題記の本、読了した。
最初はタイトルからにして、1984年に彷徨い出た特攻機零戦のSFチックな話かな?と思っていた。
由“零戦噺のコレクション”として、永く本棚の肥やしと化していた。
昨日、何となく手取ってパラパラ本を開いてみた所でびっくりした。
何と“角田和男 ”さんの名前が挙がっているではないか。
ちゃんとした登場人物として、本中の話に絡みこんでくる。
角田さんという方は「修羅の翼 ―零戦特攻隊員の真情」という
零戦戦闘戦記マニアなら大抵の方は知っている、有名な本を執筆している。
もちろん、こちらはれきとしたノンフイクション自伝記ものである。
この作者、大野芳さんという方の著歴 をwikiで調べてみた。
錚々たるタイトルのどれもノンフィクションものばかりで、中には今後買い求めようとしているものもあった。
1984年~現在進行形で書き続けているノンフィクション作家だったのだ。
(追記)
タイトルに加え。帯のフレーズも「いまも零戦を駆る男…」になってるから、てっきり80年代SFだと思い込んでしまってた。
本のあらずしを摘まんで説明するとこんな感じ。
(ネタバレ注意)
先の戦争。特に特攻隊を直機として死地に送り届ける任務を持っていた凄腕パイロットが、終戦前後に心を壊してしまい“PTSD”を発病して、精神病院へ入退院と繰り返してしまう。
それも最初の頃は復員後の社会に非常にうまく融け込み、社会的な地位も着々と築いていたのに“戦争の古傷”がそれをパーにしてしまう。
(1984年発行初版ものなので、当時はPTSDという言葉は使わず“精神分裂”という言葉になっているが、精読するに今の表現ではPTSDとなる)
まとめ。その精神崩壊した元零戦操縦士の思い出話を著者が取材、彼の精神を分析しつつ記述取る。というものである。
精神崩壊してしまった彼にとって
先の戦争は「今尚、数日前の出来事」の記憶に等しいもの。
1984年時点で、聞き取り側が「既に戦場を推理推考」するというものになっている。
私にとっても拭えない記憶なのだ。
あの時代の感覚を共有できる人はなかなか居ない。
せめて私が戦死していなければ、私も老人として生き証人となれただろうに。
だけど、あの敗戦ショックとGHQ洗脳を免れた分に幸いなのかも知れない。
正直、「性同一性」の人たちが羨ましい。
物証的なものはなくとも、社会的には公認されたのだ。
だけども「前世の記憶を持つ」というのは今だ公認されてはいない。
1984年の直接肉体保持者ですらそうだのだ。
2015年の今、私が話したところで何となろう。
自分で自分の事を研究し続けるとする。
何のために死んだのだろうね。
デロリアンあれば、あの時代に戻って「未来の日本なんでバカバカしいから死ぬなよ」と言ってやりたい。