なる書だが、登場人物は聖人ばかりではない。

悪魔の使いのような人間も登場する。


悪魔の誘惑と罪

悪魔の嘘(うそ)の項にも書かせて頂いたとおり、アダムとイブが禁断の実を食べる場面の「蛇の狡猾さ」こそ悪魔のなせる業である。
言葉巧みな嘘をつき、神様の支配下から、悪魔の支配下に引きずり込んで人を不幸におとしいれるのである。

イスラエルの王の中で、神様に最も忠実だったダビデ王でさえ、悪魔の誘惑により罪を犯した。

 

家来ウリヤの妻バテシバが、からだを洗っているところを目にしたダビデは、人をつかわしてバテシバを呼び一夜をともにする。そして子供が宿る。

このままではダビデの子だと分かってしまう。

ダビデは画策するがうまくいかず、家臣に命じて夫ウリヤを戦場の最前線に置き去りにし、死に追いやった。ダビデはその罪により神様に罰せられ、バテシバとの間に生まれた子は病気で死んでしまう。

 

しかしダビデ王はその罪を認め、神様に懺悔し、悔い改めた。

神様はダビデの罪を罰せられたが、ダビデ王を忠実な僕としてお認めになられ、ダビデ王は、イスラエル民族が最も尊敬する王として名を残した。

そしてダビデ王とバテシバの間に、また男の子が生まれた。

その男の子が、ダビデ王のあとを継いだソロモン王である。

このソロモン王もまた大きな罪を犯す。

ただ、ソロモン王がダビデ王と違っていたところは、悔い改めることをしなかったことである。


神様はイスラエル民族が偶像崇拝の影響を受けないように、他国から妻を迎えることを禁じられた。
しかしソロモン王は神様のご命令を破り、偶像崇拝の国から多くの妻を娶ったのである。
その妻たちが持ってきた偶像崇拝が、イスラエル王国の中に入り込んでしまった。


当時の偶像崇拝とは、偶像を拝むだけではない。

赤子を生きたまま火をつけて生贄にしたり、性的儀式を行なったり、今の時代では考えられないような儀式を行っていた。
そのような邪教の悪影響を受けないように、神様は偶像崇拝を信仰する国の民と交わることを禁じられたのだが、ソロモンはそのご命令に背き、神様が2度にわたって戒められたにもかかわらず、改めようとはしなかった。

神様に従う信仰を、ソロモンはもう失ってしまっていたのである。

ダビデ王とソロモン王の違いはそこにある。

ダビデは悔い改めて神様の支配下に戻ることができたが、ソロモンは最後まで神様の戒めを拒み、悪魔の支配を受けた。

 

このダビデ王とソロモン王の話の中で、悪魔は目に見える形で登場するのではなく、ダビデ王やソロモン王の心に宿る形で登場する。

悪魔と言うと、地上に舞い降りて強大な力をもって人々を襲う、ファンタジー映画の怪物のようなものを想像するかも知れないが、そのような悪魔は聖書には登場しない。

巧みな嘘や誘惑で人の心に宿り、神様から人を遠ざけ、悪魔の支配下に引きずり込むのである。

ダビデのように悔い改めることができれば良いが、ソロモンのように悔い改める心を奪われたら戻れなくなってしまう。

 

イスラエル王国の信仰的堕落と預言者の出現

 

ソロモン王の罪に端を発し、その後のイスラエル王国は、北王国と南王国に分裂し、両国とも偶像崇拝に染まっていく。

 

そのような信仰的に堕落した王政時代に、神様は多くの預言者を遣わされた。

同時に偽の預言者も多く、王様の気にいることだけを言う、王様お抱えの預言者もいたようだ。


しかし、神様に遣わされて命がけでその使命を果たそうとした真の預言者も、王政時代には多く現れ、特に預言者エリヤは、モーセ以来最大の預言者と言われている。

イスラエル王国の信仰的堕落は、北王国第7代のアハブ王の時代に最悪の状態となる。
このアハブ王は、歴代最悪の王と言われ、イスラエルの王でありながら、神様を恐れず、戒めを破ることを何とも思っていない。
偶像の「バアル神」を崇拝するシドン人の王の娘、イゼベルを妻にめとり、妻の言うことは何でも聞いた。
アハブ王自らが、偶像神バアルを拝み、さらにバアルの宮を建てて祭壇を築き、アシラ像という偶像も作った。

神の民であるイスラエル民族の王様が、偶像を拝んで信仰するなど、前代未聞である。

その最悪の王であるアハブ王と、最悪の王妃イゼベルの時代に、神様から遣わされたのが、最大の預言者エリヤである。

 

次回は、そのエリヤについて書かせていただきたいと思う。