青雲譜42「注文の多い学生アパート」Y

「新たな旅たち」A

新学期からは、SGT small group teachingとでも言うのだろうか?午前中は、5~6人の小グループに、別れて、各科を白衣姿で、患者さんを前に、臨床診療の実習をしていくのである。

空いてる時間は、各自、単科ごとに自主学習する。

教室での教え込まれる集団学習から、自分なりのペースで行う個別学習に変わるのである。

しかし、午後は、勿論、教室に戻っての臨床講義が組み込まれている。

今年の春は、この新しい体制へと変換する節目の、特別な春になっていた。

新たな出発に向かって、自分を変えていかねばならない!

『そのためには、やらねばならないことがある!』

『そう、それは、引っ越しだ!』

『あの寒い部屋では、駄目だ!』

『秋田に戻ったら、部屋を探して、再出発するぞ!』

地元で、新しい白衣、そして、新しい白のワイシャツとネクタイとを購入した。

兄の舜一からは、ネクタイの結び方を伝授してもらった。

舜司は、頭が固いのか?不器用なのか?なかなか、うまくネクタイを結ぶことが出来なかった。

それでも、どうにか、ダブルの結び方を、ものにすることが出来、秋田に戻るころには、一人前に結べるようになった。

3年次の1年間は、最悪、ひどい怠惰な生活を送ってしまった!

4月からは、新しい出発として、新たな“やる気”を起こさせねばならない!

『俺は、立派な医師になるんだ!』

『ピシッと、気を引き締めて行こう!』

『父や母や兄弟のためにも!』

舜司は、改めて、自分という者を見つめ直し、何故自分は“医師という道”を歩もうとしているのか?振り返ってみることにした。

「医師を目指す!」

この志は、遡れば、小学2,3年の頃になる。

母親の2番目の兄、小林定継は東大医学部を出た後、軍医として戦地に赴いた。

この時、銃弾を被弾し、負傷したことが原因で、復員したものの、10数年後に敗血症で亡くなっている。

母親は、夜毎に、よく自分の家系の話をして聞かせたものだった。

母親の父、定蔵は、臨終を迎えた最期の時に、枕もとでこう述べたと言う。

「定乃!お前の子供のうち、一人くらいは医者にしてくれ!」

「お前の子供なら成れる!」

「俺は、ひとり医者にはしたけど、何にもならなかった!」

「診てもらうこともなかったし!ほんとに、悔しいなあ!」

「お前にだけ言っておく!遺言だ!きっとしてくれよ!」

 

そして、その定継伯父さんは?というと、

「定乃!お前はなあ、これからも、土と水を愛して生きるんだぞ!」

「土と共に生きるっていうのが、人間、一番幸せなことなんだ!」

「勉強ばっかりしていても、死んでしまっては、何にもならないなあ!」

「幸せになるには、長生きできなきゃなあ!」

こう言ったと言う。

子供の舜司は、母親にくってかかった。

「母ちゃんはバカだから、土をいじってろ!ってか?」

「それもあるかなー!」

「母ちゃんは、そんなに、頭、良くなかったしなあ!」

「でも、人間は、平凡に生きるのが、一番幸せだって言いたかったんじゃないのかな!」

「土をいじっている方が、体は強いし、心が豊かになるって!」

「生きていなくちゃ!死んじゃったら、医者になったって、何にもならないって!」

こんな話を聞かされていたから、舜司は、医者に漠然とした憧れをもっていたのかもしれ

ない。

 

舜司は、小さい頃から、神話、偉人伝、軍記物を読むのが好きだった。

小学の高学年になっても、図書館での読書と言えば、同じジャンルのままであった。

神話では、心優しい大国主命より、乱暴者の須佐之男命の方が好きだったし、偉人では、北里柴三郎、志賀潔、鈴木梅太郎、シュバイッツアーなど、そして、その中でも、とりわけ野口英世が好きであった。

軍記物のなかでは、源義経、源為朝、源義朝、木曽義仲、楠木正成、新田貞義、山中鹿之介、大塩平八郎、高杉晋作、相良総三など、反体制派や悲劇のヒーローの方が好きだった。

誇大妄想の気が、あったのだろう!

舜司は、小さい頃から、なによりも偉い人になりたかった。

教科書に名を残すような人に!そうでなかったら、生まれてきた意味がない!

いや、自分こそが、そうなるように生まれてきているんだ!と、心底から思っていた。

もし、そうでなかったら、この世の中には、偉人と言われる人は存在しなくなってしまう。

 

中学になっても、この夢は消えることはなかった。

むしろ、ますます大きくなっていくばかりだった。

なぜなら、市内とはいっても、外れの小さな中学校ではあったが、3年間、テストというテストはいつも高得点のトップであり、通信簿はall5であったからだ。

担任の先生も、舜司のような神童を持ったことがないので、興味本位で、まだ中学2年生なのに、3年生と一緒に模擬試験を受けさせたりもしたのである。

結果は、全校生徒3位の成績だった。

舜司は、何も特別な勉強をしていた訳ではない。

ノートは、ほとんど取らなかった。

授業を聴いてるだけで、即、内容は理解できた。

あえて、大事と思えた時には、教科書の中に印(しるし)をつけ、書き込む程度だったのである。

ノートは、計算したり、ガチャガチャに書き込んだりしていて、まともなものはなかった。

中間テストや期末テストの勉強は、教科書を読み直しして、2つの簡単な問題集を解いてみることだけだった。

この中で、あることに気が付いた!

問題になってる所、そここそが、大事なポイントなんだって!

大事なとこだからこそ、問題として出ているんだって!

舜司は、真面目に、真剣に、集中して、授業を聴いているだけの生徒であったのだ。

塾などない!

家庭教師などもいない!

教科書しか持ってはいない!

親は、教師でもなく、普通の農家の親と同じである!

それなのに、先生方が、ビックリする成績なのである。

当然、野口英世二世と舜司が勝手に思い込んでしまっても不思議ではなかった。

 

中学時代のある日、自宅の2階の部屋に寝ころんだまま、ある“問い”に対して、自問自答していた事を思い出す。

『なぜ、“人は死にたくない”と思うのか?』

自分なりの理屈でいい!納得できればいいのだ!

『何故だ?』

『それは、生きていたいのに、死んでしまうからだ!』

『じゃあ、なぜ死んでしまうのだ?』

『病気になるからだ!老衰だって、きっと、病気なんだ!』

『なら、病気を治してしまえばいいじゃないか!』

『世の中にある総ての病気は、同じ人間である以上は、誰でもが、罹る可能性があるはずだ!』

『なら、やっぱり、総ての病気を治してしまうしかないじゃないか!』

『病気を治すには、どうしたらいいんだ?』

『医者になるしかないだろう!』

『そして、病気の原因について研究し、みんな、治してしまえばいいんじゃないか!』

『そうか!やっぱり、自分は、医者になるしかないんだな!』

『小さい時から、思っていた通りのことなんだ!』

『勉強して、伯父さんのように東大の医学部に行くんだ!』

『そして、アメリカやドイツに留学して、病気の研究をして、ノーベル賞をもらうんだ!』

『ようし、偉い人になろう!』

しかし、この時は、まだ、この夢が、簡単に消滅してしまう運命にあることは知らなかった!