青雲譜39「注文の多い学生アパート」U

「僕たちの失敗!」A

「沖田さ!信じられる?」

「どうしたの?」

「あのさ、霜山がさ、作家になるって言うんだよ!」

「えっ?・・・」

「そうだろう!えっ?だろう!」

「作家って、渡辺淳一みたいなってこと?」

「そう!医師にはなるけどさ、本心は、小説家なんだって!」

「ふーん!」

「そんでさ、実際、もう始めてるみたいだよ!」

「“昴”や”群像“、”中央公論“なんかにも、投稿してんだって!」

「へえ・・!」

「だけどさ、小説を書くって言うのは、いいんだけどさ!」

「絶対に、芥川賞を取るんだって、息巻いてんだよ!」

「霜山だぜ!信じられる?」

「そうだよな!そんな才能あるようには、見えないけどな?」

「そこんとこなんだよな!首ひねっちゃうとこは!」

「俺はさ!・・前に、ちょっと哲学に凝ってるっては、聞いてはいたけどさ、物書きに成りたいっては、初めてだな!」

「それにしても、・・・芥川賞!ってか!・・・難しいだろうな!」

「そうだろう!そう思うだろう!普通は!・・・」

「でもさ、秋原はさ!実際に、読んだの?書いたやつさ!」

「読んだよ!もちろん!」

「で、どう?どうだったの?」

「えっ!霜山だよ!わかるだろう!」

「たいしたこと、ないってか?」

「そう思うのが、当たり前だろう!」

「あれくらいなら、誰でも書けるよ!」

「僕だって、沖田にだって!」

「いや、むしろ、僕たちの方が、もっと“ましなもの“書けるんじゃないかな!」

「いや、それはさ、さすがに盛りすぎだよ!」

「でも、沖田さ!おかしく思わない?」

「霜山が、作家になれるんならさ、僕たちも、皆、作家に成れちゃうじゃん!」

「そんで、芥川賞取るって言うんだぜ!そしたら、皆もとれちゃうじゃん!そんなの、無理に決まってるだろう!」

「なっ!沖田はさ!そう思わない?」

「みんなさ!・・・本音では、能力にそんな差は、ないって思ってるはずだろう!同じだってネ!」

「それは、そうだよ!当然!・・・そうでなきゃ、やっていけないだろう!」

「でも、まじ、テレビや映画でしか、知らないんだけど、ああ言う賞はさ、作家なら誰でも欲しいんだろう!」

「取れたら取れたで、“大騒ぎ”だもんな!」

「まあ、そんだけ、取ることは、難しいってことなんじゃない!」

「だったら、なおさらのこと、無理に決まっているじゃん!」

「だよな!」

「沖田さ!・・僕はね、呆れてるっていうか、憐れんでるっていうか、なんか、心の中がさ,ざわついてんだよね!」

「霜山が、ドン・キホーテみたいに感じてさ!」

「うん!うん!・・そうだよな!・・突拍子もないことだもんな!・・わかるよ!」

「ようし!そんなら、沖田さ!賭けようよ!」

「絶対不可能だって言うことで、賭けようよ!」

「霜山は、芥川賞なんて、絶対取れません!取れるはずがありません!」

「取れたら、僕は、裸で、秋田の街ン中を、逆立ちして歩き回ります!」

「はは、そうだよな!それくらい難しいことだよな!」

「ところで、秋原、お前!逆立ちして、歩けんの?」

「俺なんて、逆立ちもできないんだぞ!」

「はははあー!」

「ふっ!はははー!」

「無理に決まってんじゃん!逆立ちすることさえようやくなのに!歩くなんて、まったく無理じゃん!」

「そういうことだよ!」

「だよな!ははははー」

夕暮れ時、鉄製の階段の手すりにもたれながら、二人で、霜山を肴に、馬鹿話に興じていた。

 

秋田新幹線「こまち」号に、舜司は乗っていた。

『あれ、ちょっと座席が狭いな!』

『元々の在来線を使って新幹線にしてるから、車幅が狭いのかな!』

体には、窮屈さを感じていたが、心は、なおさらのこと、重く、息苦しかった。

『秋田を卒業してから、40年!』

『今年こそは、霜山に会えるはずだと、勝手に思い込んで、同窓会に来たのになあ!』

『区切り良い年月だぜ!もう、秋田を出てから40年!懐かしくないのかよ?』

『卒業してから、一度も、霜山には会っていない!』

車窓から流れていく、秋田の風景!

どんよりした低い雲!そして、だらだらとした田園風景!

『久しぶりに同級生との再会!懐かしくもあり、嬉しくもあった!』

『しかし、霜川には会えない!何だ!この切なさは?くそ!』

『そうだ!秋原にも会ってないな!病院開設当初、小児科の応援医師派遣で、世話してもらっていたあの頃から、もう30年近く経っているんだ!』

『なんで、あいつも来ないんだ?』

『嬉しいけど、切ないぞう!』

『あれ、この感じ!いつかと、ちょっと似ているぞ!』

「悔しいけど、俺は、嬉しいぞう!」あの時は、こうだったな!』

 

 

 

昭和64年(平成元年)舜司は、秋田の第1外科大山教授の部屋を訪ねていた。

地域医療を旗印に、後輩と共に、5億円近い謝金をして、郷里に近い辺鄙なところに、50床の病院を建てて、はや、4年目!

舜司36歳。

昼夜を問わず、病める人々のために、全身全霊をささげ取り組んだきた事業!

財産も資金もないこの二人!

生命保険を担保に、巨額の金額を借りたのだ。

この時ほど資産家の息子であったらな!と、嘆いたことはない。

それから、30年間以上、借金返済に追われながら、50人近い職員の生活をも、保障しなければならない境遇となってしまったのである。

振り返れば、借金返済こそが、舜司の人生そのものの証(あかし)と言わざるを得ない。

借地であったため、地代を払い、建物だけが舜司の所有する者であった。

鉄筋の“100年コンクリート”製の一部3階建て病院である。

固定資産税は高い!何年経とうが、その資産価値は、ほとんど下がらない!

30年間で、ようやく、借金を返し終えた。しかし、地代だけでも、1億5千万を費やしている。

そんな高価な建物であったはずなのに、今では、亀裂が入り、雨漏り多発。

廃院とし、建物を壊すしかなかった。

しかし、建物を壊すだけでも、またもや1億円近い費用が掛るのである。

『いったい何が、舜司に残ると言うのだろう?』

何もなくなった病院跡地に立って、ただただ傍観している舜司であった。

『無!である。30年間で、何もかもが無(な)くなった!』

『空に浮かぶ、虚構の病院を地に着くよう頑張ってきたが、結局、消えてしまった!』

『砂上の楼閣か!』

広々とした平地が、目の前にある。

しかし、この土地は、地主の土地である。

『僕の人生は、何だったんだ?』

『病院をやっていたんだって?』

『えっ?本当なの?』

『・・・なんだ!なんだ!これは、夢か?』

杜子春の世界が、瞬間、垣間見えた!

30年間、生活できた事。そして、子供たちを、無事に育て上げれた事!』

『これこそが、財産じゃないですか!』

そんな声を掛けてくれる者もいる。

『でも、ああ!空しい!』

『自分は、なんてちっぽけな“アリ”なんだ!』

 

あの頃は、新しい、自分たちの考える理想の病院づくり!に没頭していたのだ。

“昼夜関係なく、いつでも診てくれる病院!”

“患者さんを、家族のように慈しみ、思いやりにあふれる病院!”

“緊急手術も、二人の消化器外科医がいる!常時、O.K!の病院!”

必死に働いていた!

病院の設計ミスや、設備の不備が露呈すれば、激怒した!

命にかかわるのである!

夜中であろうとなかろうと、業者とのバトルも繰り返した

“いい加減さ”は、許されないんだ!

病院に泊まり込みである。

朝早く、内視鏡検査!そして、午前中は、外来診療!午後は、手術!夜は、術後管理と,またまた診療!

とにかく必死であった!

そんな中での、大山教授からの呼び出しだったのである。

「沖田君!病院設立当初の理念とは外れて、営利至上主義に走ってるって言うんじゃないかい?」

「薬を、やたら出しまくっているって聞いてるよ?」

「はあ?・・・?」

「何ですかそれ?」

「経営も、院長サイドだけで、都合よくやってるんだって?」

「同僚が、検査で、時間なく走り回っているのに、自分は、外来で、ゆっくり診察しているんだって!」

「ええっ?・・何なんですか?・・それって?」

「言われていることが、よくわからないんですけど?」

「人間はね、やっているうちに、やっていることが、わからなくなってしまうことが、あるんだよ!」

「よーく、振り返ってごらん!思い当たることが、あるんじゃないかい?」

意味深な、慇懃無礼に満ちた大山教授の言い回しである。

「先生!もしかして、後輩の津久谷君が来たんですか?」

「そんならそうと、はっきり言ってください!」

「手術も、無理強いしてやってるって聞いたよ!」

「はああ?・・・?」

「回診でも、自分に都合よく、同僚と反対のことを言っては、誑(たぶら)かしてるそうじゃないかい?」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「そこまで言われるんでは、僕にも、弁明させてください!」

「ほーら、ほら!んー・・ん!ムキになるようでは、思い当たることが、あるんだろう!」

「先生!僕は、先生の“まな弟子”ですよ!直属の部下ですよ!仙台では!」

「僕が、そんなことする訳がないじゃないですか!」

「津久谷君は、診察するたびに、漢方薬やら、いろいろ薬を出すんです。」

「それは、いろいろ考えた結果なんでしょうが!とにかく、多いんです!」

「そのため、事務の方では、処方内容が煩雑で分からないって、困っていたんです。」

「だから、僕は、忖度して、処方は削らずに、まとめて、書き直ししてただけなんです。」

「そして、これが、“現在の処方ですよ”って、最後に、赤枠で括(くく)っていたんです。それを見て、僕が、いっぱい処方してるかのように勘違いしてるんじゃないですか?」

「彼の処方したものを、整理していただけです。」

「経営については、僕だって、よくわかりません!」

「保証人として一部、義父に世話になっていた関係で、今のところ、義父と会計士さんに任せっきりです!僕は、診療にかかりっきりの毎日なんですから!」

「でも、それでは、院長サイドだけの都合のいい経営と、言われても仕方ないんじゃないかい?」

「だったら、津久谷君の方でも、誰か、保証人を立てて、経営に関与すればいいでしょう!」

「それに、気になるんだったら、自分で、尋ねて、直接、聞けばいいんじゃないですか?」

「僕だって、何一つわからないし、診療に追われて、そんな暇ないんですから!」

「“胃カメラ”の検査日も、交代でやっているんです。でも、彼は、朝の約束の時間に遅刻するんです。患者さんは、待たせられないから、23人は、僕がやってあげているんです。」

「その後は、当番ですから、僕は、外来診療をこなします。遅くスタートしてる分、忙しくなってしまうのは当然でしょう!時間を守ってないんですから!」

「手術も、無理強いなどしていません!彼に任せて、やってもらった箇所に、往々にして、不都合が生じていたんです。本人と家族に懇切丁寧に説明させていただき、修復していただけです。僕は、彼を守ってきたんですよ!彼には、手術の適応基準の判断や、手技そのものについて、まだ、まだ、修練が必要なのかもしれません!」

「回診の件についても、誑(たぶら)かしたりしてる訳ないじゃないですか?」

「彼が、「御札を、枕の下に置け!」とか、「置物を、拝め!」とか、入院患者さんに無理強いしてるので困るとの苦情が出ていたんです。「そんなことはないから、安心して!」と、患者さんをなだめていただけです!すこし、彼には、宗教かかっている所が、あるんですよ!」

「宗教は、病院から、離れた時に、やってもらいたいんです!僕らの病院は、宗教病院じゃありませんから!」

「人間と言うのは、180度入れ替わったように、話をしてしまっていることがあるんですね!まるで、僕が、津久谷君で、津久谷君が、僕みたいじゃないですか!」

「まあ、まあ、真偽のことは別として、実の所、彼は、“病院を辞めたいそうだよ!”」

「えっ、病院始まったばかりですよ!借金も何億とあるんですよ!彼には、契約上、責任があるんですよ!僕一人で、返せって言うんですか?」

「大変なのは、わかるよ!でもね、人間には、“自由になる権利”もあるんだよ!」

「強制することはできないんだよ!」

「えっ、でも、自分で承諾して、始まった事業じゃないですか?」

「スタートしてすぐ、放り投げていいんですか?」

「仁義に劣るんじゃないんですか?」

「僕は、命を懸けているんですよ!」

「真剣なんですよ!」

「先生は、5億近い借金の恐怖と言うものを、経験してないから!そんなことを!」

「医療公庫でさえ、金利7.7%なんですよ!」

「こうして、話している時でさえ、お金が、利子が、カチャカチャ加算されてしまってるんですよ!」

「沖田君!・・君は、古いことを言うね!・・仁義か?・・仁義に劣るか?・・」

「まあ、それぞれに、いろいろ思うこともあるだろうけど、一旦、拗(こじ)れてしまったものは、どうしようもないだろう!」

「沖田君も、自分でやりたい事を、やろう!って始まったんだから、嫌だって言う人と、一緒には、やっていきたくないだろう!許してやったらいいんじゃないかい!」

「後の応援については、考えておくから!そんなに落ち込まず、前向きに考えてみたら!」

「人生っていうのは、まったくもって、いろいろだね!本当に!」

「そう言えば、君の同級生だろう!」

「霜山君って!」

「彼が、今年の芥川賞だったね!」

「えっ?・・」

「君の学年には、ほんとに、変わった奴が多いんだね!」

「沖田君みたいな奴もいれば、芥川賞を取るような奴もいるんだ!実に、面白い学年だね!」

「えええっ、本当ですか?マジで・・・?」

「何だ、知らなかったのか?」

「ニュースに、流れていたぞ!」

「お祝いしてやらないとな!ほんと、面白い学年だな!君たちの学年は!」

『へえー、芥川賞とったのか!あいつ!』

『秋原!大変だよ!奇想天外なことが現実に起こっちゃったよ!』

『僕たちの大失言じゃないか!』

『僕たちの失敗!・・だぞ!これは!』

くそー!悔しい日なのに、なんて嬉しい日なんだ!