青雲譜45「青雲荘の仲間達」A

「恐怖の館」1

舜司は、医学部4回生!

臨床実習のスタートである。

心機一転!

三吉アパートを離れ、医学部付属病院になっている県立中央病院に近い一軒家へと引っ越していた。

その家は、秋田駅に近く、受験の時に通った高架橋の下に位置していた。

間取りは、四畳半と六畳二間の薄暗い部屋、台所、風呂場、そしてトイレ。

六畳間には、兄、舜一の提唱した簡易ベッド。

ビール瓶ケース12個を並べ、マットレスと布団を敷いただけのものである。

ビール瓶ケースは、どっかの酒屋さんから貰ってきたと思う。

トイレは和式のボターン式。

小以外は秋田大の教育学部のきれいな水洗トイレを利用させていただいていた。

しかし、小とは言え、夜間には、かなりのストレスがかかった。

薄暗いベニヤの小部屋で、便器に的を絞って、片手を壁にかけながら、爪先立ちで用を足すのである。

床の湿っぽさが、シトーっと足指に伝わってくるからだ。

長居はできない!

あの暗い便器の底から、今にも、ぬーと手が伸びてきそうなのである。

とにかく、この一軒家は不気味であった!

しかし、怖がりの舜司くせに、一年間は住んでいたのだ。

どうしてだろう?

わからないんだから、なおさら不思議である。

舜司は、医学生である!しかも4年生なのだ!

“科学的思考の持ち主であり、冷静沈着な医学生でなければならない!”と、気負っていたのかもしれない。

それにしても、いつも、いつも、寝つきは悪かった!

佐々木信也のプロ野球ニュースを見てから、床にはいるのだが、眠りが浅い。

気味悪さで、安眠出来ないのだ!

毎夜、毎夜、微かに話声が聞こえるような気がするのである。

眠りの底に落ち込もうとすると、“ひそひそ”と耳に入ってくるのである。

でも、『いや、いや、気のせいだ!』と思えば思えたので、しばらくは、布団をかぶりやり過ごしていた。

ところが、半年も経った頃だろうか?

試験のため深夜まで勉強する日が続いていたある日の事、疲れて、いざ寝ようとすると忘れていたあの小声が、再び聞こえはじめたのである。。

そして、その話声は、日を追うごとに大きくなっていった。

「こーら、さささー!」

「そーら、ちちちー!」

声に強弱がつき、唸るようにもなっていったのだ。

舜司は、確信せざるを得なかった。

『台所だ!何かが居る!絶対に居る!』

『くそー!俺は、医学生だ!突き止めねば!解明しなくては!』

弱虫のくせに、プライドが勝っていた!

舜司は、恐る恐るベッドから起き上がり、一気に台所の電気を点けた。

「誰だ?・・・・・」

「・・・・・・・・」

誰も居なかった。

流し台には、歯ブラシと歯磨き粉。そして、食器かごには、洗われたコップや皿や鍋が積まれてあるだけだった。

台所に変わった点は?何も見当たらない!

『えっ・・・・・?』

『何もいない?・・?』

『ふっ、・・当たり前だよな!』

『幽霊やお化け?・・馬鹿な!・・いる訳ないじゃないか!』

ほっとする舜司であった。

しかし、

翌日もそのまた翌日も、不思議な“囁き声”は続いていた。

「フュイ、フュイ、静かに!静かに!」「ヘイ、ヘイ!」

「シャカ、シャカ、気付かれるぞ!「ハイ、ハイ、わかってるよ!」

『おっ!はっきり聞こえた!』

『絶対、居る!』

『間違いない!居る!』

月夜の晩、電気を着けずに台所をそっと覗いてみた。

青白い月夜に照らされた台所は、絵画のように静謐に満たされていた。

『静かすぎる!』

『落ち着き過ぎている!』

『変じゃないか!』

『囁いていたんだぞ!』

『何も居ないはずがない!』

『絶対、何か居るはずだ!』

『喝!俺は医学生だ!』

目をこすって、目を大きく見開いて見た。

じーと暗がりを凝視し続けた。

『うっ?』

『うっ!床が動いているぞ!』

『黒ずんだ床面が、まだらに見える!』

『床が、波打っているじゃないか!』

『斑点(まだら)だ!』

『わおっ!かすかに斑点が動いてる!』

『ざわざわうごめいているぞ!』

「うぎゃー」

なんと、ゴキブリの大群だ。

台所一面が、ゴキブリで埋まってる!

体の細胞一個一個が震えた!

体毛の一本一本が浮きだった!

心臓に氷がくっついたような衝撃だ!

とっさに、電気のスイッチに手が触れた。

パーッと、部屋が明るくなるや否や、ゴキブリの黒い軍団は、瞬き2,3回する間に、スパーっと消えてしまっていた。

なんとも言えぬ鮮やかな消失ぶりなのである。

舜司は、その小気味よさと、おぞましさに、圧倒されてしまい、口をあんぐり開けたまま、しばらく立ち尽くしているだけだった。

 

我に返った舜司は、ゆっくり、台所に足を踏み入れた。

素足の裏には、何とも言えぬ“ねっとり”感が残っていた。

まずは、流し台の表面をしっかり見た。

小さな小さな糞のような“しみ”が、びっちり、小さな斑点となって付着していた。

コップにも皿にも鍋にも、歯ブラシにも!

『ああ、俺はこれで歯をみがいていた!これで水を飲んでいた!』

『この糞つき皿に食べ物を盛っていたのか?』

『ゴキブリの糞入りラーメンを食べていたのか?』

 

53歳の時、ヘリコバクターピロリー菌抗体測定。・・結果は、超高値!強陽性だ!

一度や、二度の除菌では、陰性にならない!

『くそー!』

『あのゴキブリどもだ!きっと、あのせいだ!』

 

『引っ越さねば!』

あの敷地には、きっと、死体が埋まっている。

あのゴキブリの量は異常だ。死体があるから涌いてくるんだ。

だから、駅にも近いし、大学にも近いのに、借り手がなかったんだ。

『引っ越そう!』

芹沢さん達が居る、日当たりの良い二階建てのアパート「青雲荘」へ!

医学部5回生!舜司、青雲荘の一員となる。

 

もちろん、こればかりが引越しの原因ではなかった。

舜司の住んでいた住宅の後ろには、何人もの大学生をあずかってる大きな下宿屋があった。

当時の学生の必需品といえば、勉強机と椅子とZライト、本棚、ファンシーケース、冷蔵庫、そして、ステレオだった。もちろんラジカセの場合もある。

しかし、この時のステレオは、極悪人だった。

毎朝、午前6時になると、クラシックの曲が大音響となって、鳴り響いてくるのだ。

舜司は、眠たかったんだ!

舜司には、”うんざり”だったんだ!

クラシックなんて不協和音のなにものでもなかった。うるさいだけなのだ!

交番に電話をかけて、下宿屋に音量を下げてくれるよう直訴してみた。

しかし、結果は、ゼロ。何日経っても、変化はなかった。

『イライラする!』

『ステレオをかけている奴、消してしまいたい!』と、呪った。

昨今、ちょっとしたことで、殺人事件が起こるって言われているが、危ない!危ない!

 

こういう時の対処法としては、まずは、①引っ越しだな!君子危うきに近寄らず!

次は、②言いたい放題“ののしる”ことだな!聞いてくれる友達がいるなら、口上、何を言い放ってもいいはずだ!

不満を、心にため込み過ぎてはいけない!

自分の精神状態を平常に保つためには、心の瓶に余裕を持たせることが大切なんだ!

だからこそと気張るわけではないが、人間は、心に大きな瓶を持てるよう頑張らなくてはいけない!

そして、たくさん受け入れられる大きな器になれるよう努力を重ねなければならない!

これこそが、人間の向上心というものだ。

そして、その成長の限界が近づいて来たならば、今度は、中身を満杯にしないよう注意しなくてはいけない!

そう、中身を少しずつこぼすんだよ!だから、「王様の耳はロバの耳」というイソップ寓話は,実は的を射た素晴らしい話であったという訳なんだよ!

心の瓶は、いつも空っぽに近い状態にしておくことこそが理想なのだ!

このような生き方が、人間の度量の大きさというものに直結していると思うんだな!

舜司は、生きる術を学んできているようで、周りの景色も少しずつ変わっていくのを薄々感じ始めていた。

 

不思議と言えば、この不気味な一軒家に舜司の父親舜が尋ねてきているのだ。

78歳で他界したのだから30年前なら48歳だった。

今の舜司より、ずーっと若かった。

秋田大学医学部の入学式には兄貴が来てくれた。

それから4年経って、たった一人で、背広を着た親父がこの部屋を訪れたのだ。

心配だったのだろう?

この汚いトイレを使い、この汚い流しを使い、二泊三日滞在したのだ。

舜司は、授業があるので学校に行っていた。

父親の舜は、この部屋で何を思い、何を考えて過ごしていたのだろう?

わからない!

もっといい部屋で、もっと美味しい食事をして、もっといっぱい、いっぱい話しをして、もっともっと“いい思い出”を作っておけば良かった。

今なら、すべて出来うる事であるのだが、当時は親父に学校にいかせてもらっていた身分。

親父もようやく秋田に来たのだろう!あれで精一杯だった!

よくわかってはいるのだが、後悔の念がわき上がってくる。

「うん!」「あー!」「そう!」くらいの会話しか記憶にない。

秋田駅のホームで、“かけそば”を一緒に食べた。

「じゃー帰るな!」

「うん!かあちゃんによろしく!」こんな別れの挨拶だった。

寡黙な父親の横顔が浮かぶ。切ない!

 

舜司には、4人の子供がいた。しかし、次男、3男坊においては、学生時代、住居を一度も尋ねてはいなかった!

自分の父親より、非人情で、思いやりの欠けた人間なんだろう?

惨めで、悲しくなる!

『行ける時間の余裕がなかったのだ!』と、言い訳しているが、ああ、駄目だ!駄目だ!

舜司と言う人間は、一人で行動できない人間なのである。しかし、誰かと一緒なら、いくらでも行動できる人間なのだ。

なら、“連れ添いは?”と言われるが、残念!・・・・彼女は、一人で行動していたい人であったのだ。

 

そう、そう、「ゴキブリの恐怖」と言えば、舜司は東京でも一度味わっているのである。

東京での浪人時代。四畳半の平屋のボロアパートに住んでいた。

天気が良かったので、蒲団を窓側に敷いたまま予備校に行った。

午後、帰宅。

ひと寝入りしてから勉強しようと蒲団にもぐった。

お日様に当たった蒲団は、ポカポカ温かく気持ちが良かった!

すーっと睡魔の闇が襲ってきた。

その時だ!

背中に、凹凸のヌペーっとした奇妙なモゾモゾ感を感じ取ったのだ。

「ヒィエー」一気に布団から飛び跳ねた。

かけ布団をはがしてみると、黒いゴキブリが、敷布団にびっしりと、団子状態に群がりざわめいていた。

『この上に寝転がっていたと言うのか!』

驚愕のあまり、つま先で、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、顔は「ムンクの叫び」!

「あっ!あっ!」体をよじって恐怖をしのいだ。

すると、驚くなかれ!ほんの二言、三言の間にシーツの上は真っ白に変化したのだ。

雲散霧消と言うが、誠に見事な“ひきっぷり”なのである。

どこにあれだけの数が隠れられるのか?

そして、あの逃げるスピードの異常さは、何なんだ?

あまりにも気持ちがよすぎるじゃないか!

ポカポカ温かい陽気になると、昔の不気味な思い出が甦って来る。