今回は、「救い主」と「預言者」の違いについて書かせていただきたいと思う。
聖書に記されている「救い主」と「預言者」とは、どのような違いがあるのだろうか?

 

救い主と預言者の違い

「預言者」とは、神様からの御言葉を人々に伝え導く人のことである。

したがって「救い主」も預言者の一人なのだが、特別な存在である故に「救い主」と言われる。

キリスト教では、イエスだけが救い主とされている。

「キリスト」という言葉自体が「救い主」という意味である。

ユダヤ教では「救い主」は未だ現れていないとされる。

したがってモーセは救い主ではなく「偉大な預言者」とされている。
イスラム教では「救い主」は存在しない。

マホメットは最後の預言者であり、最大の預言者とされている。

そのように、同じ絶対の神様を信仰する3つの宗教の中でも、「救い主」の認識は違うので、「救い主とはこのような意味だ」と言い切ることは難しい。
よっていまだに私も、違いが明確に分からないのだが、分からながらも、少し考えてみたい。

 

そこで、「救い主」とか「預言者」という言葉にとらわれずに、神様の使者として「使命と功績が最も大きいお方はどなただったのか?」ということで考えたらどうだろう?

旧約聖書では、やはりモーセであろう。
新約聖書では、もちろんイエスである。

旧約聖書の長い歴史の中には、数々の預言者が登場するが、モーセは特別である。

モーセは神様からの使命を受けて、エジプトから何十万人というイスラエルの民を導き出した。
その間、神様から大奇蹟を賜り、神様から授かった十戒をはじめとする教えをもとに、「神の民」としてのイスラエル民族の基を築き上げた。
その使命と功績の大きさ、そして神様から賜った奇蹟の多さは、他の預言者よりも上である。

また、モーセは神様の忠実な僕であり、イスラエル民族の大功労者であった。

一方、イエスの場合はどうだろう。

イエス在世中に、イエスを通して数々の奇蹟が現れ、病める人々が癒やされた。

またイエスは、形骸化していた当時のユダヤの教えを正すために信仰の本質を説かれ、イスラエルの民に悔い改めるように説かれたのである。

ところが使命半ばに他界してしまった。

結局、ユダヤ民族はイエスを受け入れなかったが、イエスの他界後に教えが広まり、今や全世界で最大の信徒数を持つ宗教となったのである。


そのように、モーセとイエスは、イスラエル史上において、神様の使者として特別な存在であり、「救い主」のお方と言えるだろう。

 

預言者の役割

では、モーセとイエスが「救い主」とすると、その他の「預言者」はどのような存在だったのだろうか?


モーセ他界後に現れた預言者たちは、イスラエル民族の信仰が間違った方向に進んでしまったときに、モーセの教えに立ち返らせるために、使命を受けて活躍した。

また新約聖書に登場するヨハネは、救い主のイエスが現れることを人々に予言して伝道活動を行った預言者である。

つまり預言者とは、「救い主」の教えから民が離れてしまった時に、救い主が説いた教えに戻すために、神様から遣わされた人たちであり、または、救い主が現れる前の露払い役として、神様から遣わされた人たちである。
「救い主」を「主役」とするならば、「預言者」は「脇役」と言えるだろう。
 

それでは、天心聖教の歴史の中に、脇役としての「預言者」はいたのだろうか?
次回はそのことについて書かせて頂きたいと思う。