青雲譜36「注文の多い学生アパート」R

「ながい髪の少女」B

 

「やっぱり!医学生ともなると、たくさん本があるんですね!」

「そんなことないよ!」

「医学書は高いし、欲しくても、そんなに買えないよ!」

「僕なんか、ぜんぜん少ない方だよ!ほとんど、プリントか、コピーで済ましてるんだ!」

「おっと、気が利かないよな!お湯を沸かさないと!」

「インスタントだけど、コーヒーでも入れるね!」

「あっ、すみません!そんなに気を使わなくていいですよ!」

彼女は、もの珍しそうに、部屋の中を見渡しながら、本棚から、本を取り出しては、ペラペラめくっていた。

「医学書は見てもわからないけど、小説もいっぱいあるんですね!」

「えーっ?アッ、それ、文庫本だよ!安くて、手軽だからね!」

「入学した当初、あまりの教養のなさに、ショックを受けてさ!」

「みんなが、読んでいそうな本は、一通り読んでみようって、決心したんだ!」

「“つまる”も“つまらない”も関係なく、半強制的にね!」

「夕食後は、必ず1時間は読書するぞって!」

「へえー、やっぱり、やることが、凄いですね!」

「その中で、何か、面白いな!って言うものは、ありました?」

「まあ、まあ!とりあえず、座って、くつろいでよ!」

「ハイ、コーヒー!」

「クリープと砂糖は、これ!」

「あっ、ありがとうございます!」

「ごめんね!部屋に呼ぶなんて思ってなかったから、何にもなくてさ!」

「でも、実際、学生なんて、みんなこんなもんだよ!ほんとに殺風景だろう!」

「ウウン!そんなことないけど、私ね、あんまり勉強とは縁がなかったでしょう!だから、医学部の学生の人って、どんな風に勉強してんのかなって?興味あって!・・いつも、机に向かって、座ってるのかなって?」

「そんなことないよ!この前も、呑みに行ってたじゃない!そこで、君に会ったんじゃないか・・!」

「それは、そうだけど・・?」

「でも、やっぱり、どんな本に興味があんのかなー?とか・・」

「どんなことに感激するのかなー?とか・・」

「どんな人生観を持って勉強してんのかなー?とか・・」

「まったく別の世界の人のようでネ!・・今まで、会ったことない人たちでしょう!だから・・」

彼女の態度は、もの珍しい見世物でも見てるかのように、興味津々!

舜司には、ちょっと追い詰められているような感じがした。

 

「そんなに真面目じゃないよ!」

「緊張しっぱなしの糸はさ、切れちゃうだろう!」

「だから、息抜きもしないと!」

「ほんとに、過大しすぎてんだよな!大した人間じゃないから!」

「君と、大して変わらないよ!」

 

「三遊亭歌奴(円歌)がさ、「やまのあな、あな、あなたの空遠く」って、どもって笑いを取ってる落語をさ、テレビで見たことあるだろう!」

「あれはね、ドイツの詩人カール・ブッセの「やまのあなた」って言う有名な詩なんだよ!本当はネ!」

「それを、歌奴が、「授業中」って言う落語で、笑いのネタに使っていたんだよ!」

「ほら、この本見てごらん!「海潮音」って言う上田敏の訳詩集なんだけど!」

 

「山のあなた」 カール・ブッセ/上田敏

 山のあなたの 空遠く

「幸い」住むと 人のいう
   噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて
    涙さしぐみ かえりきぬ
   山のあなたに なお遠く
    「幸い」住むと 人のいう

 

メーテルリンクの「青い鳥」と、同じだね!

チルチル、ミチルは、“幸せの青い鳥”を、探して、探して、探し回ったのです。

しかし、とうとう見つけることはできませんでした。

結局、自分の家に戻って来るしかなかったのです。

そしたら、どうでしょう?

なんと、そこには、幸せの青い鳥がいたのです。

でも、その青い鳥は、すぐに、どっかへ飛んで行ってしまったのです。

 

ほらね!幸せって言うことについて、なんか同じことを言ってるだろう!」

「自分の幸せは、どこにあるんだろう?って、探し回っていると、一旦、今の自分のところにあるんだって気付くのさ!でも、すぐに、また、慣れてしまうと、本当の幸せは、どっか違うところにあるんじゃないのかな?って、思ってしまうものなんだ!って言ってるんだよ!」

「結局は、本人の心の持ち方一つだってこと!」

「だから、実際は、君も僕も、大して変わらないってことさ!」

「僕のことが分かればわかるほど、何だ、同じじゃん!何にも変わらないやって!」

「人間は、みな平等、大したことないよ!」

「人に違いがあるかないかなんて、その人の心の持ち方次第なんだ!」

「ええっ?それを言いたくて、「やまのあなた」を教えてくれたの?それこそ変わってるでしょう!」

「ん?・・そうかな?・・」

「そうかな?じゃなくて、変です!でも、言わんとしているニュアンスはわかりますよ!」

「んーん?・・・・そうだね!ちょっと、“たとえ”としては、ズレてるかもね!・・」

 

「「青い鳥」は童話ですよね!他に、童話では良(い)いのありました?」

「うーん、そうだな、やっぱり、子供のころに、一番泣けたのは、「泣いた赤鬼」だね!」

「もちろん、赤鬼に泣けたんじゃないよ!青鬼に泣けたんだよ!」

「ほら、ここにさ、浜田廣介童話集って文庫本があるんだ!」

「読んでみるね!ここだよ!」

「青鬼くんの家の戸口には、こんな張り紙がありました。」

 

アカオニクンヘ

赤鬼くん、人間たちと仲良く、楽しく暮らしてください。

ぼくが、このまま君と付き合っていたら、君も悪い鬼だと思われてしまいます。

だから、ぼくは、これから、旅に出ることにします。

でも、ぼくは、君のことは一生忘れません。

いつまでも、どこまでも、ぼくは、君の友達です。

さようなら、くれぐれも体を大事にしてください!

イツマデモ、キミノトモダチノアオオニヨリ」

 

「僕は、青鬼君が可哀そうで!可愛そうで!涙ボロボロだったよ!」

「子供心に、ほんとに、泣けたなー!」

「童話では、最高傑作だと思うよ!張り紙の言葉は、今でも、ジーンと胸を打つんだな!」

 

「そう、そう、最近ではさ、テレビの世界名作劇場で、「フランダースの犬」をやってたじゃない!」

「最終話、あそこは泣けたよね!」

 

「パトラッシュ、疲れたろう!僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠たいんだ!」

ネロは、もう二度と目を覚ますことはありませんでした。

パトラッシュも、ネロに寄り添いながら、目を閉じ、静かに息を引きとったのでした。

でも、ネロとパトラッシュの顔には、微笑みが浮かんでいました。

二つの魂は、天使に囲まれながら、ようやく“安穏”と言う幸せをつかんで天国へ旅たっていったのです。」

 

「でもネ、「フランダースの犬」のストーリーには、確かに、涙は出るけど、素直に受け入れることは出来ないんだなー僕は!」

「欧米人は、独立独歩の精神が強すぎて、他人への思いやりがなさ過ぎると思うんだよ!」

「“他人に頼らず、自分のことは自分で!”って言う精神は、大事なことはわかるけど、ネロやパトラッシュに対する大人の対応がひどすぎるんだよ!」

「二者択一の精神論がひどすぎるんだな!白か黒か?善か悪か?得か損か?敵か味方か?」

「そして、何だか、差別感もくすぐってくるよね!」

「美しい良(い)い少年なのに、賢くて良(い)い犬なのに、どうして?可哀そうすぎるじゃないって!でも、そうでなかったら、いったい、どうなんだろう?ってネ!・・・」

「ネロが、美しい少年でなく、生意気な可愛げのない浮浪児で、パトラッシュも、薄汚れたヨレヨレの老犬だったら、どう?って思ってしまうんだよネ!」

 

「実際、最期の所は、本当に泣けるんだけどさ、実は、一番、嫌いなんだよ!」

「僕には、納得できないんだな!」

「死んじゃうのに、“神の愛”なんて、訳の分からない愛情表現で、締めくくってしまうことがさ!ほんとに嫌なんだ!」

 

「ホームアローン」「ホームアローンⅡ」という映画も、大ヒットしてたけど、ストーリー的には、欧米人の人格がもろ出しだよね!隣人や近所の人が、ひど過ぎ!全く無視だもの!親戚の人もいないのかよって?」

 

「でもネ、一人だけ、欧米人でも、好感持てる人物がいたんだよ!」

「受験勉強してた時、「英文読解力」っていう本にさ、サマセット・モームの文章が、あってさ!」

「衝撃的だったな!」

“アリとキリギリス”の話なんだ!」

「夏の間、キリギリスは、仕事もせず、ギターを弾いたり、歌を歌ったりの遊び三昧。

蟻は、暑くても、汗をかきかき、仕事に精を出し、冬の準備に励んでいます。

アリ君!アリ君!

暑いんだから、涼しい所で気楽に生きようぜ!人生楽しまなきゃ!

いつしか冬の到来。外は、寒いし、食べ物などはありません。

キリギリスは、アリ君の家を訪ねてきました。

アリ君!アリ君!

家に入れてはもらえないかい?暖を取らしてはもらえないかい?食事も少しだけ恵んではもらえないかい?

アリ君は、冷たく言い放ったのでした。

キリギリス君!君は、夏の間、遊び惚けて、冬の備えを怠っていただろう!

だからネ、仕方ないことだよ!自業自得ってことだよ!

キリギリスは、家にも入れてもらえず、寒空の下、トボトボと杖を頼りに帰って行くしかありませんでした。」

「子供だったモームは、教訓だってことは、知っていたけど、アリ君の薄情さに、非常に憤慨してしまってさ!しばらくの間、庭先でアリを見つけると、靴で踏みつぶしていたんだって!」

「それで、人間版の“蟻とキリギリス”を書いたんだよ!」

「人間キリギリスは、徹底的に超ハッピーの連続なんだ!」

「勤勉な人間アリの兄さんからは、だましてお金を工面させ、遊び放題!」

「一文無しになっても、肌、艶もよく魅力的な男性だったので、目出度く、年の離れた女性と結婚!」

「遺産もがっぽりいただき、贅沢三昧のし通し!」

「一生涯、幸せいっぱいの暮らしを、楽しく送ることが出来たんだって!」

「一方、勤勉な人間アリは、質素な食生活と地味なライフスタイルの所為(せい)で、年齢よりずっと老け顔になり、まったくモテもせず、パンを食べるだけの、ひもじい、つまらない一生で終わってしまったんだって!」

「人間の一生なんてもんは、波瀾万丈で、何が起こるかわかったもんじゃない!だから、何でもかんでも、一緒くた(ん)にはできないんだぞ!って!」

「勿論、称賛される勤勉アリ君に対しての、当てこすりありありなんだけどね!本当は、薄情者の嫌な奴のくせにって!」

「受験生の僕には、頭がスッキリ!一瞬、救われた感があったなあ!」

「でも、勉強しなくちゃ!って、勤勉アリにすぐ戻ったけどネ!」