皆さんおはようございます。
観相師ふかマンです😊

今日は題記『武士道を見直そう』について
お話しします。


皆さんに問う。
「あなたにとっての武士道」とは何か?

きっと、恐らく多くの方々は
刀を持った侍が戦さ場を駆け抜ける、といった
イメージに、留まってるだろうと思います。

故、『武士道』=『刀』『甲冑(鎧)』
というシンボルがあちこちに散見されます。

または、、やたらと『抜身の刀』を持つ自画像
もよく見られます。

…でも、私としてはとても恥ずかしく思います。

『刀』や『甲冑(鎧)』を誇る事が
または『何かしかの武術』を学ぶ事が
『武士道』なのでしょうか。

武士道は、そんなに浅いものなのでしょうか。

確かに私も『武術』はやります。
でも、これを武士道と思う事は今はありません。

私が推唱する武士道、とは

日本人に受け継がれた
心の歴史そのものです。

日本は山や海に
春夏秋冬の明確な四季に
かな、カナ、仮名という語彙豊かな言葉に
本当に恵まれた、場所です。

そこに育った深い思慮に磨かれた気持ち構えに
武士道はあるのです。

また、戦う時の
我彼の存在意義を問う哲学
でもあります。


なので、私が『武士道』に想いを馳せる時。
太古から今に至るまでの連綿とした日本の人々の顔や生き様が脳裏に浮かびます。

そして、日本が輝きを最も持っていた
『大東亜共栄圏』に希望を託していた昭和時代のシャンとした日本人の顔かおが浮かびます。

これから、第三次世界大戦か?
というような今時だからこそ、我々日本人は
『武士道とはなんぞや?』を振り返る時期にあるのではないでしょうか。

武士道では「自分から暴力を安く振るうものではない」といった趣きに教え説いてます。
その一方で「戦わなければならない時は、惜しまずに戦え」という、現代日本人が思わず顔そむけたくなるような教えも堂々とあります。

…今の日本人は
「戦わなければならない時は戦え」というような事を聞いたら何故、無条件に顔そむけてしまうのか?

それについても考えてみたら如何でしょう。

あなたと戦うのもやるときには怯まない。
だが、先ずはお互いを分り合う努力をやらないか。

そういう事を相手の顔を真っ直ぐにみながら話せる日本人に、あなたがなった時。

その瞬間、武士道はあなたの心に宿るでしょう

その人達が増えてきた時、日本の日輪が蘇るでしょう。

以上

最後まで読んで下さって
どうもありがとうございます。