天心聖教の神様は、約2000年前にイエスを遣わされた神様であること、そして天心聖教にはキリスト教にはない教えがあり、その一つが「先祖供養」であることを前回書かせていただいた。

 

神様がイエス様にご降臨された期間は3、4年であり、天心聖教の初代教祖 島田晴一先生へのご降臨の期間は約50年間である(現在も神様はご降臨されている)

よってイエス様を通して表わされた奇跡と教えの数よりも、初代様を通して表わされた奇跡と教えの数が多いのは、これは当然のことと言える。

 

天心聖教の教えの根本は、すべて初代様を通して表わされたものであり、その後を継がれた第二世教主 島田晴行先生がその教えを分かりやすく説かれた。

 

私は初代様から直接学び、さらに島田晴行先生からも直接学んだ。

昔のように貪欲に学ぶ気力は衰えてしまったが、昔のノートを見ると、当時のことが思い出されて若返った気持ちにさせられる。

 

さて、本題の「先祖供養」だが、本教の先祖供養は他と何が違うのか。

天心聖教の先祖供養とは、ひと言でいえば、「ご先祖様を、神様に救っていただく」ということである。

神様は、私たちだけでなく、私たちのご先祖様も救ってくださる。

今、「ご先祖様も」と言ったが、「先にご先祖様を救ってくださる」と言った方が正確かもしれない。

 

目に見えない神界と霊界の存在

 

このことについては、少し詳しい説明がいる。

 

この世界には、目に見える世界と、目に見えない世界がある。

目に見える世界が、私たちが住むこの「現界」

目に見えない世界が、神様の世界である「神界」と、霊の世界である「霊界」である。

 

そして、私たちの霊は、肉体を持って生きている間はこの現界で生きる。そして死ぬときは肉体を脱ぎ捨てて霊界にいく。

そしていつの日か、私たちの霊はまた肉体に宿り、この現界に生まれてくる。

 

それを霊魂不滅と言って、私たちの霊魂は「現界」と「霊界」という2つの世界で、「死」と「誕生」を繰り返して生き続けているのである。

(※人間の霊魂が、神様の世界である「神界」に行くことはない)

 

そしてそこには次のような天の法則がある。

1.霊界は現界の延長である。

2.先祖は過去の自分、子孫は未来の自分である。

 

 

霊界は現界の延長

 

1つ目の、「霊界は現界の延長」という法則について申し上げると、

現界で幸せに生きて死んだ者は、霊界に行っても幸せであり、

現界で不幸にして亡くなった者は、霊界に行っても不幸である。

 

人間は死ぬと、霊という特別な存在になるように思うかも知れないが、そうではない。

人間は、霊界に行っても、生きていた時の個性を保つ。

というのは、私たち人間は、死んでから「霊」という別の生命体になるのではない。

自分の霊が肉体という衣を脱ぎ捨て、霊界という別の世界に行くことを、私たちは「死」と呼んでいる。

 

北海道の人間が、九州に住むようになったからと言って別の人間になるわけではない。

また、北海道で不運続きだった人間が、九州に行ったら幸運ばかり舞い込んできた、ということもない。

どこに住もうが、自分は自分のままであり、仕事が出来る人はどこへ行っても仕事が出来る。

また、運の良い人はどこへ行っても運がいい。

よって霊界は現界の延長であり、同時に現界は霊界の延長でもある。

 

また、この「霊界は現界の延長」という真理は、「現界で善行を積めば、生きている時だけでなく、霊界に行ってもその報いを受けて幸せな霊界に住むことができる」、ということにつながる。

 

先祖は過去の自分、子孫は未来の自分

 

2つ目の、「先祖は過去の自分であり、子孫は未来の自分である」という法則について申し上げると、「先祖と子孫は、一つのつながれた魂」という真理が存在する。

だから先祖が積んだ徳・不徳が、善因縁や悪因縁となって子孫に現れる。

つまり、先祖が悪いことをすると子孫がその報いで不幸になり、先祖が善いことをすると子孫がその恩恵で幸福になる。

なぜ、先祖の詰んだ不徳を、子孫の我々が背負わなければならないのか?

不条理に思われた方もいらっしゃるかも知れない。

 

このことについて少し考えてみたい。

自分が悪いことをした報いが自分に返ってくることを、一般的に「自業自得」と言う。

それは誰もが納得するところだと思う。

では、「親の因果が子に報い」はどうだろう。

「親が悪いことをしたその報いを子供が受けるのは当然だ」と考える方はどのくらいいらっしゃるだろうか。

さらに「祖父母の因果が孫に報い」というのはどうだろう。(そんな言葉はないが・・・)。

そしてさらに「先祖の因果が子孫に報い」というのはどうだろう・・・。これが先祖の因縁である。

 

「自分がやったことは、善いことも悪いことも、すべて自分に返ってくる」。これは誰でも分かる。

また「親のやったことが子供に返ってくる」、または「祖父母のやったことが孫に返ってくる」というように、同じ現界に住む家族間であれば、まあそれも納得できるかも知れない。

 

でも、自分が顔も知らない、場合によっては名前も、存在すらも知らない先祖が犯した罪を、なんで子孫が背負わなければならないんだ。そんなのは不条理だ、と思われる方もいらっしゃるだろう。

 

人間の頭で、道徳的に考えたら、人によっていろいろな考え方がある。

しかし天の法則、つまり神様がお造りになられた法則には、いろいろな考え方というものはない。一つである。

 

「先祖は過去の自分であり、子孫は未来の自分である」とは、先祖の霊魂と自分の霊魂が全く同一の霊魂だ、ということではなく、因縁によって一つにつながっているということである。

だから、「先祖という過去の自分」が犯した罪を、「子孫という未来の自分」が背負うことになる。

つまり、「自分が犯した罪を、自分が背負う」というのと同じなのである。

もちろん先祖の行いだけでなく、自分自身の前世での行いも関係してくる。

 

今回は、

「霊界は現界の延長であり、先祖は過去の自分、子孫は未来の自分である」

という真理についてご説明申し上げた。

 

まずそのことをご理解いただいて上で、次回は、先祖供養について詳しく書かせて頂きたい。

今回のブログは、前回から少し間をおいてしまったが、次回はできるだけ早くアップしたいと思う。