青雲譜65「青雲荘の仲間たち」T

「気になる人達」5-5

 

「昨晩は、お手数をかけてしまい、ありがとうございました!」

「まあぁ、気管挿管までは、してもらわなくても、よかったんですけどね!」

「朝、抜管しました。」

「元気にしてますので、ご安心ください!」

「はあぁ・・!」

お年寄りの杉沢先生の声がする。

牟頭先生は、小声で相槌を打っているようではあるが、そっけない声だった。

舜司は、その場に、顔を合わせるのをためらった。

杉沢先生の声が、はっきり聞こえなくなったのを確認してから、舜司は当直室を出た。

「先生!昨夜はありがとうございました!」

「助かりました!」

牟頭先生は、新聞を読みながら、「あぁ!」と、軽く顎(あご)を下げて答えてくれた。

「・・・・・・」

「あ、あのー、・・先生!」

「うーん?・・」

「おれ!・・俺!・・外科医になりたいんです!」

「先生のところで、修行させてくれませんか?」

「先生に、指導してもらいたいんです!」

「お願いします!」

「挿管もできない医者は嫌なんです!」

「血を流しているのに、止めることのできない医者は嫌なんです!」

「秋田出身では、今からでは研修医は無理ですか?」

「・・・・・・」

「んーん?」

「沖田君!・・んーん?」

「本当に?本気で言ってるの?」

「は、はい!」

「・・・・・・」

「そう、・・そうか!」

「・・なら、医長の小森君も呼んで、相談しなくちゃなー!」

「ふーん!」

「これから、研修を変えるってことか!」

「これはまた、突然、急な話だね!」

「科長!」

「うちとしては、来たいと言うなら、来るもの拒まず!かまわないでしょうけどね・・?」

「実際のところ、第一内科も巻き込むわけで、細川先生のところには、人がいなくなってしまうわけだしなあ!・・」

「それに、うちの教室の教授の許可も、もらわないとね!」

「いやいや、まてよ!そもそもうちの院長から、承諾とれますかね?科長?」

「ふーん?そうだね!」

「まずは、研修医なんだから、院長の許可を得てからか!それから教授だな!」

「そうですね!」

「沖田君!」

「いろいろ問題はあるようだな!」

「なによりも、細川先生とは、これからも、毎日顔を合わせなくちゃならないんだよ!」

「気まずいぞ!耐えていけるのか?」

「はい!」

「当直室で、寝ないで考えました!」

「なぜ、医者になったのか?」

「そして、どんな医者になりたいのか?って!」

「体裁や情に流されず、冷酷なくらいに、自分の心に問い質(ただ)してみたんです!」

「自分は、まず、自分のために生きていくのであって、他の人のために生きているんじゃないって!」

「極端に言えば、細川先生のために生きているのではないんだって!」

「もちろん、細川先生には、本当に申し訳ないと思いますが、僕の一生の問題なんです!」

「何もできない自分が情けないんです!半人前以下です!」

「一人前の医者になったつもりで、“に”なんて大ボラ吹いてるは、(人+為)りだと思ったのです。」

「何もできない半人前以下のくせに、このまま偽善者ぶってはいたくないんです!」

「細川先生には、誠心誠意、心から謝罪したいと思います!」

「先生!お願いします!」

 

この時、舜司の頭の中では、ぼんやりではあるが、長年疑問に思っていた“放蕩息子の話”の意味が、微かながら垣間見えたような気がした。『きっと、一日、一日が違うんだ!

 

父親(神)や周りの人々の大きな愛に包まれていることに心から感謝して、一日、一日、自分のやるべきことに誠心誠意打ち込んでいけることの幸せ!・・安穏!

 

父親(神)や周りの人々に、よくやっているな!と思われていたい一心で、ふつふつと湧き上がってくる「俺ばっかり!」という不満を毎日、毎日、押さえ込みながら生きていく不幸(ふしあわせ)!・・偽善!不穏!欺瞞!

「そうか!」

「よし!わかった!」

「じゃ、まず、院長先生に報告に行くか!その後、第一内科に行こう!」

 

当時の白山総合病院院長は、峰岸院長であった。

やせ細った小柄な風貌で、見た目から残忍な猛禽類の鳥のように見えた。

「え~と!沖田君!・・だったっけかな?」

「君とは、研修生として、当病院では2年間の契約しかしていないんだよ!」

「だから、あと1年間は面倒みてやるけど、その後は、出て行ってもらうしかないね!」

「でも、院長先生!外科の研修には、2年間必要なんですよ!」

「ですから、あと2年!なんとか、認めてやってはもらえないんですか?」

「実際!うちには、2年以上、研修期間を延ばしていた人も、何人もいたじゃないですか?」

「ふーん!牟頭君!君、しつこいね!そんなこと、秋田出身の沖田君とは関係ないだろう!」

「とにかく、うちではダメなものはダメなんだ!後の分(ぶん)は、どこにでも行って、研修を積むんだね!」

「沖田君!ゴメンな!力が無くて!」

「ああ、いや!無理言ったのは、僕ですから!逆に、迷惑かけてすみませんでした!」

「でもな、1年しか研修できないんだぞ、あとの1年どうするかだな?・・・教授に頼んでみるしかないか?」

舜司は、平静を装っていたが、心の中では泣いていた!

『外様(とざま)だから、こんな扱いなのか!』

『外様(とざま)って、世間ではこんなに冷たいものなのか!』

東北大学医学部第1外科 

<教授室>

「コツ!コツ!牟頭です!」

「おー!入り給え!」

「失礼します!」

牟頭先生は、直立不動!コチコチに緊張していた!

左藤教授は、書き物の手を休め、黒いセルロイドの眼鏡を少し手で持ち上げて、

「おお!この奴(こ)か!電話の奴(こ)は!」

太い眉毛に鋭い眼光!強面(こわおもて)なのに、ニコッとほほ笑んで出迎えてくれた。

「珍しい奴(こ)が、また、また、教室に入ってくるな!」

「沖田君と言ったかな?」

「はい!」

「秋田の前多先生の門弟か!楽しみだね!」

「ところで、君は、デカいね!野球はやるかね?」

「えっ、野球ですか?少しは!」

「そうか!そうか!実を言うと、メンバーが、ちょっと足りないって言われてね!」

「第2外科との対抗戦!最近、勝ってないんだな!」

「来年、すぐに教室に来なさい!待ってるから!」

「えっ、先生!電話で話しましたように、私どもの院長が、1年しか研修させない!って、言ってるんで?」

「何、言ってるんだね!牟頭君!」

「研修なんてもんは、1年で十分だろう!1年間、しっかり指導してやりなさい!あとは、教室で、みっちり鍛えるからいいよ!」

「はあぁー?・・そう?・・ですか?」

「じゃあ、来年!楽しみに待ってるぞ!」

「あぁっ?あ、はい!」

内科の細川副院長先生には、平身低頭、床にひれ伏し謝り通した。

赤ら顔を更に真っ赤にして、激怒されたが、最終的には、舜司の心を察してくれて、許しをいただくことができた。

しかし、早晩、応援医師が来ることになっているとはいえ、外来、病棟と、一人、忙(せわ)しく歩き回っている先生の姿を見るたび、舜司の胸は、チクチク痛んだ!

 

晩年、退職後の細川先生は、軽度の脳梗塞を患い、若干、手足が不自由になってしまっていた。

しかし、舜司と細川先生における子弟関係は、長年において変わることはなかった。

舜司たちの設立した医療介護ランドでも、院長として10数年にわたり苦楽を共にしてくれたのである。

いつしか、細川先生は、舜司にとっては、“医療における父親”とも言える存在になっていたのかもしれない・・・・?

かくして、舜司の一生を決定づけた分岐点は?と、問われれば、この小児科病棟への往診こそが、その時だったのです!

                               外科医“沖田舜司” 誕生!!