青雲譜56「青雲荘の仲間達」K

「気になる人達」2


 

卒後3年目、東北大第1外科。

淋しすぎる!

午後9時を超えると、食事するところもない。

仕事や、研究で遅くなると、“即席めん”しかないのである。

淋しすぎる!

あまりにも、淋しすぎる!

結婚を決意した。

27歳だ!

一人では生きて行けない!

ある時、一通の手紙が届いた。

「突然のお便りで、申し訳ありません!」

「覚えておいででしょうか?」

「先生が、秋田の大学病院で、小児科実習に来られた時、受け持たれた佐野厚子です。」

「もう、高校1年生になりました。」

「入院していたあの時、遊び半分のゲーム感覚でやった“お別れ会”で、先生の心をひどく傷つけてしまったことが、今でも辛くて、ペンをとりました。」

「どうして、あの時、先生の番号札を上げなかったのか?と、悔んでいます!」

「実は、同じ部屋の人達に、毎日、冷やかされていたのです!」

「だから、当然、私が先生の番号札を上げるものと、周りの人が茶化していたので、恥ずかしくなったんです!」

「ごめんなさい!・・・」

「実習は、今日で、終わりです!今まで、皆、有難う!」

「・・・じゃあね!早く元気になってネ!」

「先生がお別れの挨拶をしてくれたのに、怒っているに違いない!と思って、顔を上げることが出来ませんでした。」

「でも、先生が病室を出て行く時、悲しそうな顔をしてたので、急に涙がボロボロ出て、泣いてしまいました。」

「今更ながら、遅いのですが、本当のことを告白したくて、手紙を書きました!」

「本当は、先生の番号札を上げたかったのです!」

「本当です!」

「3年以上も経ちましたが、ずーっと後悔しています。」

「同期の先生に、住所先を尋ねたら教えてもらえたので、思い切って、手紙を書きました。」

「あの時は、先生の番号札を上げたかったのが、本心です!」

「このことだけは、絶対にわかってください!お願いします!」

「このことを伝えたくて、手紙を書きました!」

「本当にすみませんでした!許してください!」

「そうか!やっぱりそうだったんだ!」

舜司は、単純に嬉しかった!

あの時は、実際、ショックだったから!

どうリアクションしていいのか?わからなかったし!

女性というのは、子供であっても、残酷だな!と、感じたことが、本音であった!

しかし、時がたって、記憶も薄らいでいた頃なので、手紙が来たことには、正直、ビックリ!

「どうしよう?」

「返事は、書いた方がいいのかな?」

「やっぱり、書いてあげるべきだよなー!」

「ええーッ?」

「書かない方がいいわよ!」

「変に期待させてしまうことは、よくないわ!」

「高校生でしょう!」

「返事がなければ、すぐに忘れてしまうわよ!」

「そうかな?」

「女性には、中途半端に期待させることが、一番よくないことだわ!」

「ふーん!そうなのかな?・・・・?」

「なら、受け取ったと言う事だけにしておこうか!・・・?」

そして、あれから、もう、40数年の月日が流れてしまっている!

あの子(娘)は、いったい、今どうしているのだろう?・・・・・?

今日からは、小児科実習!

新鮮で、胸弾む思いだった!

眼科、耳鼻咽喉科と回ってきたが、患者を診ることはなく、ただ、同僚を相手に、眼底やら、鼓膜やら、互いに“覗きっこ”だけの毎日を送ってきていたのである!

検査室にこもりっきりだったのだ。

そして、なにせ、最悪なことに、“覗きっこ”のパートナーは、枝里ちゃんが、多かったのである。

『怖かった!』

『検査に、遠慮というものがない!』

『それに、不器用ときてる!』

『手が、ブルブル震えている!』

『なのに、しつこい!』

『ああー、目がつぶれるー?』

『眼底鏡の光が眩し過ぎるー!』

『目を開かせている時間が超長―い!角膜が乾いてしまうよー!』

『いつまで、耳を引っ張っているんだよ!』

『早く、鼓膜を診てくれよ!耳介が痛いんだけど!』

『鼻の孔、広げ過ぎだよ!裂けちゃうよ!』

『あーあ、それに比べて、俺がやる時は、形だけ!』

『遠慮しちゃうから、よく診れないよな!』

『まあ、いいけど!興味のない分野だし!』

こんな調子だったので、患者と実際に接する小児科実習は新鮮だったのである。

入院病棟で、カルテを配られた。

舜司は、「佐野厚子12歳」病名「ネフローゼ症候群」

「初めまして!」

「今日から、厚子さんを担当する沖田舜司です。よろしくね!」

「私が、何かするんですか?」

「えッ、何もしないよ!毎日、お話しするだけさ!」

「僕が質問することに、答えてもらうの!」

「ふーん!」

「いつ頃から、どんな症状が出て、病院にかかるようになったの?」

「今回は、どうして入院になってしまったの?」

「小学6年なんだ!学校も心配だね!」

「ようし!これからは、毎日、勉強も一緒にやろうか?」

「ええー?嫌ですよ!」

ステロイド剤を呑んでいるので、ちょっとムーンフェース気味、体もちょっと丸身を帯びてるかな?

でも、かわいい子(娘)だった。

顔立ちは、整っており、むしろ美人系の造りである。

「桜田淳子の出た所だから、秋田の子(娘)は美人が多いんだね!」

「色は白いし、大きくなったら、淳子ちゃん以上かな・・・?」

「フフフー!ウソー!」

「あっ!そう、そう!データもいいし、ステロイドの量も減ってるみたいだから、もう少しで、退院になるんじゃないの?」

「先生からは聞いてない?」

「ええ、聞きましたヨ!でも、退院したくないな!友達もいっぱいいるし!」

「ここがいいなー!一緒に勉強したり、お話したり、学校より楽しいんだもの!いつまでも、みんなと居たいなー!」

「そうだよねー!」

「厚ちゃん!退院しないでー!」

「淋しくなっちゃうわ!」

「うん!うん!退院しないでー!」

実際には、重症な患者さんも居るには、居たのだが!

でも、皆、元気で、明るかった!

病室には、笑顔が溢れていた!

SGTグループのみんなも、それぞれに担当の子供たちと、和気あいあいの毎日で、学問と

いうよりは、遊びほうけている時間の方が多かった。

あっという間に、4週間は過ぎてしまった。

舜司たちは、症例報告も簡単にまとめ上げてしまい、提出を待つばかり。

時間的に余裕があったので、受け持ちの子供らとの“お別れ会”をすることになった。

このくらいの歳の子供達は、結構、早熟で、フィーリング5vs5をもじって、フィーリング

5vs3をするって言うのである。

当時、“やす・きよのプロポーズ大作戦フィーリング5vs5”が流行(はや)っていた。

舜司たちのグループには、男子は3人。

担当した子(娘)らは5人、それ故、5対3なのである。

机を挟んで、5対3。いろいろ質問しあってから、最後に、一斉に互いの番号札を上げるこ

とになっていた。

舜司も、大平も、坂西も、小桧山さんも、大井さんも、誰しもが、あるカップルを期待して

いたはずなのだ!

当然、舜司と・・・・?

小桧山さんが、音頭取りをした。

「では、フィーリングカップル5対3!発表ですよ!」

「3つ数えたら、札を上げましょう!」

「1,2,3,発表!」

「ジャーン!」

「ええー?・・・?」

皆で、顔を見合した!

結果は、舜司、坂西、大平3人が、そろって、佐野厚子さん!

対して、女の子(娘)5人は、全員、大平君であった!

それ故、大平君と佐野厚子さんがカップル成立である。

舜司は、ビックリした!

カップル成立の大平君もビックリ!

お別れ会は、一瞬にして、しらけてしまった!

小桧山さんが、呆れた顔をして、舜司の所に近寄ってきた。

「なんで?・・・・佐野さんは、沖田さんじゃなかったの?」

「みんなで、冷やかして、終わろうと思っていたのに、これじゃ、“おしらけ”だわね!」

シーンと静まり返った病室。

「じゃあ、終わろうか!」

坂西が、声を発した。

「じゃあ、皆さん!実習の間は、いろいろとありがとうございました!」

「皆、病気に負けないでね!」

「元気に退院されることを願ってまーす!」

「バイ、バーイ!」

舜司の足どりは、重かった!