青雲譜44「結婚披露宴」

月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり!

もう、40年以上も経ってしまったのか!

結婚式に臨む晴れ姿の自分が、ついこの前のように思い出される。

月日は百代の過客か・・・!

舜司の目頭には、寂寥感がどこともなく沸き上がってくるのだった。

袴姿の自分!白いスーツ姿の自分!

百数十人の招待客が集っていたなぁー!

当時は、結婚式と言えば、両親の晴れの舞台でもあったのだ。

 

今日は、歯科医をしている次男舜介の結婚式!

コロナ禍の真っただ中である!

本来は、去年、結婚式を挙げる予定であったのだ。

1年以上延期したが、中止すると、キャンセル料80パーセントの支払いが発生すると言う。

次男舜介にとっては、止むに止まれぬ決断であったようだ。

招待客を減らし、ソーシャルディスタンスを保つ。

マスクマンにマスクウーマンばかりの集団!

アクリル板越しの会話と食事!

何とも異様な光景ではないか!

でも、それなりに落ち着いた披露宴であり、不思議なくらい祝福に満ち溢れていたのには驚かされた。

 

舜司は、病院をやっていた関係上、数多くの結婚式に招待され、祝辞もたくさんこなしてきていた。

しかし、息子の結婚式は、初めてである!

披露宴の締めとして、両家の代表としてのお礼の言葉を述べなくてはならない。

3~4分の短い挨拶が良いのだと言う!

でも、コロナ禍なのである。

ましてや、舜司は医師なのである。

簡単に、お礼の言葉と言うが、これは、これは、至難の業である。

舜司は、推敲に推敲を重ねた。

総時間は、4分20秒!

まあまあじゃないかな!

 

只今、ご紹介いただきました新郎沖田舜介の父沖田舜司でございます。両家を代表しまして、一言御礼申し上げます。

本日は、コロナ禍の中での結婚披露宴で、大変な気苦労をおかけしましたが、当ホテルの従業員の方々のきめ細やかな御配慮をいただき、無事に行えましたこと感謝感激でいっぱいでございます。有難うございました。

また、各テーブルの皆様から頂きました励ましや、暖かいお言葉には、二人はもとより、両家の親にとりましても、大変ありがたく光栄にうけたまわりました。

時代が変わっても、子を思う親の気持ちには、変わりがないようであります。

負けず嫌いの強かった私に、父親は「負けたくなかったら、人の2倍頑張りなさい!そうすれば、人の1.1倍、1.2倍は、先にいけるものだ!」と、叱咤激励してくれたことを思い出します。

私どもの次男として生まれた舜介も、生まれながらにして、この負けず嫌いの精神を受け継いでいたのでしょう!

スポーツでも、遊びでも、勉強でも、兄や姉に負けじ!と競っておりました。

しかし、この負けず嫌いの精神には、逆の面もあり、家族思いの優しい気持ちであっても、「独りよがり」としてしか、受け取られないこともあります。

実際、私自身も、舜介の心の内がつかめずに、傍観するしかない時期もありました。

ところが、大学での学年が進むにつれて、意思の疎通はビックリするほど良くなってまいりました。

臨床という実地体験が、良くしてくれたものとばかり思っていたのですが、実のところは、ゆり子さんと言う素晴らしい女性のサポートが、あったればこその変身だったようです。

お付き合いの中で、「互いに思いやる心」というものを、あたため、はぐくんでくれていたものと思います。

ゆり子さんには、心より感謝の言葉を送りたいと思います。

「有難う!」

これからは、二人協力し、幸せな家庭を築いてほしいと思いますが、

親の目には、赤ん坊の頃、よちよち歩きの頃、そして、幼稚園児の頃、小、中、高、大学の頃と、いつまでも幼い姿がダブって見えてしまいます。

幾つになっても、「守ってやらねば!」としか、見えないのが親の目なのでしょう!

これからの人生行路、平坦な道ばかりではありません。

まさかという困難な坂もあるでしょう!

「親バカ」で曇った私どもの目では、適切な処方とは、いかない!と思います。

こんな時こそ、なお一層、まだまだ未熟な二人ですので、皆さまの温かいご指導、ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

尚、今回は、いろんな面において、至らぬ所もあったか!とは、思いますが,時節柄、お許しお願いいたします。

今後は、皆様方と共にコロナに打ち勝ち、幾久しくご健勝でご多幸でありますことを祈念し、両家代表のお礼の言葉に代えさせていただきます。

本日は、誠にありがとうございました。

 

なのに・・である。

舜司の挨拶の直前に、テーブルスピーチで兄の舜一が、亡き父親舜の思い出話を、沖田家の家訓と称し、話してしまったのである。

舜介をはじめ、子供達に言い聞かせるつもりだったのだろうが、なんともまあ、舜司自身が、一番感じ入ってしまったのである。

涙が、ボロボロ零れ落ちてしまい、ハンカチでは、ぬぐい切れず、涙目のまま、スポットライトの前に並ばねばならぬ羽目に陥ってしまったのである。

 

勿論、ダメであった!

“父親”と声を出した途端、絶句であった。

ハンカチで、拭いても拭いても、涙は拭ききれず、上を見上げるしかなかった。

しばし目を閉じ、間をおいたら、どうにかこうにか、喉から声がしぼりだせるようになった。涙声ながら、少し端折ってしまったところもあったが、なんとか口上を述べることが出来た。

しかし、まあ、念を入れた割には、舜司にとっては、ちょっと残念な挨拶になってしまった!

でも、舜介の結婚式としては、本当に思い出深い、素晴らしい1日になったと思える!

東北では経験したことない出雲大社(常陸)式の結婚式であり、大変興味深いものでもあった。

 

最後に、せめてもの救いとして、心和むエピソードがあった。

御臨席賜った方々を見送るため、新郎新婦と共に並んでいた時、着付け担当の方が近寄ってきて、舜司に対して、ねぎらいの声を掛けてくれたのだ。

「子を持つ親の気持ちとして、お父様の挨拶には、感激いたしました!」

「心のこもった言葉には、私も、思わず涙が浮かんでしまいました。素晴らしい挨拶ありがとうございました!」と。