青雲譜40「注文の多い学生アパート」V

「僕たちの失敗」B

  

『凄いよ!凄いよ!』

『こんなことって、あり?』

ともかくも、舜司は、焦りまくっているのだ!

落ち着いて、席についていられない。

『どうしよう?どうしよう?』

『早く、秋原に連絡しなくちゃ!藤川にも言わなくちゃ!』

吉報は、ニュースで、日本中に平等に流れているっていうのに!

舜司こそ、一番遅く知ったかもしれないっていうのに!

しかし、今の舜司には、そんな思考回路は存在していなかった。

特急「つばさ」の中で、立っては、座り、座っては、立ち上がり、デッキに出ては、出入口の間を、地団駄踏んだり、壁を蹴ったりして、せわしく動き続けているのだ。

昂揚した気持ちが、抑えられないのである。

『うわおお!どうしよう?』

『こんなのって、ありかよ?』

『早く、白河に着けよ!』

『秋田で、大山教授に教えてもらったんだぞ!誰も知らないんだぞ!』

『俺は、連絡しなくちゃいけないんだ!早く、家で、連絡先を調べなくちゃ!』

スマートフォン、携帯電話など、まだ、ない!

だからこそ、イライラ、ソワソワ感は、つのるばかりなのだ!

誰にも連絡できない!

だからこそ、焦ってるんだよ!

この焦燥感、誰か想像できる?

特急「つばさ」の6時間って、ホント長かったんだよ!

 

「よお!秋原!しばらく!元気にしてた?」

「おお、沖田!もちろん元気だよ!どうしたの?急に!」

「どうしたの?じゃ、ないだろう!」

「霜山が、あの霜山が、芥川賞なんだって!凄いじゃないか!」

「ああ、知ってるよ!ニュースで見たよ!」

「だったら、三吉アパートの仲間同士、当然、お祝いするんだろう?」

「藤川君からは、もう、連絡あった?」

「うん!まだ、ないな!」

「僕は、山形だし、卒業してからは、連絡とってないんだよ!」

「藤川なら、部屋も隣同士だったし、同じ東京出身だし、連絡とりあってんじゃないのかな?」

「お祝いの音頭なら、当然、藤川の方がいいんじゃない?」

「それは、そうだね!じゃあ、藤川に聞いてみるか!」

 

「もしもし、藤川君?俺、沖田だけど!」

「よう!しばらく!・・どうしたの?電話なんて?」

「どうした?・・じゃないだろう!霜山の芥川賞だよ!」

「あーっ、うん!そうだね!あいつも頑張ったね!ほんと、偉いよ!海外難民医療チームなんかにも参加しながら、小説書いていたんだからな!」

「へえ!海外難民医療チームにも参加してたんだ!」

「僕さ、今日、秋田の大学に行っててさ、第1外科の大山教授から、霜山のことを聞いたんだよ!」

「もう、嬉しいやら、ビックリやらで!・・“お祝いやろう”って、秋原に連絡したらさ!藤川君が一番付き合い深いんだからって!・・僕も、そう思うよ!・・頼むからさ、音頭とって、是非、祝賀会やってくれよ!」

「えっー!・・待て、待て!沖田!」

「お祝い!って言うのは、いいんだけど、同級生の祝賀会となるとさ、少し、考えないと!」

「えっ、何で?」

「同級生では、まとめ役に適した人がいるだろう!」

「芹沢さんとか?・・いや、こういう時は、もっと重厚な人の方がいいな!」

「最年長者の島原さんか、松方さんだな!」

「ふーん!じゃあ、松方さんが聞きやすいんじゃない?松方さんに島原さんと連携してもらってさ、ぜひ、祝賀会やってくれるよう頼んでよ!藤川が連絡とるのが、一番自然な形だと思うんだ!頼むよ!」

「そう?・・そうだね!わかった!・・松方さんと連絡とって、是非やれるよう、動いてみるよ!」

 

 

今日は、土曜日!

しかし、舜司の病院では、朝から、スタッフ皆が、慌ただしく動き回っていた。

仙台の松尾教授が、舜司の病院で、膵頭十二腸切除術(child法)を執刀してくださる

のだ。

舜司が、一人になってからの、初めての大手術である。

出向かいやら、手術前のカンファランスやら、家族への説明やら、その後の接待や

ら、・・何もかも、一人でやらねばならない!

秋田からは、約束通り、一人の常勤外科医を!・・この時には、1年先輩の楊先輩が

派遣されてきていた。

他の、循環器科、整形外科、小児科に対しては、週1~2回の外来応援医師体制でこ

なしていた。

今日の外来は、応援医師に任せ、午前10時からの手術開始である。

麻酔も、勿論、舜司がかけねばならない。

挿管し、十分安定してからは、自動に切り替え、楊先輩にバトンタッチ!

手術が始まってからも、舜司にはまったく心の余裕はなかった!

勿論のこと、教授のアシストをするのであるから、緊張の連続は当たり前である。

楊先輩にも、麻酔が落ち着いてからは、手術に参加して頂いた。

順調に、手術は進んで行った。

舜司は、教授が挟むペアンやケリー鉗子の先端を、目を凝らして見つめ続けた。

出血すれば、即、ガーゼを当て、術野を確保し、即、結紮!

教授にとっては、いつもの手術の1例に過ぎないが、舜司にとっては、大ストレスで

あった。

舜司は、あたかもゾーンに入ってしまっているかのように、のぼせあがってしまって

いた!

教授の時折発する会話が、まったく入ってこないのである。

「ほら、ここの血管は、注意が必要だな!きちんと縛らないとな!」

「あっ、はい!」

指先に、神経を集中させて、ゆっくり丁寧に結んでいった。

「次は、ここを走っているこの血管だ!わかるよな!・・ここを注意して剥がしていくんだぞ!」

「あっ、はい!・・」

「あのー、さっきのは、gastroduodenalisですよね!そして、今度は、mesenterica superiorの所をやるんですよね!」

「んっ?君は?」

「はい!秋田の大山教授の所からきた「楊」と言います。」

「ふーん!よーく勉強してるね!」

“鈎ひき”をしている楊先輩が、やたら、余裕からか、知識をひけらかすかの様な受け

答えをし始めてきた。

舜司は、少し不愉快な気分になった。

すると、教授は、即座に、舜司の気苦労を察してくれたのか、楊先輩が関与できない

仙台の医局の話などに話題を変えて、粛々と手術を進めて行ってくれた。

手術は、チームワークが大切なのである。

チョットした、苛立ちが、大きなミスにつながる危険性があるのだ。

こうして、無事、child法の手術は、終了とあいなった!

「楊先輩!麻酔の覚醒と術後の管理お願いします!」

「僕は、教授の接待に行ってますから!落ち着いたら、後で来てください!」

O.K!大変だね、沖田君も!」

「すみません!」

手袋を脱ぎ、手を洗っていると、放射線技師の小野田君が隣に歩み寄ってきた。

「院長先生!今日は、祝賀会で、東京に行く日じゃ、なかったんじゃないんですか?」

「えッ?・・マジで?」「・・そう、そうだ!そうだったよな!・・」

「手術のことで、日にち、すっかり忘れてた!」

「くそー!ダブルブッキングだったんだ!」

「今、何時?」

「午後5時です!」

「そうか!」

「じゃあ、これから、接待だし!行くのは、無理ってことだな!・・・」

 

『何と言うことだ!』

『無理やり、教授に手術を頼んでいたので、すっかり、日にちが飛んでしまっていたのだ!』

『どうする?最終の新幹線で行ける?・・ダメだ!終わってるな!』

『まずは、最終の新幹線にだって、間に合うかどうか?』

『着替えの準備もしてない!』

『あーあ!万事休すだ!』

『あんなに、一人、はしゃぎまくっていた祝賀会だったのに・・!』 

『くそー!・・最低限、気持ちだけは、伝えなければ!』

『よーし!会場に電話して、直接、霜山に“祝いの言葉”を言おう!そして、行けない詫びを入れるんだ!』

 

「もしもし、霜山!俺、沖田だけど!」

「おう!沖田!」

「俺、行くつもりで、いたんだけどさ、急に、仙台の教授の手術が決まってしまって!」

「今日が、その手術日だったんだよ!」

「ごめん!今度、また会う日があったら、その時、改めて、お祝いの言葉を掛けさせてくれよ!今回は、本当におめでとう!」

「ああ!ありがとう!今度、会うのを楽しみにしてるから!」

 

しかし、あれから30年以上経っているのに、霜山には一度も会っていない!

『“三吉アパート”や“青雲荘”界隈で、日常茶飯事として、何気なくかわしていた挨拶、それこそが、僕らの今生の別れの挨拶だったのですよ!』

とでも、言いたいのだろうか?

あろうはずがない!

 

 

(ひいらぎ) 凍士(とうし)

何と言うペンネームなんだ!

よっぽど秋田が嫌だったのかな?

秋田の寒さと、厳しさが伝わってくる。

一人、寒空の下に佇む、凛とした武士(もののふ)じゃないか!

ストイックな文士の姿が伝わって来る!

 

 

卒業以来会っていないのだから、霜山の本当の気持ちはわからない。

でも、時間と言うものは、人間の記憶を浄化する働きがあるようである。

今の舜司には、秋田での6年間は、若者たちの織り成すピッカ、ピカの美しい人間模

様として、浮かび上がってくるんだ。

合縁奇縁(あいえんきえん)

邂逅(かいこう)

そう!何にもまして、“いろんな人に出会えた!”ということが、誇りなんだよ!

そして、古希にもなると、今、自分がこうして存在していること自体、貴重なことに

思えてくるんだよ!

小学校も中学校も、高校も大学も、そして、人生においても、出会えた総ての人々に

感謝だ!

 

“君達がいたからこそ、今の僕がいる!ありがとう!”